第40話 実ったのは互いの初恋
アンナマリア様とケニーは、顔を合わせれば言い合いばかり。その度に二人揃って旦那様を褒めちぎり、私の存在はその辺にふわふわと舞っている埃のよう。
凛々しいだとか完璧だとか、それも確かに旦那様のいいところだと思う。不器用な優しさや意外と甘えたがりな一面は、この先も私以外の誰にも知られたくない。
「なんだか、いつも以上に静かに感じますね」
夜になり、二人はそれぞれ客室で休んでいる。私は旦那様の部屋で一緒に眠るようになり、最初は緊張していたものの今では仕事で彼が屋敷を空けると寂しくてなかなか寝付けなくなってしまった。
いや、変な見栄を張っても仕方ない。どれだけ寂しくてもぐっすり眠れてしまう図太い自分が、たまに嫌になる。
「正直、僕は肩の力が抜けている。特に王女殿下に対しては、いつまで経っても苦手意識が抜けない」
「あら、旦那様ったら正直者ですね」
「悪い方ではないと分かっているし、十以上も年下の相手に大人気ないとは思うが」
旦那様はベッドの上で溜息を吐きながら、私に向かって両手を伸ばした。
「早く、こっちへ来てくれ。フィリア」
「はい、今すぐに!」
ドレッサーの前に腰掛けていた私は即座に立ち上がり、旦那様に向かってぴょんと飛びつく。結構な勢いがついていたのに、彼はびくともせず受け止めた。
「ああ、久し振りの旦那様……。相変わらずいい香りがします」
遠慮なく抱きつきながら、彼の首元に顔を埋める。すううぅ……と思いきり匂いを嗅ぐと、照れ隠しのような「こら」というひと言が頭上から降ってきた。
「悪戯をするんじゃない」
「へへ、ごめんなさい。旦那様不足だったからつい」
「まったく……。君はどうしてそんなに無邪気で可愛いんだ。あの二人がいたから必死に我慢していたというのに、愛おし過ぎて今にもタガが外れてしまいそうだ。大体良い香りというならそれは僕ではなくフィリアの方だろう。甘く爽やかでいつまでも包まれていたいという変態的な思考さえよぎってしまうのをいつも抑え込むのに苦労する。万が一他の男もそうかもしれないと想像するだけで足が勝手に武器庫の方に」
「すすす、ストップ!旦那様の滑舌が良過ぎます!」
私を抱き締める力がどんどんと強くなり、しまいには息の根が止まってしまうかもしれないという危機を感じた私は、彼の背中を必死にとんとんと叩いて合図した。
「ああ、すまない。君のことになるとつい」
とろりとした瞳で謝罪する旦那様を、一体誰が叱れるというのだろう。
「父にもよく嗜められるよ。あまりフィリアを縛り過ぎるな、とな」
「大旦那様はお優しいですね」
二人は似た者親子で、基本的には口数の少ないポーカーフェイス。だけど優しくて思いやりがあって、使用人からも領民からも慕われる人格者。
一年経ってもまだまだぽんこつな私を見離さず、ブルーメルのことをたくさん教えてくれる面倒見の良さもある。
「私はむしろ、構ってもらえないと拗ねます」
「……君は、無自覚でそれをやっているのか」
「いいえ?ほんのちょっとだけ、計算です」
上目遣いに見つめながら悪戯っ子のような笑みを浮かべる私の頭を、旦那様の大きな掌がぐりぐりと撫でた。
「ずっとこうして、ゆっくり触れたかった」
「はい、思う存分触ってください」
「き、今日はいつも以上に素直だな」
だって、寂しかったのだ。領主を継ぐ為懸命に努力している旦那様を応援しているし、私自身もまだまだ勉強しなければならないことが山ほどある。今は甘えている場合ではないと自分を叱責しながら、ここ最近特にがむしゃらに打ち込んできた。
それでも、無理をしているわけじゃない。相応しいなんて言い方はおこがましいけれど、少しでも旦那様に近付きたいと思う気持ちから望んで努力しているだけだ。
「大丈夫か?辛いから少し休んでも」
「ちゃんと休んでいますから、私のことは心配要りません。旦那様こそ、お痩せになられたのでは?しっかり食べないと、体力が持ちませんよ」
私の頭を優しく撫でながら、紫黒の瞳がふにゃりと下がる。彼を好きだと自覚してからというもの、毎日毎秒美しさと輝きが増しているから、恐ろしささえ感じている。このまま愛情が突き抜けたら、一体どうなってしまうのだろうと。
「僕はフィリアの顔を見れば、疲れなど吹き飛ぶ」
「旦那様ったら、またそんなこと言って」
「本当のことだ。愛という武器はどんな名剣よりも無敵なのだと、君に出会って初めて知ったからな」
彼は、こんな風に歯の浮くような台詞を純粋に使うから困る。最後にはいつも「好き」「私の方が」「いや僕の方が」の応酬になり、互いの照れが極限に達して終わるというパターンが常だった。
マリッサからは「ここまでくるといっそ微笑ましい」と、すんと冷めた口調で淡々と茶化されている。
「フィリアがいるから、頑張れるんだ」
「私も、旦那様が力の源です」
「なるほど、僕達は相思相愛だな」
見つめ合って褒め合って笑い合いながら、私達はどちらからともなく唇を重ね合わせた。
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