第24話 温かな心遣い

 今夜のパーティーが成功だったのか失敗だったのか、それはよく分からない。結局、クイネ先生から指導してもらったダンスの成果は見せられないままだったし。

 それに色々と忙しなかったから、ずらりと並んだご馳走をほとんど口にすることが出来なかった。自由気ままに生きている私も、さすがにこの状況で「お腹が空きました」とは言えず、かといって緊張で空腹を忘れられるような繊細な心の持ち主ではないので、その内に心臓よりも腹の虫が駆け足で暴れ回り始めた。

 結局王都の屋敷に着くまで旦那様はずっと私に寄り添ったまま、馬車を降りる頃にはすっかり顔色も良くなっていて、ほっと胸を撫で下ろす。もうだいぶ遅い時間なのでマリッサに夜食を頼むのも気が引けて、このままベッドの中でステーキの夢を見るしかないと、謎の気合いを入れた。

「フィリア、おいで」

 と、自室に向かう前旦那様に手招きされてやって来たのは、メインとなる食堂のすぐ側にある比較的こじんまりとした部屋。こちらにもテーブルが置いてあり、さらにその上にはサンドイッチやスコーンなどの軽食が並んでいた。

「旦那様、これは?」

「あらかじめ、コックに頼んでおいたんだ。フィリアはきっと、食欲より僕を優先するだろうと思っていたから」

「それで、こんな……」

 普段食い意地の張った私の姿を知っていてなお、そんな風に思ってくださったことに驚き、想像以上に嬉しくて堪らない。目の前の料理を見つめたまま、私はしばらく喋ることも出来なかった。

「さすがに、パーティーで振る舞われた食事を持ち帰ることは難しかったが」

「いいえ、私これが良いです」

 あの場にひしめいていたどんな豪勢な料理よりも、きらきらと輝いて見える。旦那様だって大変なのに、それでも私を気遣ってくれる優しさが本当に嬉しかった。

「もしよろしければ、旦那様も一緒に召し上がりませんか?」

「良いのか?一人の方がゆっくりと食べられるんじゃ」

「私は、二人の方がもっと嬉しいです」

 ふわりと微笑むと、旦那様は一瞬目を丸くした後私と同じように目を細めて静かに頷く。

「ありがとうございます、旦那様」

「喜んでもらえて良かった」

「……へへ」

 いつもより距離の近いテーブルは、なんとなく気恥ずかしい。私達は互いに目を合わせながら、いつもよりずっと美味しく感じる食事を味わって食べたのだった。


♢♢♢

 ある日の昼下がり。公務があるという旦那様よりひと足先にブルーメルへと戻ることになった私は、案の定長い道のりに悶えながらなんとか屋敷へと戻ってきた。

 旦那様と一緒だった時にはだいぶましだったから、慣れたのかと思っていたのに、まったくそんなことはなかったらしい。

 数日後遺症に苦しんだ後、ようやく復活を果たした私。マリッサから部屋の外へ出ることを許可された私は、意気揚々と庭へ飛び出した。

「わぁ、暑い!あはははは!」

 眩しい太陽の下、にやにや笑いながらひたすらぐるぐると回る私は、側から見ればちょっと怖いかもしれないと自分自身でも思う。

 王都にいたのはわずかな日数で、実家にすらちらっとしか顔を出さずさっさと帰ってきたはずなのに、ブルーメルの地を踏んだ瞬間、懐かしさがぶわっと私を襲った。

 私の故郷はマグシフォン領で、王都のタウンハウスでもそれなりに過ごした。この場所に嫁いできたのはまだほんの数ヶ月前なのに、こんな気持ちになるなんて不思議な心地だった。

「だいぶ暑くなってきたなぁ」

「もうすぐ夏ですから」

「ホタル見れるかな、ホタル!」

 わくわくしながら彼女に尋ねると、マリッサはなんとも微妙な顔をする。

「まるでカレッジの夏期休暇を心待ちにする学生のようですね」

「失礼な!私はれっきとした旦那様の妻なんですからね!」

「虫取り網を欲しがる奥方様とは、なんとも斬新です」

「ど、どうして分かるの⁉︎さすがマリッサ!」

 わきわきと忙しなく動く私の右手は、確かに虫取り網を欲していた。マグシフォン領では夏になるとそれを片手に庭を駆け回り、母や弟からしらけた目で見られたものだ。

「さすがに、網を嫁入り道具とするわけにはいかないしさ」

「それはそれで面白いかもしれませんよ」

「もう、からかってるわね」

 ぷんと頬を膨らませてみせると、マリッサは悪戯っぽく笑う。普段冷静で表情筋が硬い彼女の笑顔は、私にとっては砂場で砂金を掘り当てた時くらいの価値があるのだ。

「奥様、少しよろしいでしょうか」

「あっ、クイネ先生!」

 ぱっと顔を向けた先には侍女長であるクイネ先生が立っていて、私を見るなりぴしりと礼儀正しく頭を下げる。

「……先生はやめていただけませんでしょうか」

「大丈夫です、旦那様にも許可はいただいていますから!」

 以前、第三王女殿下の生誕パーティーに急遽私も参加することが決まった時、その一才の指導を彼女が引き受けてくれた。残念ながらダンスの成果は披露出来なかったけれど、私が何をしても先生が褒めてくれるので、自己肯定感がぐぐんと上がり、苦手なパーティーの席でもしゃんと立っていられた。

「そういう問題ではないのですが……」

「フィリア様は言い出すと聞かない質ですので、諦めた方がよろしいかと」

「では、三人でいる時だけというお約束でお願いいたします」

「了解しました、クイネ先生!」

 マリッサが彼女にそんなアドバイスをしたので、どうやら諦めて先生呼びを受け入れてくれたようだ。にこにこしながら右手を差し出すと、彼女は微笑みながら握手をしてくれた。

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