第25話 大旦那様からのお呼び出し

「と、こんな話をしている場合ではありませんでした。大旦那様が、奥様をお呼びでいらっしゃいます」

「大旦那様が私を?」

「お茶をご一緒にと」

 ひゅん!と一瞬で背筋が伸びる。大旦那様から厳しいことを言われたことは一度もなかったけれど、やっぱり辺境伯ならではのオーラは凄まじい。ほんわかした私の父とは真逆で、普段は無口でほとんど笑った顔を拝見したことがない。

 寡黙でダンディズム溢れる美中年、旦那様に負けず劣らずすっきりと整った顔立ちをされている。お若い頃は相当女性達から言い寄られただろうと、容易に想像がついた。

「とうとう、妻としての体たらくについてお叱りを受けるのかしら……」

 大旦那様が白い結婚についてご存知なのかどうか、私には分からない。仮に知っていたとして、貴族間の結婚なんてほとんどがそんなもので、愛はなくとも責務を全うしている女性がほとんどだろう。

 私はといえば、日がな一日庭園を駆け回ったり芝生に寝転んだり、メイドや庭師達の後をうろちょろしては相手をしてもらったり。旦那様が在宅の時には、書物庫で一緒にブルーメルのことを教えてもらい、時にはそのまま寝てしまって気付けば部屋まで運んでもらっていた、なんてことも一度や二度じゃない。

 果てはパーティーの席で、図らずもアンナマリア王女殿下に宣戦布告のような真似をして、もしかしたら大旦那様はそのことで責めを受けたのかもしれない。

 とどのつまり、私はヴァンドーム辺境伯家の立派な穀潰しの厄介者だということだ。

「それはあり得ません、奥様」

 めそめそとべそをかく私の肩を、クイネ先生が優しくぽんと叩く。

「奥様がいらっしゃってから、ヴァンドームの屋敷は随分と明るくなりました。たとえるならば、花の咲き誇る美しいモノクロの絵画に鮮やかな絵具に色を付けられ、命を吹き込まれたような」

「そ、それは言い過ぎではないでしょうか」

「とんでもありません。奥様はもっと、自信をお持ちになってください。私達使用人も含め、皆が心から祝福しているのですから」

 以前もクイネ先生に褒められて、恐縮に思ったことがある。パーティーでご友人に会った時もそうだったけれど、旦那様を想っている方達を騙しているようでいた堪れない。

「それになにより、若旦那様のご様子が以前とまったく違います。表情が穏やかになり、屋敷に帰ってくる時間も早くなって、毎日がとても楽しそうに見えます」

「……あはは、ありがとうございます」

 この場で自分を卑下してばかりいても、先生が困るだけ。言葉だけでも素直に受け取っておこうと、ぺこりと頭を下げる。それに社交辞令だと分かっていても、皆から祝福されていると言われて想像以上に嬉しくてたまらなかった。

「さぁ、大旦那様がお待ちですよ」

「は、はい!」

 そうだった、今は落ち込んだり喜んだりしている場合じゃない。旦那様の評価を落とさない為にも、いつも以上に気合を入れなくてはと、自分の頬をぱん!と両手で挟んだ。


 上質な雰囲気漂うラウンジにて、しっとりとした大人なアフタヌーンティーを大旦那様と共に嗜む。初めての二人きりで緊張していたけれど、八枚目のクッキーを口に放り込む頃には、すっかり普段の調子を取り戻していた。

「そうなんです、マグシフォン領は領主である父と領民との距離が近くて、陳情形式よりも直接話し合うことが多かったです。月に一度大庭園を開放して、母が主体となってティーパーティーやバザーを催したりもしていました」

「それはなんとも、理想的な体制だ」

「国に収める税収だけで見れば、非効率的なやり方なのかもしれません。ですが私は両親を尊敬していますし、領民の皆さんと気さくに交流出来るマグシフォン領がとても好きでした」

 ブルーメルの話を聞くのも楽しいけれど、こうして故郷に思いを馳せるのもまた感慨深い。大旦那様と若旦那様はよく似ていて、口数はあまり多くないし相槌もごく簡単なものだけ。

 広大な領地を統括する領主として、荘厳な雰囲気と威厳たっぷりの佇まいは、ともすれば怖いと感じてしまう。それでも私にとっては、穏やかに話を聞いてくれる大旦那様はお優しい気質の方だと思っている。

「すみません、私ばかり口を動かして」

「いや、構わない」

 口の水分がすっかり渇いていることに気付いて、ティーカップに手を添える。甘さ控えめのすっきりとしたハーブティーは新鮮で、鼻に抜ける香りも爽やかで美味しい。

「次は大旦那様のお話を聞かせてください」

「私の?」

「はい、お願いいたします!」

 本来なら先に大旦那様から話していただくべきだったのに、つい故郷や家族のことをこれでもかとお喋りしてしまった。こうして私をお茶に誘ってくださった理由が、必ずあるはずなのに。

 大旦那様は音も立てずにカップをソーサーに置くと、何かに思いを馳せているような感慨深い表情を浮かべて、静かに口を開いた。

「私の元妻は、もう十数年前に家族を捨て間男と共にこのブルーメルを出ていった後、その男に刺されて呆気なく命を落とした」

 それは、初めて聞くヴァンドーム家の事情。そんな深いところまで知ってしまって良いのかと少し戸惑いつつ、視線を逸らさずまっすぐに正面を見つめる。

「当時の私は裏切られたことに意固地になり過ぎて、二度と妻を迎えないと決めた。領地経営や国王の補佐に忙しなくほとんど家に帰れなかった私は、オズベルトの面倒をほとんど乳母に任せきりで、数ヶ月ぶりに顔を合わせてもほんの数分という日もざらだった」

「それは……、寂しいことですね」

 高位貴族が自分の手で子育てをしないのは珍しいことではない。これだけ広大な領地と大勢の領民の生活を維持する為には、計り知れない重圧と苦労がまとわりつくだろう。私や弟のケニーも乳母との時間が多かったけれど、優しくて愛情深い彼女が大好きだった。

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