第23話 旦那様の名演技
「王女殿下が旦那様をお慕いするお気持ちはよく分かりますが、私はこの方の側にいたいのです」
「フィリア……」
「どうか、今後の私の妻としての働きを見て、ご判断願えないでしょうか?殿下が相応しくないと感じたら、いつでも叩き出してください」
「フィリア……!」
二度目に私の名前を呼んだ旦那様の声色が感激に満ち溢れていて、そこで初めて自分が勢い任せにとんでもないことを口にしたのだと気付く。
白い結婚に胡座をかいて妻の役目も碌に果たさず、屋敷で虫を追いかけたり日向ぼっこをしたりして遊んでいるような私は、速攻でヴァンドームの屋敷を追い出されてもおかしくないのだ。
「いいでしょう!そこまで言うのなら、貴女がどれだけ立派に妻としての役目をまっとうしているのか、一度この目で見させてもらうわ!」
「い、いえいえ。ヴァンドーム領はそれはそれは王都から離れておりますので、王女殿下のお体に負担がかかってしまうのではと」
「平気よ、私体は丈夫だから」
ふんと鼻を鳴らしながら腕を組んで、挑戦を受ける気満々の表情を浮かべている。
これはまずいことになったと旦那様に目で訴えても、彼は心ここにあらずといった様子でぽーっと空を見つめていた。
「アンナマリア王女殿下」
と思いきや、彼は一瞬できりりと表情を変える。腰に手が回ったままなのでやんわりと離れようとするも、ぐっと力を込めて阻止された。
「我がブルーメルへお越しくださるのは大変光栄ですが、私達夫婦は現状に満足しています。フィリアは素晴らしい妻ですし、これから先誰に何を言われようと離縁する気はありません」
「そ、それは言い過ぎ……、むぐ!」
せっかく不穏な雰囲気がなくなったのに、私の口はすぐに余計なお喋りをする。嘘を吐かせるのは心苦しいけれど、ここを穏便に切り抜ける為には仕方のないことだ。
「ありがとうございます、旦那様」
「本当のことだ、礼を言う必要はない」
紫黒の瞳が優しく揺れて、まるで私を本当に想ってくれていると勘違いするほど慈愛に満ちた表情を浮かべる。
思わず心臓がぎゅうっと締め付けられて、一瞬演技であることを忘れてしまった。
「あ、あはは」
「いやだ貴女、変な顔で笑わないで」
「す、すみません」
変な笑顔は不敬にあたるのだろうか、いや今はそれを気にしている場合ではない。旦那様の態度がますます演技の域を超えていて、もしやあの花の効果が強まっているのかもしれないと、心配になる。
私のせいじゃないと言いたいところだけれど、おかしくなっていく旦那様を見ているのは辛い。
後できちんと話をしなければと思いながら、熱い頬を隠すようにふいっと横を向いた。
とりあえず、第五王女殿下は一旦引き下がってくれたようだ。終始不満な顔を隠さず、真っ白で柔らかそうな頬をぷくっと膨らませる様は可愛らしくて、何度か触ってしまいそうになった。
プライベートサロンを出てから第三王女殿下にお祝い申し上げて、しばらくの間はパーティー会場にて歓談していた。けれど案の定令嬢達の艶かしい視線がぐさぐさと突き刺さり、一旦は戻っていた旦那様の顔色が再びコオロギになり始めたので、私は体調の悪いふりをして彼と共に早々にその場から立ち去ることにしたのだった。
「すまない、フィリア。王女殿下のことといい、君には迷惑をかけてばかりだ」
がたごとと馬車に揺られながら、煌びやかな王宮がだんだんと小さくなっていくのを、視界の端でぼんやりと見つめている。
正面に座る旦那様はがっくりと肩を落としていて、何か私に出来ることはないだろうかと頭を悩ませた。思っていた以上に旦那様は大人気で、毎日毎日あんなにねっとりとした瞳で見つめられたら、気分が参るのも無理はない。
もしも同じ立場だったとしたら、女性が苦手になってしまう気持ちもよく分かる。私の場合は状況が百八十度違ってもそうだったのだから、自分がいかに甘えた考えだったのかを改めて痛感して、申し訳ない気持ちになった。
万が一にも、私があの令嬢達と同じ目で旦那様を見つめてはいけないと自身に言い聞かせ、手を伸ばしてそっと彼の背中をさする。
「白い結婚とはいえ、今の私達は夫婦です。迷惑だなんて思わないけれど、取り繕う必要もないんですよ」
「……フィリア、ありがとう」
「王都の屋敷に着くまで、ゆっくりと休まれてください」
にこりと笑いながら座り直そうとしたけれど、くいっと手を引かれそのまま彼の隣にすとんと腰を下ろす。
「君の優しさに甘えてもいいだろうか」
「えっ、あ、あの」
「少しだけ、こうさせてほしい」
旦那様の柔らかな髪が、微かに私の耳をくすぐる。左肩に感じる重みを嫌だと感じないのは、旦那様の吐息が静かで落ち着いているから。
「フィリアの側は、安心するな」
「……でしたら、良かったです」
私はちっとも安心しないどころか、今にも倒れてしまいそうなくらい緊張しているけれど、彼の顔色がコオロギから人に戻る為なら、鼓動のひとつやふたつ止めてみせる。
「旦那様は本当に苦労なさっていらっしゃるのですね」
「僕がもっと上手く対応出来たらいいんだが」
「あれは誰でも無理ですよ。旦那様は悪くないと思います」
第五王女殿下の恋心は私からすれば微笑ましかったけれど、少女とはいえあの方は正真正銘王族だし、結婚を迫られたら重圧を感じてしまうだろう。
正直な気持ちを言えば、あの場にいた令嬢達や殿下と私を比べて、勝っているところなんてひとつも思い浮かばない。だとすればやっぱり、メリットは白い結婚という点と、後はジャラライラの花香のせい。
自分から本当に異性を惑わす香りがしているのかどうか怪しいけれど、少なくとも旦那様には効いているらしい。
「私はこれからも、旦那様にとっての安全地帯であり続けます。ですから、大舟に乗ったつもりでどうぞお気軽に寄りかかってください!」
「ははっ、我が妻は頼もしいな」
彼の心地良い声色が普段とは別の場所から響いて、なんだかくすぐったい気分になる。異性に慣れていない私の心臓はずっと煩いままだけれど、旦那様に悟られないよう必死で平静を装った。
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