第22話 若いって素晴らしい
「あと七年ほど待ってくだされば、私は貴方の妻を完璧に努めてみせます」
「そんなに待てません」
「では、その時になったら離縁して私を選ぶと約束してください!」
王女殿下の猛攻は続き、遂に私を押し退け旦那様の隣に腰掛ける。こういう場合はどうするのが正解なのか、またしても難問にぶち当たってしまった。
「おどきなさい!オズベルト様の隣は私のものなのだから!」
「あ、はい。すみません」
「妻に失礼な態度を取るのは止めてください!」
「嫌ったらいや!妻なんて、私は絶対に認めないいぃ‼︎」
とうとう地団駄を踏み始め、旦那様は深い溜息を吐く。なんだか頭を撫でたい衝動に駆られたけれど、幼いとはいえ王女殿下に対してそんなことは出来ない。
「ちょっと、何笑っているのよ!貴女、私を馬鹿にしているの⁉︎」
「まさか、そんな!ただ、羨ましいなと思いまして」
「は?羨ましいですって⁉︎」
彼女はぴたりと足を止めると、ぎろりと私を睨めつける。ちらりと旦那様に視線を向けると、彼の頬も興味深そうにぴくりと反応していた。
「好きな相手に対してそんなにもまっすぐにぶつかっていける王女殿下は、本当に素敵です。私の中には生まれたことのない感情ですので、余計にそう思うのかもしれません」
「何を言っているの?貴女はオズベルト様の妻でしょう⁉︎私の一番欲しいものを手にしているじゃない‼︎」
確かに、立場だけで言えばそうなる。殿下からしてみれば私の方が恵まれて見えるのは最もだし、貴族間での愛のない結婚は珍しくも何ともない。
「ううん、説明が難しくて……。たとえば、世界で一番美味しいステーキが目の前にあったとして、私はそれを食べることが出来る。だけど、鼻も目も耳も塞がれて、感じられるのは味覚だけ。それでも確かに食べたと言えるけれど、こちらとしては五感すべてで堪能したいというか、ただ口に出来たらそれで満足出来るかと聞かれたら本当の意味では出来ていないわけで」
「私は一体、長々と何を聞かされているの」
すん……と真顔になった王女殿下は、色のない瞳でこちらを見つめている。彼女の好物は肉ではなかったかと、私は再度熟考した。
「では今度は世界一美味しい魚が目の前にあったとして……」
「例える食材を変えればいいということではないのよ!」
きんきんとした金切り声も、まだ幼い少女が出すとどこか可愛らしい。こんな美少女に愛されて旦那様は幸せだなと思うけれど、それは私の立場だから言えることで、色々と事情のある旦那様の気持ちを、知り合って間もない私が分かったような口をきくのは間違っている。
「フィリア」
旦那様が私の名を呼んで、じっとこちらに視線を向けている。なんだか捨てられそうな犬みたいに震えているように見えて、思わずうっと後ろにのけ反りそうになった。
「僕は君にとって、味しか取り柄のないただの肉塊?」
「えっ?そ、そういう意味での発言ではなくて」
「いや、いいんだ。元々悪いのは僕だし」
これ見よがしに落ち込まれると、物凄く失礼なことをしてしまったような気分になる。ただ王女殿下に落ち着いてほしかっただけなのに、旦那様を傷付けてしまうなんて。
「ごめんなさい、旦那様。私、結婚してから毎日が幸せです」
「美味しい食事が食べられるから?」
「それも含められていることは否定できません……。ブルーメルが大好きなので」
馬鹿正直にしか答えられない自分が、なんとも情けない。ここは前言撤回して「旦那様大好き!」とでも言っておいた方が良かったのかもしれない。彼が私をこの場に同伴させたのは、自分には妻という存在がいるから気持ちには答えられないと示す為。
もしかしたら、この方の猛攻を躱したくて婚約すっ飛ばして結婚などという暴挙に出たのだろうか。
「そうだな。思えば君は、最初から彼の地を気に入ってくれた。外見や能力を褒められるよりもずっと、嬉しくて堪らなかった」
「そんなにも素晴らしい容姿をお持ちなのですから、それに惹かれるのは当然のことではありませんか!それを差し置いて、領地を褒めるなど……!」
「私にとっては最高の言葉でした」
きっぱりと言い切るその表情は凛々しくて、思わず視線を奪われる。目が合った瞬間微かに微笑まれ、なぜか反射的に逸らしてしまった。
旦那様は立ち上がると私の目の前にやって来て、それはもう自然に腰元に手をやった。
「今夜は第三王女殿下の生誕パーティーという良き日です。どうか不穏な話題は抜きにして、純粋にお祝いを申し上げたいと思っております」
「ふ、不穏な話⁉︎」
「新婚夫婦に別れろなどと、不穏以外の何者でもありません」
段々と顔が険しくなっていく旦那様に、私はおろおろと慌てるだけ。確かに発言を許されたけれど、彼が不敬罪で裁かれたらどうしようと、気が気じゃない。
覚悟を決めた私は、ことりと旦那様の肩口に頭を預けると、上目遣いに彼を見つめる。仲睦まじい夫婦作戦決行だ!と、頭の中で拳を高く突き上げた。
「そうですね、旦那様。私達、ブルーメルでとっても仲良く暮らしていますものね」
「えっ?」
「自領を大切に思っていらっしゃる旦那様は、本当に素敵です」
精いっぱい可愛い令嬢のふりをして、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。さして長くもない睫毛が忙しなく上下して、慣れない上目遣いにそのままぐるんと白目を剥いてしまいそうだった。
仲良し夫婦は誇張だけれど、旦那様を素敵だと感じていることは嘘じゃない。ブルーメルの歴史や風土や、他にも色々な話を聞かせてくれる彼の表情は穏やかで、慈愛に溢れていて、こちらまで胸が温かくなる。
私の父も領地や領民を大切にする人だから、なんだか懐かしさを感じてしまう。もちろん、広大なヴァンドーム領とこじんまりしたマグシフォン領では責任も重圧も桁違いで、一括りにするのは失礼かもしれないけれど。
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