第20話 オズベルトの良き?理解者

 普段好き勝手していても、私にも一応の分別はある。こういう場所ではダンスと歓談がメインで、食事を貪っている紳士淑女はほとんどいない。女性は、特にそれが顕著だった。

 いつもより何倍もの力でコルセットを締めているせいもあるのかもしれないけれど、私のお腹の虫はそんな事情を考慮してはくれない。

 こうなることは分かっていたから、出立前にお屋敷でマリッサがたくさん食べさせてくれたのに。

「お腹空いた……」

 誰にも聞かれないよう、ベルベットのカーペットに向かって話しかけた。

「どうした?人酔いしたか?」

 隣に立つ旦那様は、先ほどの様子が嘘のように凛としている。きらきらと輝くシャンデリアの光を、彼の紫黒の髪が取り込んでいる。私の顔を覗き込む瞳も同様で、吸い込まれてしまいそうなくらいに魅力的だ。

 それに加えて次期辺境伯という大き過ぎる肩書きを背負っているのだから、女性達が色めき立つのも納得出来る。私と同じで社交の場にはほとんど顔を出さない方らしいから、幻の妖精が秘境の地から現れたような付加価値もついて、必要以上に騒がれてしまうのだろう。

「私は平気です。旦那様は?」

「僕も落ち着いた。君のおかげだ」

 柔らかく目を細められると、なんとなく居心地が悪い。だって私はまだ、なんの役にも立てていないのだから。

 それにしても彼はきょろきょろと視線を彷徨わせながら、決して私の傍を離れようとしない。それどころか、続々と参加者が増えるにつれてさらに距離が縮まっているように感じるのは、果たして私の気のせいなのだろうか。

「やぁ、ごきげんよう。久し振りのパーティーは楽しんでいるかい?」

 その時、旦那様の肩にぽんと手が置かれる。その男性はすぐに私に気が付いて、にこりと人当たりの良い笑みを浮かべた。

「初めまして奥様、お噂はかねがね。僕はオズベルトの親友テミアン・セシルバと言います。セシルバ侯爵領はブルーメルに隣接していて、家同士が友好を結んだ仲なんだ。だから昔から、よく一緒に遊んでた」

「まぁ、そうなのですか。初めまして、セシルバ様。私は、フィリア・マグシフォンと申します」

 母から叩き込まれたカーテシーを披露しながら、優雅に挨拶してみせる。その瞬間、セシルバ様だけでなく旦那様までもがこれでもかと目を見開いた。そんなに私のカーテシーが完璧だったのかと、自分の才能に震える。

「……フィリア。君はもう、マグシフォンではない」

「えっ?あ、ああ!そうでした!私も旦那様と同じヴァンドームでした!」

 それで二人は驚いていたのかと、勝手に勘違いした自分を大いに恥じた。そういえば、結婚してから公式の場で誰かに名乗るのは初めてかもしれない。今後は気を付けねばと、心の頬っぺたをぎゅうっとつねった。


 セシルバ様は場をとりなすようにこほんと咳払いをひとつして、改めて私に視線を合わせてくれる。旦那様よりも小柄ですらりとした、甘いマスクの優しそうな人。薄茶の瞳はくりくりとしていて、睫毛は私よりも長くてふさふさ。金色の髪はとろりとした蜂蜜のようで、見ているとさくさくのパンが食べたくなってくる。もともと空いていたお腹が、とうとう悲鳴を上げそうになった。

「どうした、フィリア?」

「あ……、申し訳ありません」

 さっきから、旦那様に心配をかけてばかり。パートナーを引き受けたからには、最後まで使命をまっとうしなければ。

「あのオズベルトが、女性に気を遣ってる……。実際目にすると、なんだか感慨深いものがあるね」

「……余計なことは言わなくていい」

「これでも僕は心配していたんだよ。大切な親友が、愛を知らないまま一生を寂しく終えてしまうんじゃないかってさ」

 可愛らしく片目を瞑ってみせるセシルバ様に、旦那様はちっと舌打ちをしながらも本気で嫌がっているようではなさそうだ。親友という言葉を否定しなかったし、二人は本当に仲が良いんだと、ほっこりした気分になる。と同時に、そんな人を騙しているみたいで心苦しくもある。

 セシルバ様は、私達が白い結婚であるということを知らないのだろうか。余計な口を挟む気はないけれど、勘違いされたままで旦那様が嫌な思いをしませんようにと、ちらりと彼に視線を移した。

「ひょわぁ!」

 瞬間、淑女らしからぬ……、というより人らしからぬ声が腹から出てしまい、思わずぎゅうっと唇を真一文字に縫いつける。だって、急に手を繋がれたものだから驚いて心臓が止まりそうになってしまった。

「だだだ、旦那様⁉︎手を繋ぐ相手をお間違えでは⁉︎」

「一体誰と間違えていると?」

「セ、セシルバ様とか」

「冗談でも止めてくれ」

 心底嫌そうな顔をされたので、とりあえず謝っておいた。

「ま、まさか君……。僕相手に牽制を?それも、手を繋ぐなんていう子どもでも選ばないような方法で?」

「煩い、馬鹿野郎」

「いやぁ、実に可愛らしいなぁ!」

 険しい表情の旦那様相手に物怖じひとつしないで、目尻に涙が溜まるほど大笑いしているセシルバ様。なぜ急にこんなことをしたのか、それは白い結婚のことを友人に知られたくないからだと思い至った私は、その心意気を全力で汲むと決めた。

 きゅっと手を握り返し、旦那様に向けてにこりと微笑む。淑女の笑みを習得したのは、そうしなければ母に出来るまで顔をむにむにと摘まれ続けたから。あれは辛かったなと、遠い日の記憶に思いを馳せた。

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