第19話 それは恋なんかじゃない

「ずばり、私の匂いよ!」

「えっ、マニアック」

「いや違うから!」

 マリッサの言葉に、私はすぐさまツッコミを入れた。

「なんでも私の肌には、人を魅了する花の香りがついているって旦那様に言われたの」

「へぇ、そうですか」

「反応が薄過ぎる」

 なんでもないことのように受け流す彼女に、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「私も詳しくはありませんが、どうやら侍女達の間でもほとんど知られていないようです。あの花は摘み取った瞬間に枯れてしまい、加工品にすることも出来ない。遺香では効果がなく、そもそも証明のしようもありません。ヴァンドーム家の方々は、皆様美形ですから」

「確かに、誘香の必要なんてなさそうよね」

「それを抜きにしても、若旦那様が女性関係で相当なご苦労をなさったことは、屋敷の使用人からも聞きました」

 だけどそうなると、私の推理が外れてしまう。旦那様が私を構うようになった原因は、これ以外に考えられないのに。

 ジャラライラの香気にどんな効果があるのかは分からないけれど、私はまだ新参者でヴァンドームについては詳しくない。理由はどうあれ彼が今まで辛い思いをしてきたことは事実だし、あまり深く考えるのは止めておこう。

 というか、屋敷に勤める侍女でさえ知らないことをマリッサが知っているのは、どうしてだろう。さすが冷静沈着な万能侍女だと、しみじみ感心してしまった。

「とにかく、旦那様は私の肌に香りがついていると勘違いなさっているのね。つまりは、刷り込みみたいな」

「なるほど。そうであればまだ納得が出来ます。あのふざけた手紙と結婚宣誓式での態度には、余憤を感じたままですから」

「あらら、マリッサはずっと怒っていたのね」

「当然です」

 彼女の優しさに感動しつつ、この話はこれでお終い。

「この結婚に幸せを感じているのは、今のところ私だけなのよね。だから、私が旦那様の盾になれたら良いなって」

「フィリア様に幸せを与えているのはあの方ではなく、ブルーメルの環境では?」

「それも、結婚しなければ受けられなかった恩恵だもの」

 パーティーは裸足で逃げ出すくらい苦手だけれど、誰かの為だと思えば頑張れる気がする。

「だから今日は、うんと可愛くしてね!」

「ご心配には及びません。フィリア様は、そのままでとてもお可愛らしいです」

「マ、マリッサ⁉︎」

「すみません、少々身内贔屓が過ぎました」

 失礼なことを言われたような気がしないでもない。まぁ私と彼女の仲だし、事実なので仕方ない。

 後のことは彼女のテクニックに任せて、私は今夜パーティーで振る舞われる夕食の献立に心を馳せたのだった。


「驚いた、フィリア。よく似合ってる」

「ありがとうございます、旦那様」

 さすが万能侍女の手腕は素晴らしく、普段日焼け対策すらそぞろな私の肌を艶々に輝かせて、地味顔が素敵なドレスから浮いてしまわないくらいには、きっちりと奥様風に仕上げてくれた。

 旦那様からプレゼントしてもらった山吹色のドレスはとても可愛らしく優美で、着用者が私なんかで良いのかと縮こまりたい気分だけれど、ここまで来たらもう腹を括るしかない。

「なんだか、まだヴァンドームのお屋敷にいるみたいですね」

 ところどころに散りばめられた花の刺繍を指して、私は冗談めかしてそう言った。ところが旦那様は、やけに真面目な表情でこう返してきたのだ。

「本当に、フィリアはどこにいても花のように明るくて目を惹く存在だな」

「えっ。い、いやそうじゃなくて……」

「さぁ、行こう。出来ればエスコートさせてほしいんだが、構わないか?」

「は、はいもちろん」

 この勘違いは非常に恥ずかしい。でも今さら否定しても過剰反応だろうし、旦那様は涼しい顔しているし、流しておくのが正解かもしれない。

 自然に出された右腕に、そっと手を添える。こうして並ぶと改めて身長の差を感じて、なんだか余計に緊張が増す。私はもともと背の高い方だし、今日はヒールを履いているから余計に目立つ。それでも旦那様の視線は見上げる位置にあるから、そう考えると凄い。

「見て、オズベルト・ヴァンドーム様よ!」

「滅多にお姿を拝見出来ないものね、まるで霞のようだわ!」

「ああ、なんて素敵なのかしら。まっすぐに立っていられないくらい、今にも倒れそう」

 これは、予想以上だ。旦那様が登場するや否や、この大広間でよくそんなにすぐ気付けるものだと、感心してしまった。そして、今にも倒れそうだというご令嬢の安否が心配。

「……だから人混みは嫌なんだ」

 隣から蚊の鳴くような声が聞こえたので、ちらりと視線を移す。一見無表情に見えるけれど頬がぴくぴくと痙攣していて、歯が微かにかちかちと鳴っている。

「旦那様、大丈夫ですか⁉︎寒いですか⁉︎」

「いや、むしろ今すぐ燃え尽きて灰になりたい」

「だ、旦那様⁉︎」

 冷静な彼がそんな風に言うなんて、これは相当参っている証拠。どう行動するのが一番良いのか数秒考えた結果――。

「だ、旦那様!見てください、人が大勢います!シャンデリアも豪華だし、楽団の生演奏も素敵だし、さすが王宮ですよね!これはもう、食事も美味しいに決まっています!」

 ただ、大声を出して注意をこちらに引きつけるという戦法しか思いつかなかった。ずいっと胸を張って、彼を覆い隠すように背伸びをしてみせる。

「フィ、フィリア……?」

「大丈夫です、私の背中に隠れてください!」

 さっき、旦那様の背の高さを再認識したばかりだけれど、顔くらいはなんとかなるかもしれない。背が高いことをメリットに感じたのは、きっと生まれて初めてだ。

「それとも走って逃げますか?私歌いますから、その隙に……」

 こそこそと耳打ちしながら、何かいい案はないだろうかと頭をフル回転させる。旦那様は一瞬驚いたように目を見開いていたけれど、そのうちにふっと小さく噴き出した。

「ありがとう、大丈夫」

「ですが、お顔の色がコオロギみたいです」

「ははっ、そうか」

 あわあわと慌てる私と、反対になぜか冷静さを取り戻していく旦那様。いつの間にか彼の体の震えは止まっていて、左手でぐっと襟元を正すとまっすぐに前を見据えた。

「情けない姿を見せて、すまない」

「誰にでも苦手なものはありますよ」

 そういえば、私はパーティーが嫌いなんだった。旦那様の様子があまりにも辛そうだから、自分のことはすっかり頭から抜け落ちていた。

「行こうか、フィリア」

「は、はい!」

 本人が平気だと言うなら、これ以上追求する必要はない。また調子が悪くならないようしっかり様子を観察しなくちゃと、私もふんと鼻を鳴らして気合いを入れ直したのだった。

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