第2話 適当という名の運命

「あ、貴女って人は……」

 母は頭を抱えながら、まるで支えを失ったようにふらふらと体をよろけさせる。

「奥様、どうかお気を確かに」

「ああ、マリッサ。貴女にも苦労をかけるわね」

「お気になさらないでください。私はいつ何時も、奥様の味方です」

「なんて素晴らしい子なの……!」

 悲劇のヒロインよろしく、目元にハンカチを当てる母。マリッサはマリッサで、そんな母に同情の熱い視線を注いでいた。

「な、なによ二人して!だって、しっかり読み込んだって決められないんだもの!もう、こうして選ぶより他はないじゃない!」

 迷った時には、これが一番最強なんだから。

「絵姿だけご覧になっては?顔は大事ですよ」

「自分が大したことないのに、相手だけ素敵だったら嫌だわ」

「おや、意外とまともなご意見」

 マリッサは、一体私をなんだと思っているのやら。だけど、彼女のこういう嘘を吐かない正直なところが、私は大好きなのだ。

「確かに、それもそうですね」

 にしても、ここは嘘でも良いから否定してほしかった。

「まぁ、良いわ。どの殿方を選んでも家柄身分共に申し分ない男性だから。むしろ、こちらが申し訳ないくらいよ」

「そうですよ、お母様。不良債権の押し付けはいけません」

「どの口が言うのかしら」

 至極まともな意見を述べたのに、ウジでも見るかのような視線を向けられてしまった。

「私の娘は、どこに出しても恥ずかしくないわ。不良債権なんて無粋な表現は辞めてちょうだい」

「お、お母様……」

 普段怒ってばかりでも、実はそんな風に思ってくれていたのかと、じいんと胸が熱くなる。

「どう、マリッサ。今の台詞、慈母ぽかったかしら」

「ええ、奥様。とてもそれらしくて素敵でした」

 二人の会話で、一気に氷点下まで胸が冷えました。思っても口に出さないでほしかった。

「とにかく、本当にその方で良いのね?中身すら見ていないけれど」

「女に二言はありませんわ!運命の女神が、この方を選べと私に囁かれたのです!」

「ただ適当に決めただけじゃない」

 どちらにしようかな、天の神様の言う通り。は、決して適当なんかではない。

「まぁ、良いわ。気が変わらない内に、さっさと先方へお伺いしましょう」

「えっ、行くの?」

「……おばかさん」

 コルセット、パニエ、お化粧、整髪。考えただけで、クローゼットに閉じこもりたくなった。

「まぁ、良いわ。旦那様となる方に、交渉すればいいだけの話ですもの。たくさん愛人を作っても構わないから、私を自由にさせてくださいって」

「今、とんでもなく聞き捨てならない台詞が聞こえた気がするわ」

 私の心の呟きは、いつも勝手に外へと飛び出す。無表情でゆらりと立ち上がった母に向かって、どうにか誤魔化そうと選んだ釣書を掲げた。

「ほ、ほらほら!中を見ましょう、お母様!」

「そうね。まずはそこからね」

 しぶしぶ座り直した彼女に、私はほうっと胸を撫で下ろす。表紙を捲ろうと手を掛けたその瞬間、ばん!と勢いよく扉が開いた。


「た、た、大変だ!」

 血相を抱えて飛び込んできたのは、父であるレイモンド。我がマグシフォン子爵家当主であり、厳格な……とは程遠い、貴族間の結婚にしては珍しく妻の尻に敷かれている温和で気弱な性格の人。

 さして広くない領地は、その人柄に支えられているといっても過言ではない。時には領民に紛れて鍬を持つようなこともあり、その度母に叱られている。しかも、母が怒ると嬉しそうなのでちょっと怖い。

 私や弟のケニーにも甘いとよく注意されているけれど、そんな父が私は好きだった。

「どうされました?そんなに急いで」

 母が立ち上がり、父の汗をハンカチで拭う。まるで手のかかる子供のようだと思いながらも、二人の仲の良さは素直に微笑ましい。

「じ、実は今しがた、フィリアに結婚の申し込みが届いたんだ」

「何ですって、結婚?」

「ああ、そうだ。婚約すっ飛ばして、即結婚がしたいのだと!」

 さすがの母もこれにはあんぐりと口を開け、父は滝のような汗をかき続けている。唯一表情が変わらないのは、いつでも冷静な侍女マリッサだけ。

 当の私はというと、その話を聞いてキュッと唇を尖らせた。

「もう。せっかく、大変な思いをして旦那様を決めたっていうのに」

「お黙り!貴女は口を挟まないでちょうだい!」

 どうやら母は、現在大混乱中らしい。黙って口を噤んでおいた方が、無難だと判断した。

「それにしても、婚約期間なしに結婚だなんて。話が急過ぎませんこと?」

「実は、釣書は既に受け取っている。その時はまだ婚約という話だったのだが、我が家とはどう考えても差があり過ぎたからな。折を見て断るつもりでいたんだ。まさか、向こうも本気とは思わなかったし」

「本気でないのに婚約の申し込みを?」

「いや、数打ちゃ当たる戦法かなって」

 なんなんだ、それは。私は試し撃ちの的じゃないと言いたい。仮にそうなら、娘を蔑ろにしたともっと怒ってほしいものだ。

「どうするのですか、旦那様」

「どうしよう、リリベル」

「落ち着いてくださいませ」

 おろおろと慌てふためく父を、母が慰めている。そして突然、きっ!とこちらを睨めつけた。

「貴女のことなんだから、ちゃんと意見を述べなさい!」

「理不尽過ぎるわ!」

 落ち着いた方がいいのは貴女だと、突っ込みを入れたくなった。

「お嬢様は、どうなさりたいのですか?」

「そうねぇ。とりあえず、選んだ釣書でも見ようかしら」

「はい?」

 マリッサは怪訝そうな顔をするけれど、だってせっかく選んだのだしどんな方かくらいは知りたいと思うのが人情というものだ。きっともう、ご縁はなくなってしまうのだろうけれど。

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