第29話 熟睡が特技なのに

「くれぐれも旦那様には内緒にしてください!」

「だけど、フィリア一人でちゃんと説明できるだろうか」

「それは私自身も大いに不安です」

 とにかく、ヴァンドーム家に確執が生まれる事態だけは避けたい。口を開けば余計なことばかり、口を噤んでいても顔がうるさい(マリッサ談)私が、こんなに重要な話を上手く伝えられるのだろうか。

「というよりもまず、無断でセシルバ様に話してしまったことを一番に謝罪するべきでは……!」

「それは後回しでいいんじゃないかな。フィリアは、オズベルトを想っての行動しかしていないんだから」

 いつの間にかナチュラルにファーストネームを呼ばれているけれど、今はそれどころではない。潔くセシルバ様のお力を借りようと、懇願の瞳で彼を見つめた。

 顎に手を当てしばらく考え込む動作をした後、セシルバ様はぱっと晴れやかな顔でぽん!と手を叩く。

「分かった。僕がジャラライラの香りに誘惑されたふりをして、フィリアに迫ればいいんだ」

「何をどう考えたらそんな結論に⁉︎」

 私には絶対に思い付かないような突拍子もない言動に、顔中の毛穴がぶわっと開いた。と思う。

 セシルバ様は意地悪な笑みを浮かべて、可愛らしく肩をすくめる。ほんの少しこちらに顔を近付けて、ひそひそと内緒話のような口調で作戦内容を話し始めた。

「つまり、オズベルトが本当にフィリアに惹かれているかどうか確かめればいいわけでしょう?」

「それって、意味がありますか……?」

「君への態度がただの刷り込みなら、白い結婚として距離を取ればいい。もしオズベルトに気になる女性が出来た時は、それ相応の見返りをもらって身を引く。だけどもし、花の件なんか関係なくフィリアに好意を示すなら、それは彼が本当の愛を見つけたってこと」

 説明されればされるほど、頭がこんがらがって脳が捻れていく。私を本気で好きだなんて、そんなことあるわけがないのに。

「オズベルトが運命の相手に出会えたって、僕は信じてるよ。この間のパーティーでの振る舞いを見ても明らかだし、今日だって僕を牽制してた」

「だからそれは、私の肌に香花が移っていると思っていらっしゃるから、セシルバ様や他の方を誘惑しては迷惑が掛かると……」

「そもそも、フィリアから花の香りを感じること自体がおかしな話じゃないか」

 そう言われてみれば、確かにそうかもしれないけれど。

「私が毎日、庭園を走り回っては花壇にダイブしているから、物理的に香りが擦りつけられたのかも」

「あはは、だったらそれはそれでおもしろいね」

 可愛らしい顔に似つかわしくない豪快な声で、セシルバ様は手を叩きながら笑った。

「僕、会う前から君のことを知っていたんだ。噂程度だけど、社交界にも顔を出さずに領地で泥まみれになって遊んでいる風変わりな令嬢がいるって」

 ひとしきり笑った後、彼は爽やかにそう口にする。何も間違っていないけれど、そんなに素敵な表情で言う台詞じゃない気がする。

「そういえば、初めてお会いした時『噂はかねがね』とおっしゃっていましたよね。てっきり、旦那様から聞いた話だとばかり」

「まぁ、それもあるよ。だからずっと、フィリアのことが気になってしかたなかったんだ」

「それはつまり、珍獣を見てみたい好奇心というやつでしょうか?」

 嫌味のつもりはなく、私は素直な感想を述べただけ。セシルバ様は旦那様を大切に思っていらっしゃるみたいだし、いくらお飾りの妻でも誘惑なんてしてくるはずがない。

「君って本当、斜め上の発想ばかりでおもしろいなぁ!」

「普通は嘘でも否定なさりません?」

「あはは!」

 再びツボに入った様子の彼は、形のいい目元に涙を浮かべながらひいひい笑っていた。


 まるで激しい運動でもした後かのように、ぜえぜえと息を切らしているセシルバ様を、私は変な顔で見つめる。場をとりなすようにんんと咳払いをしてから、彼はようやく落ち着きを取り戻した。

「それにしても、フィリアは優し過ぎるよ。先に失礼を働いたのはアイツなんだから、少しくらい試すような真似をしてもバチは当たらない。それにもし僕が君の立場なら、聞かなかったことにして放っておくけどな」

「そういう問題ではありません。私はこのことで旦那様がショックを受けたり、大旦那様やバルバさんとの関係が拗れたりするのが嫌なんです」

 打ち明けてくれたのは、私を信用してくださったから。それを悪い方向に向かわせてしまうのは嫌だし、このままでいいとも思えないし、こうなったら親友様の提案に乗るより他はないと、半ばやけっぱちのような気持ちが芽生えてきた。

「大丈夫。僕だってオズベルトが大切だし、絶対に悪いようにはしないから」

「ありがとうございます、セシルバ様……」

「友の為なら、このくらいお安い御用さ。それから演技をするなら、これからはテミアンって呼ばないとね」

「はい、テミアン様!」

 まるで神に祈りを捧げるがごとく、自身の両手をぎゅうっと合わせて崇拝の瞳で彼を見つめる。きっとセシルバ様には私のような凡人には決して理解出来ない崇高な信念があるに違いない。

「完全に面白がっていらっしゃいますね」

「えへ、ばれちゃった?」

「んん……?」

 何やらマリッサとのやり取りで非常に不穏かつ不安な台詞が飛び出した気がしなくもないけれど、一度腹を括ったのだからとりあえず試してみるしかない。

 にこにこと笑うセシルバ様の向こうに、旦那様の分かりにくい笑顔を思い浮かべた私は、思わず胸の辺りをぎゅうっと握り締めたのだった。




 ♢♢♢

 翌日。結局あれから色んなことをぐるぐると考え過ぎて、旦那様の前でまったく普通に出来なかった。迎えに出た時ただでさえ変な態度を取ってしまったのに、これじゃあますます不信感を与えてしまう。私ってば昔から本当に、嘘や誤魔化しが下手だ。それで何度母に叱られたことか。まぁ、あれは淑女教育からすぐに逃げ出す私が悪いんだけれど。

「はぁ……。全然寝られなかった」

 夏の朝は太陽の起床時間も早く、庭園に出てみるとすでに地面がじりじりと焼け始めている。それでもここブルーメルは、王都やマグシフォンよりもからりとした過ごしやすい夏期らしいから、暑さを気にせず外で遊べると今からわくわくしている。

「おはよう、フィリア」

「だ、旦那様!」

 思えば、以前にもこんなことがあった。急にやって来た旦那様と、芝生に座って干し肉を食べた日。もっと寡黙で厳しい人かと思ったけれど、白い結婚のことで私が傷付いているのではと気にかけてくれた、優しい人。

「なぜここにいらっしゃるのですか?」

「うん?なんとなく、君がいるような気がして」

 朝の澄んだ日差しに照らされ、爽やかな薫風に遊ばれ、紫黒の髪がまるでクロアゲハチョウのように美しく舞い踊っている。ブラック・ダイヤモンドの化身のような旦那様が、こちらに向かって微笑んでいる。

 これは一体なんという名前の奇跡だろうかと真剣に考えてしまう私は、まだ頭の中が眠りについたまま夢を見ているのかもしれない。

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