第12話 お相手をメロメロにする花

「私には一生縁のなさそうな苦労です」

「それが、どうやら君にもジャラライカの香りがつき始めているらしい。まだ微かだが、僕に間違いはない」

「ええっ、本当ですか!」

 ということは、今日から私もモテモテのチヤホヤで、どんな男性でも無意識に魅了してしまう魔性の女に変貌を遂げてしまうと、そういうことなのだろうか。

「いやいや、ないない」

 思わず自分で自分に突っ込んでしまうくらい、あり得ない想像をしてしまった。胸も小さければ容姿も平凡だし、異性に好まれる要素がまったくない上に興味を持たれたいとも思わない。

 旦那様が嘘を吐いているようには見えないし、きっと苦労してきたのだろう。けれど、それがまるっと私に当てはまるとは到底考えられなかった。

「きっと、旦那様自身が魅力的だからというのも大きいのではないでしょうか?」

 私は女性にしては背が高い方だけれど、それでも彼の視線はずっと上にある。無意識に芝生を指でいじりながら、上目遣いに見つめた。

「確かに見た目が良いのは認める。それを差し引いても、花香がなければここまで悲惨な目には遭わなかった」

「私はこれまでの旦那様を存じませんので、軽々しいことは言えません。でも、きっと悪いことばかりではありませんよ」

「いいや、悪いことだらけだ。こんな体質は欲しくなかった」

 おお、これはなかなかに拗らせているなと、内心苦笑する。旦那様は心底嫌そうに顔を歪めていて、どうすれば少しでも気を紛らわすことが出来るだろうと考えた結果、変な顔して場を和まそうと思いつく。

「そんなに腹が痛いのか?屋敷へ帰るか?」

「えっ?違います、少しでも笑っていただこうかと」

 渾身の変顔は、ただ腹痛に悶えているだけだと勘違いされてしまった。

「じゃあ、これは?」

「食べすぎて吐きそうなのか?」

「じゃあ、これ!」

「幽霊を見てしまったのか」

 レパートリーがどれも通じず、わたしはがっくりと肩を落とす。そういえば、昔母から淑女教育をサボるなと追いかけられた時も、この顔をしたら大目玉を食らったなと思い出した。

「ははっ、もう良いから」

「ようやく笑ってくださいました!」

 失笑みたいな気もするけれど、笑顔は笑顔。とりあえず気を逸らすことには成功したと、ほっと胸を撫で下ろした。

「やはり君は変わっているな」

「そうなんです。淑女はどうにも、私には難易度が高くて。ですが、裕福な家庭に生まれ育ったことには感謝していますし、家族に迷惑はかけたくなかったので、結婚の提案をしてくださった旦那様には本当に感謝しています」

 ぺこりと頭を下げると、なぜか目をひん剥かれた。私とは違って、どんな顔をしても綺麗なんて凄い。

「もっと責められるかと思った」

「なぜですか?」

「サイコロで結婚相手を決めたと言ったし、そもそも結婚前に酷い内容の手紙を送りつけたし」

 旦那様は、どうやら律儀な性格の人らしい。正直なところ、私は釣書の中から「天の神様の言う通り」で相手を選んだことに、あまり罪悪感を抱いていなかったから。ラッキーくらいにしか思っていなかった私よりずっと、性格も良くて優しい。


 以前この話をした時も、なんとなく申し訳なさそうな雰囲気だった。渡りに船だと伝えたけれど、それでもまだ気にしているようだ。

「私は、旦那様に感謝しかありません。どんな理由であれ、こうしてお屋敷に住まわせていただいて、十分過ぎる生活をさせていただけています。それに、ブルーメルは本当に素敵な場所です。ここに来てたった十日ほどしか経っていないけれど、私はもうブルーメルとこのお屋敷が大好きになりました!」

 こんなに幸せで良いのかと思うくらいに、今の私は恵まれている。旦那様も、手紙や結婚宣誓式の時のイメージとは違って私を気遣ってくれているように感じる。

「ですから、どうか安心なさってください。旦那様」

「……君は最初から、僕をそう呼んでいたな」

「どんな形であれ、私達は夫婦ですから」

 本当は「旦那様って呼んでおけばなんかそれっぽいかな」という邪な考えなのだけれど、これはさすがに内緒にしておこう。

「この結婚は双方にとって利があるということで、旦那様が気に病まれる必要はないのです」

「……君は、優しいんだな」

「えっ?いえ、別に優しくはないです」

 むしろだいぶ自分勝手で、なんだか私の方が申し訳なくなってくる。

「白い結婚ではありますが、私でお役に立てることがありましたら、いつでもおっしゃってくださいね」

「フィリア……」

「では、私はそろそろ失礼いたしま」

 最後までセリフを言い切ることなく、再び旦那様に腕を引かれる。立ちあがろうとしていた私は見事にバランスを崩し、本日二回目の胸筋ダイブを体験する羽目になってしまった。

「どうだ、何も感じないか?」

「そうですね、地味に痛いですこれ」

「いや、そうじゃない。君は僕の香りを間近で嗅いでも、この間と同じように平然としているようだが」

 ああ、そういえば。旦那様の肌に染みついた花の香りが女性達を惑わせるんだったっけと、ちょうど目の前にあった胸元の辺りをくんくんと嗅ぐ。

「確かに、甘くて魅惑的な良い匂いがします」

「じゃあ、僕に抱かれたくなった?」

「ひゃい⁉︎そそそ、そんなこと蟻ほども思いませんけれど!」

 そっち方面に耐性のない私は、すぐさま彼から離れる。恥ずかしいというより、居た堪れなくなってしまうのだ。だって私は、女らしいところがひとつもないから。歳の割にお子様過ぎると、もう両耳が腫れるくらい母から言われてきた。

「それに、花の香りももちろん好きですけれど、どちらかというとお肉の焼ける香ばしい匂いの方がそそられてしまいます」

「に、肉だと……?」

「もしもそんな素晴らしい匂いを纏った方がいらっしゃったらとしたら、私コロッといってしまうかも」

 想像しただけで、涎があふれてくる。

「と、とにかく。君が僕の花香に惑わされないのであれば、こんなにありがたいことはない」

「任せてください、私なら大丈夫ですから!」

 どん!と胸を叩いてみせると、旦那様は至極真面目な表情で私を見つめた。


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