三月「嘘つきの魔法使い」⑨
病室の前に立つ。
「よし」
と両手を握り、自然と小さく気合いを入れている自分がいた。
ゆっくりとドアをスライドさせて、中に入る。中には北条先生と紫桐さんがいた。ベッドは頭のところが起こされていて、彼は二人と話をしているようだった。
三人がこちらを振り向き、私を見ている。
「悪いんですけど、杏さん以外、みんな席を外してくれると助かります」
彼が申し訳なさそうに言い、三人は静かに病室から出ていった。私はコートを膝の上に置いて、ベッドの横にあった丸イスに腰をかける。
「大丈夫?」
「うん、まあ……。悪くはないかな。悪くはないってことは、結構良いってことだ。みんな心配しすぎなんだよ」
「ごめんね、私、病気のこと知らなくて」
「いやいいんだよ、僕も、病気だとはそんなに思っていないから。それに、たぶん、もうじき治るんだ、そんな気はしている。それにしても……」
重苦しそうに下を向いたまま彼が口を開く。
「賀茂さんがいるっていうことは」
「うん聞いた」
「そうか、杏、ごめ……」
「ありがとう」
「えっ?」
驚いたように彼が顔を上げて、私をきょとんとした顔で見つめる。
「ありがとう? どうして?」
「ずっと、守ってくれていたんだよね」
「それは、でも、賀茂さんの指示で」
口ごもらせてシロはまた下を向いてしまう。
「春の話、ユートは言ったよね、いえ、言ったのはポチ、だったかな。動機なんてどうでもいいって」
それは幽霊事件を追っていたときだ。彼は動機からではなく、起こったことから真実を見つけるべきだと言った。
「ああ、そんな話もしたっけな」
「だから」
「だから?」
「動機がどうであれ、私は貴方が私を守ってくれたっていうことを信じるよ」
「僕は君を騙していたのに? 嘘をついていたのに?」
「うん」
困惑している彼にはっきりとうなずく。それでも彼は不思議そうにしていた。
「よく、わからないよ」
「ユートでもわからないことがあるんだね」
「わからないことばかりだ。僕は何もわからない」
皮肉っぽく言った私に、彼は真面目な顔で言う。
「いつか知られるのが、僕は怖かった。でもこのままつかず離れずでいるのが一番良いと思っていた」
「それは私も一緒だよ。今まで以上に近づくのが怖かった。近づこうとしたら、離れてしまうかもしれないと思ったから」
「似たもの同士、だったのかな」
「そうかもね」
どちらからともなく、そんな話をしていた。
「だから、賀茂さんは僕に託してくれたのかも」
「だから、お兄ちゃんはユートに任せたのかも」
「最初から、賀茂さんの思い通り、だったかな」
「最後まで、お兄ちゃんの思い通り、だったんだよ」
「まったく、酷い人だ」
「そう、とっても優しくて、とっても酷い人」
私と彼はそう言って、笑いあった。
「さっき、お兄ちゃんに『好き』って言ってきた」
「それで?」
「ありがとう、だって。ふられちゃったね」
「そう、でも言ったんだね」
優しく、彼が言う。
「うん、ねえ、もっとそっちに行っていい?」
「もっと? ってちょっと杏」
私はイスに座ったままの体勢から、体をベッド側に倒す。必然、青い入院着を着ている彼に覆い被さるようになる。
「それは、さすがに」
うろたえる声が耳元で聞こえた。
「いいじゃない、どうせ誰もいないんだし」
「いないっていうか……。困るよ」
ドアの向こう側には三人が待機しているはずだ。三人とももう帰ったとは思えない。
「三年は困らせるつもりだったのに……。だから今のうちにもう少し余計に困って、二年分は」
「わかったよ」
彼が私の背中をぽんぽんと叩く。
春の宣言を繰り返したせいか、どこかあの砂浜と同じ潮風の匂いがした。
「杏」
「何?」
「ちょっとアメリカに行ってくるよ」
まるでコンビニにでもおやつを買いに行くような気軽さで彼は言った。
「そっか」
「でも、帰ってくるから」
「いいよ」
「どうして?」
「私が行くから」
「大丈夫?」
笑いながら彼が聞く。その振動も私に直接伝わってきている。
「英語は、ユートよりは得意なつもりだよ」
ちょっとだけむっとして、私は返す。
たぶん彼とは対照的に泣いていただろう。
「そうだったね、ああ、それだけが心配だ」
相変わらず呑気な声で、彼が呟く。
「バカ」
「これからも馬鹿な僕をよろしく、杏」
「よろしく、ユート」
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