三月「嘘つきの魔法使い」③

 三月二日、曇天。

 卒業式も無事何事もなく終わり、執行部の一、二年生が主導で体育館の片付けをしている。残った生徒がガヤガヤと話をしながら紅白幕を畳んだり、イスを運んだりしている。

「杏さん」

「えっ?」

 イスを運んでいた私に、シロが声をかけてきた。

「そっちはもういい?」

「うん、これ運べば、あとはブラスバンドのところは自分たちでやるって」

「そう、良かった。今、時間ある?」

「あるっていえばあるけど、どうしたの?」

 シロは少し困ったような顔をして私を見ていた。

「話したいことがあるんだ、部室に戻る前に、杏さんには伝えておこうと思って」

「な、なに急に改まって」

 色々な想像がぐるぐると巡るが、何か言われることは思いつかない。思いつくとすれば、いいや、これは明らかに勘違いだから思考の中から削除しておこう。

「いや、ちょっと」

 彼の後ろについて行くまま、体育館の脇からグラウンド側の外に出る。今は外で部活をやっている運動部はないから外は静かだった。手入れされていないグラウンドは連日の雪で白く化粧をされている。

 空はところどころ鈍色で、弱々しく小さな雪の結晶が舞っている。

「ユート、寒い」

 コートを着ていない二人に、強くないとはいえ冷たい風が吹き付ける。

「うん、ごめん」

「いいけど、それで、話って? 入学式の話じゃないよね?」

「昨日決まったことなんだ」

「だから、何?」

 申し訳なさそうに、彼が下を向く。

「僕は学校を辞めることになった」

「え、は?」

 学校を、辞める?

「うん」

 あまりの出来事にあっけにとられている私に、彼は何でもないことのようにうなずいた。

「辞めるって、それってどういうこと」

「親の都合で、向こうに行くことになった」

「向こうって、アメリカ?」

「そう。アメリカ、マサチューセッツ」

 彼の父親はアメリカにいるらしいとは聞いている。それに母親もついて行っているので、彼は今一人で住んでいるのだ。

 頭が上手く回ってくれない。ゼンマイが切れたように、もやのかかったイメージが晴れない。

「いつ、から?」

「もうすぐ、今月中には。四月から向こうの語学学校に通って、九月には向こうの高校に通う予定」

 今月って言われても。

「そんな、いきなり」

「僕にとってもいきなりなんだ」

 それにしては、焦っているような雰囲気はどこにもない。

「紫桐さんは? みんなは知ってるの?」

「みんなはまだ知らない。芹菜は、親経由で昨日伝わっていると思う」

「嘘言わないで」

「……ごめん、昨日芹菜と直接話した」

「そう。いきなりなのも、嘘でしょ」

 冷静を装って私は彼を問い詰める。両手が震えているのは寒さのせいだけではなかった。目元が冷たくなっていくのは、地面から風で吹き戻されて舞う雪のせいだけではなかった。

 私は学校祭の直前に保健室で彼と紫桐さんが話していたことを聞いている。すでに彼の父親から留学の打診はあったはずなのだ。

「いずれは、という話だった。それを引き延ばしていたのは僕で、それについて親と色々とやり取りがあったんだ。高校卒業までは、というのが僕の希望だったんだけど、もちろん、それを言い訳にするつもりはないけど」

「そっか」

 私はただ首を縦に振る。

「ごめん」

「なんで謝るの?」

「いや、言わなかったこと」

「いいよ、そうなんでしょ」

「そうって」

「ユートにとって、私はそれくらいの人間ってことなんでしょ、いいよわかったから」

 自分でも何を言っているのかよくわからない。

「杏、そういう意味じゃない」

「じゃあどういう意味だって言うの?」

 声を張り上げないように、震える声に気がつかれないように、トゲのついたボールを投げつける。

「それは……」

 彼は言い淀む。

「ほらね、私は」

 言いかけて、私ははっとする。

「良かったね、好きにすればいいじゃない」

 続く言葉を打ち消して、彼の胸を冗談めかして叩く。

「じゃあ、残りの片付けやっちゃおう」

 彼を直視できなくなった私は背を向けて体育館に戻る。

 その日は、もう彼と会話をすることはなかった。

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