三月「嘘つきの魔法使い」④
三月三日、粉雪。
放課後、執行部で卒業式の反省会と来年度の申し送り事項を話し合っている。三年生はもういないので、部長の御堂先輩がほとんど一人で滔々と話しているだけだ。
向かいに座っているシロが何か言いたげな視線を送って来たが、私は無視をする。朝からずっとそんな調子だ。正直なところ、どういう顔をしていいのかわからず、昨日の夜から考え続けていた。なかなか眠りにつけなくて、結局は薬に頼ってしまった。
その強制的な眠りの中で、私は不思議な夢を見た。夢はだいたい不思議なものだから、そこはいいとして、私は誰かの葬列に並んでいた。気分が悪くて、すぐに夢のブレーカーを落として現実に戻ってしまったくらいだった。
そのおかげであまり睡眠を取れていない。今は彼以上に眠たげな表情をしているかもしれない。目元にクマができているのも見られたくない。そうか、どうせもうすぐ会わなくなるのだ、どうだっていいか。そう思わないとやってられない。
「では、以上とする。また来週、入学式についての打ち合わせを行うので各自資料を読み込んでおくように」
御堂先輩が会議を締める。
「お疲れ様でした」
くるみちゃんが立ち上がる。
「それじゃあ僕も帰ろう」
彼がちらりとこちらを見て言った。
「私は図書室に行こうかな」
私は応える。
「そう、じゃあ」
シロが荷物をまとめてドアへと向かう。その様子を見たくるみちゃんが、静かに駆け寄って来た。
「あの、お二人、ケンカでもしたのですか?」
ケンカ、か。他の人から見ればそう見えるのだろうか。
「そういうわけじゃないんだけど……」
適当に言葉を濁す。この感じだと、彼はまだ執行部には留学の話はしていないのだろう。だとしたら、私が言うことではない。
「そうですか、それならいいのですけど、あ、私も図書室行きます」
「じゃあ一緒に行こうか、リンゴさんも喜ぶだろうし」
「はい」
私とくるみちゃんが連れだってシロが今さっき閉めたドアを開ける。シロが帰るというのなら中央階段へ向かうはずだ。私たちは一階の図書室に行くため、部室に近い西階段を使うことになる。
「あれ」
声を上げたのはくるみちゃんだ。その方向を見ると、もういないと思っていたシロがいた。廊下をふらふらと地に足がついていないように歩いている。
「大丈夫なのでしょうか」
くるみちゃんもシロの体調がここのところ思わしくないのは知っている。
「私たちも中央階段から行きましょう」
揺れながら階段を降りて行くシロに追いつこうと早足で歩く。四階から二階まで降りたところで私たちは彼に追いついた。
「シロ、大丈夫?」
今日初めて、私はシロに声をかけた。彼が振り返りなんだか妙な顔をした。まるで、何か、得体の知れないものでも見たときのような驚きと不安が入り交じった表情だ。
「ああ、杏さんか、いや、僕は、別に」
ぶつ切りに話しながら、声のボリュームが落ちていく。それに合わせて、シロの全身から力が抜けていく。
「ああ、もう、夜か、どうりで、暗いわけだ」
私なんて見えていないのか、わけのわからないことを呟く。
そしてそのまま膝から崩れ落ちていった。
「ユート!」
「シロさん!」
頭を廊下の床に打ち付ける前に、すんでのところで体を支える。コートの重みもあって、かなり重い。
「ど、どうしましょう」
横に立っていたくるみちゃんがオロオロとしている。周りにいた生徒たちも何事かとこちらを見てくる。
「どうしようって……」
「ユウト!」
職員室のドアが開いて、走り寄ってくる姿があった。
クラスメイトでシロの幼馴染みの紫桐さんだ。
「どうしたの?」
彼女はメガネ越しに強い瞳で私に問いかけてくる。
「急に、倒れて」
「そう、わかった」
それだけで彼女は何かを理解したみたいだった。
「どうするの?」
「救急車を呼ぶ。かかりつけの先生がいるから」
彼女はケータイを取り出して、119ではない番号に電話をかけた。
かかりつけ?
しかもそれを紫桐さんは知っている?
「はい、お久しぶりです紫桐です。ユウトが倒れました。学校です。救急車の手配をお願いします」
彼女がてきぱきと電話の相手とやり取りをしている。まるで、いつかこうなることがわかっていたかのような手際の良さだ。
「はい、ありがとうございます白岩先生」
え、白岩先生?
白岩先生は私のここでの主治医だ。
つまり、精神科医だ。
精神科?
シロが?
電話を切った紫桐さんが私に向かう。
「救急車を呼んだわ。あとは任せて」
冷静に、それでいて私たちに質問をさせないような厳しさをもった口調で言った。
「どうした?」
いつの間にか私たちの背後に立っていたのは北条先生だった。表情を変えず、焦げ茶色の瞳で私たち三人を見下ろしている。
「ユウトが発作を起こして倒れました。救急車はもう手配しています」
「そうか、聞いてはいたが。私も連絡しておく」
「はい」
北条先生も事態を理解しているらしい。
何も知らない私とくるみちゃんは呆然と救急車を待ち続けるしかなかった。
「……お願い、誰か」
耳元でシロがぶつぶつと何かを言っている。完全に気を失っているわけではないようだ。
「どうしたの?」
シロ以外に聞こえないささやき声で問いかける。シロはもう私が支えていることも認識していないようだった。
「夜が……来るから……」
独り言を続ける。
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