三月「嘘つきの魔法使い」⑥

 三月五日、灰雪。

 雪がちらついていた。

 昨日のような吹雪ではないにしても、この寒さは体に堪える。

 シロはまだ眠ったままだ。お兄ちゃんによれば、数日はあのまま眠り続けるらしい。今日目覚めるのか、明日か、明後日か、いつかはわからないけれど、それほど時間がかかるものではないらしい。何が起こって、何が真実なのか、私には測りようもなかったけれど、そこはお兄ちゃんの言葉を信用するしかない。

 学校へはいつも通りに行った。紫桐さんも出席している。クラスメイトの桂花がシロのことも含めて心配してくれた。さほど大事にはならなかったけど数日は休むみたい、と曖昧に伝えておいた。

 放課後になって、私は一通のメールを受け取った。

 指定された場所に向かう、学校の近くにある駐車場も完備している大きなドラッグストアの前だ。近くにはシロと何度か通ったハンバーグレストランがある。

「よう、来ないかと思ってたぞ」

「卒業おめでとうございます、先輩」

「ん、ああ、ありがとう」

 店の前で立っていた先輩が笑う。中性的な顔つきに、何かを憂うような瞳の一ノ瀬先輩はつい先日卒業したばかりだ。今日はヘッドフォンを首に巻いていない。

「詳しい話は中でしよう」

「なか? 店の中ですか?」

「いや、こっちだよ」

 先輩が駐車場を指さす。その動きに合わせて、一台の車のエンジンがかかった。薄暗い中、店名の看板を照らすライトに反射して銀色に光っている。

「いつの間に免許を取ったんですか?」

「推薦取ってから暇だったからな」

 どうやら先輩は一般受験することなく推薦で大学を決めてきたらしい。

「あまり気が進まないんですけど」

「ああ、そうだな。俺は信用されてないからな」

「ええ、まあ」

 私の苦笑いに先輩も同じように返した。

「後部座席でいいぞ。運転もしない」

「それなら」

 渋々後ろのドアを開けて乗り込む。先輩は今しがたした約束を一応気にしてくれているのか、運転席ではなく助手席に座った。エアコンの暖かい風が吹いている。

「それで、どうしたんですか?」

「正義の味方のこと、聞いたぞ」

 先輩は、過去にあった因縁のためかシロのことを『正義の味方』と呼ぶ。

「先輩、卒業していますよね?」

「情報はどこからでも集まる」

 三年生は卒業式以降は学校には来ていないはずだ。国公立の後期試験を受験する人たちも、ほとんどが家で勉強している。それでも、なぜか先輩の元には様々な情報が集まる。情報こそ何より重要である、という彼の信念に基づくものらしい。

「そうですか、絹木先輩もいますもんね」

 絹木先輩は美術部の二年生で、たぶん、一ノ瀬先輩の恋人だ。たぶん、というのは私がそれを確かめたことがないからだ。それでも時々二人が一緒にいるのを見かける。去年の夏にあった出来事以来、彼らをセットで見る機会が多くなったのは、あれが何かしらのきっかけになったのか、それとも私が注意して見るようになったかのどちらかだろう。

「ああ、そうだな」

 それについては、素っ気ない態度で先輩は返した。

「さて、本題だが。おまじないの噂は聞いているのか?」

 おまじない、くるみちゃんが言っていたことか。

「はい、少しだけ」

「そうか、それな、そいつを解決しに行く」

 解決?

「ちょっとここ数日で噂の規模が大きくなりすぎた。もしかしたら、『本物』になるかもしれない。それだけは止めないといけない」

「本物ってなんですか?」

「ああ、だめだな、お前といると余計な口を滑らせてしまう」

「なんですかそれ」

「いや、『本物』っていうのは、言葉のあやだ。前に話したろ、『神様事件』」

「ああ、ええ、聞きました」

「おまじないシステムがその『神様事件』の本質だ。あいつはこの噂を知っていたか?」

 ちょうど数日前にくるみちゃんと話していたばかりだ。

「はい、でも、『偽物だろうから放置する』って。でも深く関わらないようにって」

「そうだ、偽物だ。それは間違いない。だが、偽物から本物が生まれる可能性もある。今、それが高くなり始めている。そう俺は推測している。いや、観察の結果だな。そうすれば、必ず被害者が出る、いやもう表面化していないだけで出ているのかもしれない。前は一人で済んだ。今度はどうかわからない」

 一人で済んだ、と先輩は言った。

 それは、私の友人である桂花の兄のことだろう。一ノ瀬先輩によれば、桂花の兄は表向きは自殺ということだが、神様事件の唯一の被害者として命を落としたことになっている。シロもそれについては同じ意見のようだった。

「実際のところ、俺も神様事件が何だったのか、最終的な目的と決着はわかっていない。探ろうとしても、情報の壁があるみたいなんだ。恐らく、あいつはそれに深く関わった、精神に影響が出るくらいにな」

 だから、今の状況がある、と先輩が付け加える。

 何もかもお見通しみたいだ。

「俺がここにいるのももうわずかで、肝心の情報源の一つの『正義の味方』は居眠り中だ。そこで、手早く解決するために手伝って欲しい」

「え、私がですか?」

「そうだ、今回ばかりは優秀なスタッフが必要だ。いくつかネタは掴んでいるが、一人でまかなうには時間が足りない」

「絹木先輩では?」

「いや、今適任なのはお前の方だ。なにせ『正義の味方見習い』だからな。本来なら『正義の味方』が最適任者なんだろうが、ピークを迎えそうなのがあと三日くらいだからな、あいつが起きるのを待っているわけにはいかない。でだ、『正義の味方』の『デッドコピー』であるお前の力が必要なんだ」

 デッドコピー。

「私が手伝う、そのメリットは」

「ない」

 あっさりと先輩が言う。

「今のところは、だ。だが、万が一、これが『本物』になった場合、お前の知り合いの誰かが被害に遭うかもしれない。一番危ないのは、言わなくてもわかっているだろう」

 桂花のことだ。もし兄が関わったものが再現されるとしたら、彼女に何らかの負担が生じてしまうだろう。どんなに平静を取り戻しているようにみえても、桂花はそういう子だ。

「脅迫、ですよね」

「そうとってもらっても構わない。まあ、大した作業じゃないさ」

「……わかりました」

「理解が早くて助かる。じゃあ、明日またここで、詳しいことは追ってメールする」

「はい」

「ついでだ、家まで送って行くか?」

「いいえ、一人で帰れます」

 助手席から後ろに振り向き、尋ねてきた先輩に暗がりで首を振る。

「そうか、気をつけてな。くれぐれも一人で調べようとするなよ。ネットの中もだ、何が潜んでいるかわからないからな」

「わかりました」

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