十二月「過去からの挑戦状」⑤

 二人。

 私と柏木さん。

 執行部には二人だけが残っていた。

 陽も落ちて、部室の窓から見える外は街灯に照らされてた。まだ雪はちらついていない。田舎といえども、方角は街の中心部だから、ビルの明かりも多少見える。シロは別に用事があるからといなくなってしまった。

「見えますね」

 柏木さんが窓から玄関を見下ろしている。私も窓際に近づいてみる。

「本当」

 シロがふらふらとしながら歩いているのが見えた。

「最近、体調が悪そうですね」

「うん、本人は大丈夫だって言っているけど」

 秋の文化祭を終えた辺りから、シロはたびたび体調を崩しているようで、学校を休むことが多くなった。とはいえ、私がメールを送ると普通に返してくるので、体を動かせない、というわけではないのだろう。メールなら、柏木さんだってしているに違いないだろうけど。ああ、どうしてそういう考え方をしてしまうのだろう、と自己嫌悪。

「そうですか、何事もなければ良いのですけど」

「そうだね」

 体調不良の理由は知らない。何度か聞いてみても軽く誤魔化されてばかりだったので、私は聞くのを止めてしまった。他人に聞かれたくない病気だっていくらでもある。

「ところで、なのですけど」

 夕闇を背にして、小さな体を揺らして柏木さんは首を傾げた。長い髪がゆらりとそれに遅れて動く。同性だけど、それを私はきれいだと思った。私には足りていない、手の届かない可憐さだ。

「うん?」

「相談事があるのです」

 逆光で表情はよく見えない。

「うん、私で良ければ」

「クラスの男の子に、告白されました」

 さらりと彼女が言う。

「こ、告白って」

「つきあって欲しい、ということです。私はどうしたら良いのでしょうか?」

「どうしたらって」

 柏木さんはひいき目に見ても可愛い。物静かなため一瞬で人目を惹くタイプではないかもしれないけれど、守ってあげたくなるような、言い換えれば小動物のような可愛さがある。

「私は、その男の子のことをほとんど知りません。いいえ、同じクラスなのですから、多少は知っています。名前とか、入っている部活とか、クラス内での立ち位置とか、そういったことは知っています。でも、それだけです。友達、とも言えないと思います。それほど会話をした記憶もありません。そのような相手から告白されて、私は断るべきでしょうか、それとも受けるべきでしょうか」

「えーっと、うん、柏木さんは、どう思っているの?」

 この一年間、変則的な他人の恋愛事情に関わってきたような気もするけれど、直接的に相談事として受けるのは初めてだった。それらもすべて、なるようになる、という結果だっただけに、私が何か助言をしたということもない。

「わかりません。ですから、相談なのです」

「うーん、とりあえずつきあってみて、実はお互い相性が良かった、なんて話はいっぱい聞くけど」

「反対も聞きます」

「……そうだね」

 柏木さんの言う通り。この手のことに正解はない。

「今は?」

「少し考えさせてください、と言っています。これは相手にとっては肯定的に捉えられてしまうのでしょうか、それとも否定的でしょうか、それも私にはわかりません」

「そっか……。柏木さんは、その、今は好きな人とかいるの?」

 もし彼女に好きな人がいれば、そちらに告白してから考える、という打算的な考え方もあるだろう。ちょうど告白するタイミング、口実にもなる。誰だってこれくらいは考える。悪いことではない。

 彼女は少し考えあぐねているようだった。

「藤元さんのその質問にお答えする前に、私も聞いていいですか」

「うん? なに?」

「夏に聞いたことを憶えていますか?」

「夏って」

 そこまで言って、私ははっとする。

 それに気がついたのかどうかはわからないけれど、彼女は私が思い出した言葉をそのまま続けた。

「お二人って、付き合っているのですか?」

 お二人。

 それは、私とシロのことだ。

「ううん」

「そうですか」

「でも、藤元さんはシロさんのことが好き、なのですよね?」

 直球の質問に、私はほんの少しだけ引け目を感じる。それでも、彼女の言葉には、真摯に返さないといけないだろう、という気持ちがあった。

「うん、好きだよ」

「私は、好きな人がいました。たぶん、初めて男の子を好きになったのかもしれません。小さい頃からそういう経験はありませんでした。だから、これが恋というものなのか、私には本当のところはよくわかりません。そんな日々をずっと送ってきました。この気持ちを確かめたい、そう思っていました。それには直接相手に想いを伝えてしまうのが最良の手段だということもわかっていました。けれど、相手の気持ちを聞くことができずにいました。そして、時間が経って、膨れあがるもやもやとしたものが晴れなくなって、私は確認してしまいました。答えは期待通り、残念ながら、予想通り、ノーでした」

「それって……」

「それ以上は言わないでください。たぶん、私の中でルール違反になってしまいます。お互いのためにも、その方が良いと思います」

「あ、うん」

 お互い、と彼女は表現したその二人は、いったい誰と誰を指しているのだろう。

「これから名前で呼び合いませんか?」

 唐突に彼女から提案される。

「え、うん、それはいいけど」

「良かったです。それでは、杏さん」

「杏、でいいよ」

「それはもう少し段階を踏んでからにしましょう」

 まるで付き合い始めの恋人のような言い方を彼女はした。

「じゃあ、私は、くるみちゃん、かな」

「はい、それで構いません」

 柏木さん、改めくるみちゃんが外の黒と部屋の白で創り出された陰影の中で頬を緩ませる。

「明日、聞いたらびっくりするかもね」

「そうですね、それはちょっと楽しみです」

 シロは驚くだろうが、表情は変えないだろう。相変わらずのぼんやりとした眠たげな瞳を、ほんのわずか大きくするかもしれない。

「それじゃあ、私たちも帰ろうか」

「はい、せっかくですから、どこかに寄っていきませんか?」

「うん、いいよ、せっかくだしね」

「伊東屋に行きましょうか」

 伊東屋は駅の近くにある鯛焼き屋だ。

「冬にはぴったりだね」

「ではそこへ」

「うん、行こう行こう、私はクリームがいいな」

 鞄を左手で持ち上げたところで、くるみちゃんが言う。

「杏さん、知っていますか? 右手で握手をするのは、お互いに武器は持っていない、敵意はない、ということを示すためだそうです。ですから、左手で握手をするのは反対の意味を持つこともあるそうです」

 彼女が右手を差し出す。

 確か、ロッテも同じようなことを言っていたな、と思い出す。

 和らげな、憑き物が落ちたような顔つきだった。

「ライバルにはなれませんでしたけど、友達から始めましょう」

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