三月「嘘つきの魔法使い」⑧

「ありがとうございました」

 病院の玄関口のロータリーで車は止まり、私はお礼を言う。

「別に大したことじゃない。正義の味方、いいや、シロによろしく。いきなり遊びに行くから注意しておけって伝えておいてくれ」

「はい、それは本当に注意するよう言っておきます、先輩もお元気で」

 にこやかに笑って、返す。先輩は軽く手を振って、アクセルを踏み、夜に融けて行った。その車を眺めて、もしかしたら私と先輩はもう一生会わないのでは、と一瞬思った。そう思うと、悪い人ではなかったんだな、と今更ながらに先輩の評価を底上げする。先輩は先輩なりに、シロと、そして私のことを気にかけてくれていたのだろう。

 コートを脱いで、左腕に絡ませながら、病院の正面脇にある救急患者用の入口から入る。

 誰もいないホールにはお兄ちゃんが立っていた。

「ああ、杏、ちょうど良かった。今連絡しようと思っていたところ。目を覚ましたよ」

「ありがとう、お兄ちゃん」

 本当にジャストタイミングで先輩は情報を得ていたんだな、いったいその情報収集力はどこからやってくるのか。

 私とお兄ちゃんは横に並んで、暗くなった病院内を歩く。

「杏、今回のことは」

「大丈夫、わかってる。今までありがとう、お兄ちゃん」

 お兄ちゃんが私に謝るのを何となく遮る。

「心配かけてばっかりでごめんね」

「杏……」

「もう大丈夫だから」

 もちろん、私はお兄ちゃんを責めるつもりなんてない。お兄ちゃんはただ私のことが心配で、それをどうにかしようと思っていただけなのだ。悪意なんてありようともないし、騙されたとも思っていない。それでも、少し言い方がきつくなってしまうのは、私自身にもどこか割り切れない部分がひっそりと隠れているからだろう。だけど、以前の私ならそれすらも隠そうとしていただろう。そうしなくなった分だけ、成長したのだろうか。隠していることを隠そうとしなくなった。複雑な感覚だ。

「お兄ちゃん」

「なんだい?」

「春になったら北条先生も東京に戻るの?」

「うん、そのつもりだよ」

 代理教員の任期はもう終わりだ。四月には皆川先生が復帰する。生徒たちは北条先生に残って欲しいと思っているだろうけど、それは叶わないだろう。

「二人でいるとき、どんな話してるの?」

「そうだな、大体僕が一方的に喋っているよ。若菜は無口だから」

 その様子は容易に想像できた。静かに、表情をぴくりとも変えずに、うなずくでもなく、黙ってじっとお兄ちゃんの方を向いているだけの北条先生がいるのだろう。

 エレベーターでシロが入院している階まで上がる。

「前に北条先生が、お兄ちゃんはヒーローだって」

「若菜が? それは困ったな」

 お兄ちゃんが照れくさそうに頭をかいている。

「お兄ちゃん」

「なんだい?」

「好き」

「ありがとう、杏」

「『お姉ちゃん』と仲良くね」

「もちろん、いつでも待っているよ」

 お兄ちゃんは笑顔で応える。

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