二月「チョコレートは裏切らない」③
「さすがにカカオ豆からチョコレートを作る、というわけにもいきませんしね。国内で個人が簡単に入手できるようなものでもありませんし、探せば売っているお店がないこともないのですが」
くるみちゃんがカカオマスが90%以上のチョコレートを湯煎にかけながら言った。カカオマスはカカオ豆を焙煎し、磨り潰したもので、カカオバターという油分を含んでいるためペースト状になる。この割合が高いものが、純度の高いチョコレート、つまり、甘みやフレーバーがほとんどないものとなる。シロなら『手作りチョコレートと言うなら、カカオ豆の栽培から始めるべきだ』なんて、冗談半分で言いそうだけど。いや、それとも『大規模プランテーションの効率的な仕組みについて考えてみよう』なんて言うのかな。
「そうそう、現在普及しているカカオ豆の原産はどこだかご存じですか?」
クイズを投げかけられて、ホイップクリームを弱火で温めながらチョコレートの包み紙を想像する。温める鍋は二つ、一つはアプリコットをすりつぶしたものが、もう一つにはスパイスの効いたチリが入っている。横にいる絹木先輩は無言で茹でた百合根をスプーンで潰していた。
「チョコレートならベルギーとかスイスとかが有名だけど、それは作っている会社のあるところで、カカオはガーナとかコートジボワール? 地理の知識だけど」
アフリカについての知識を思い浮かべる。
「惜しいですね、杏さん、確かに現在カカオ豆の輸出の大部分はその辺りが担っていますけど、原産は世界地図の反対側、メソアメリカ、文明でいうと、マヤ文明辺りが起源だとされています。紀元前1500年頃には栽培されていたとする証拠もあるそうです。カカオ豆はその保存性と希少度から、通貨の代わりにも使用されていたそうです。当時はこのような固形のチョコレート板ではなく、飲料としてもっぱら用いられたようです。」
「ふーん、でも、最初は飲み物だっていうのはどこかで聞いたことがあるかも」
そんなことを聞いたことがあるとすれば、それはやはりシロからだろう。ここ最近は、お兄ちゃんからの知識よりも、シロからの受け売りが多くなってきた。
今でもホットチョコレートを飲む習慣はあるし、私もココアでは何となく物足りないときに自分で作ったりもしている。
「1500年代にスペインがアステカを征服し、彼らからチョコレートの効用の知識を、もっぱら高級な嗜好品、もしくはあらゆる病に効く万能薬として得て、ヨーロッパに普及していったそうです。あ、それをこちらに」
「うん」
くるみちゃんが湯煎で溶かしたチョコレートを二つの鍋に分ける。そこに漉(こ)し器(き)を通して、私が温めたクリームを流し入れる。チリのスパイスが入ったものには、砕いたくるみを入れておく。二つを軽く全体をまとめるようにスパチュラで混ぜる。
「ここで一旦冷蔵庫に入れましょう」
粗(あら)熱(ねつ)をとったあと、冷蔵庫に入れる。家では見ることのない、ステンレスの業務用冷蔵庫だ。中に入ったらさぞかし涼しいに違いない、やらないけど。
「それまで主に飲用であったチョコレートに革命を起こしたといえば、私たちにもお馴染みのバン・ホーテンです。バンホーテンは19世紀の初め頃に、余分なカカオバターをチョコレートから取り除く油圧式圧搾機を開発しました。カカオバターの含有率が低いチョコレート、固形のカカオケーキと呼ばれるができました。これを粉末にしたものを湯で溶かした飲料、つまりココアの誕生ですね」
絹木先輩は黙って二枚重ねにしたビニール袋に入れたビスケットを麺棒で砕いている。感情のこもっていない一定のリズムだ。ビスケットを粉々にするのに感情がこもっていてもそれはそれで恐ろしいけれど。粉々にしたビスケットに小さくした百合根を加え、ビニール袋を振って全体を混ぜ合わせている。無駄がない所作がむしろ怖いくらいだ。
「それともう一つ忘れてはならないのが、ルドルフ・リントです。彼はコンチングと呼ばれる精製方法でなめらかな舌触りの固形チョコレートを作り出すことに成功しました。私たちがチョコレートとしてイメージする、食べ物としてのチョコレートの原型ですね。ルドルフ・リントのチョコレートは、今ではチョコレートブランド、リンツとしてお馴染みですね」
一瞬、視線をくるみちゃんに送り、オーケーのうなずきをもらうと、鍋にバターとチョコレートを入れ、弱火で温め始めた。溶けきったところで、ビニール袋の中身を鍋に入れ、ゆっくりと十分に混ぜ合わせる。それをコースターほどの大きさの小皿に敷き詰めていく。冷蔵庫に入れてなじませれば、チョコレートビスケットケーキの完成だ。ナッツ類を使うのは良く聞くけれど、百合根を使うというのは初めて聞いた。
冷蔵庫からクリームとチョコレートが混ざった鍋を二つ取り出し、大きめのスプーンですくい、球状にする。それをステンレストレイに並べて、上からココアパウダーを篩(ふる)う。これで冷蔵庫で固まるまで冷やせば、チョコレートトリュフになる。
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