二月「チョコレートは裏切らない」
二月「チョコレートは裏切らない」①
私は戸惑っていた。
いったいどういう巡り合わせでこんなことに。
二月十三日、日曜日。
バレンタイン前日である。
私は土曜日に同じ執行部であるくるみちゃんに誘われて、彼女の家でバレンタインの手作りチョコを作ることになったのだ。朝は割と早起きをして、午後のことも考えて念入りに髪の毛をセットして、電車で数十分揺られ隣の市までやってきた。駅からすぐ近くだというので、一人でスマフォの地図アプリを見ながら少し歩いていると、メールで言っていた通りのくるみちゃんの家を見つけることができた。
東京で見かけるようなおしゃれなカフェではなく、洋風の伝統的な喫茶店で、レンガ作りの壁に蔦が絡まっていた形跡も確認できた。夏に来たら緑に覆われてきれいだっただろうな、と思う。ここがくるみちゃんの家である。裏口に回ると二階に行くことができ、家としての機能はそこにあるらしい。彼女の指示通り、クローズドの表示がかけられている喫茶店のドアを開ける。カランコロンとドアの上から懐かしい音がした。
「お邪魔します」
「おはようございます、杏さん、お待ちしていました」
そこにいたのは白いエプロンをしているくるみちゃんだった。
店内は数席のテーブル席とカウンターがあり、全体的に木目調で統一された、クラシック音楽でも流れているのが似合っていそうな内装だった。今は無音である。普段はコーヒーの匂いで満ちているのだろうな、と想像していた。
「くるみちゃんおはよう、今日は呼んでくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ、こういうのときは人数がいた方が楽しいですからね」
「えーと」
私は彼女の横にいた女性を見る。少し垂れ目な瞳で、柔らかい表情をしているその女性は、白い調理服を着て、背の低い白いコック帽を被っていた。年齢は三十は過ぎているだろう。もしかしたら四十近いのかもしれないが、その肌は若々しく見えた。執行部の顧問の桜田先生と同じくらいだろうか。
「この方は、水鳥さんです。普段はパティシエール、女性のパティシエのことです、をしています、私のお菓子の先生です。喫茶店ですが、メインは水鳥さんの作るケーキなのです、すごく評判が良いのですよ」
「こんにちは」
右手で帽子を押さえて、水鳥さんは丁寧に頭を下げた。落ち着いた声だ。
「こんにちは」
「あまりキッチンは広くなくて、今日は私たち三人だけでキッチンを使うので、水鳥さんにはフロアで休憩をしてもらって、何かあったときだけ手伝ってもらいます。でも、昨日水鳥さんと練習をしたので、たぶん大丈夫だと思いますけど」
「あれ? 私と、くるみちゃんと、水鳥さんで、三人じゃないの?」
人数の足し算がおかしい。
「いえ、もう一人いますから」
「え、そうなの?」
くるみちゃんからはそういう話は聞いていなかった。
「はい、もうキッチンにいます。先輩、杏さんが来ましたよ」
彼女が後方のキッチンに声をかける。特に返事らしきものはないまま、少しの間を置いて、見知った顔が出てきた。彼女は、くるみちゃんと同じく白いエプロンをしている、いつも見かける絵の具で汚れたエプロンではなく。
「絹木先輩」
目の下のクマは今日は薄く、伏し目がちな視線をこちらに投げかけてくる。彼女はコクンとうなずいただけだった。
「ええと、おはようございます」
再度、うなずき。声を出すのが面倒なのかもしれない。私は意思疎通を少しだけ諦めて、くるみちゃんの方を向く。説明をして欲しい、という合図だ。
「え?」
くるみちゃんも私を不思議そうに見つめていた。
「今日は、ご一緒なんですよね?」
「……誰と?」
「ええと、杏さんと絹木先輩が、ですけど。ですよね?」
くるみちゃんが先輩に同意を求める。彼女は小さく、確かに首を下に振る。
「ちょっと待って、待って待って」
左手で二人を制して、頭を整理する。
心配そうにくるみちゃんが見ている。先輩は相変わらず無表情だ。
五秒、十秒。
「うん、うん、わかった、ちょっと電話してくる」
私はさっきくぐったばかりのドアをカランとまた鳴らして、外に出る。大きく息を吸って、冷たい外気を思い切り取り込む。それから今年一番のため息を吐いて、スマフォを取り出す。発信をして、相手が取るまで待つ。その間、ボルテージは上がったり下がったりを繰り返している。どの時点であいつが出るのか、それは神のみぞ知る、である。
数度の発信があって、通話状況になる。
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