三月「嘘つきの魔法使い」

三月「嘘つきの魔法使い」⑦

 三月七日、晴天。

「まあ、こんなところだとは思っていたぜ」

 一ノ瀬先輩が車の中で呟いた。

「これが?」

「いいや、あのときとは全然違う、名前をつけるのなら『偽神様事件』だな。だが『本物』にならなくてよかった」

 私の質問に、真剣に正面を見据えて運転をしている先輩が応えた。私は後部座席に座っている。

 結論として、至極あっけなく、今回の事件は終わった。事件と名前をつけるのも面倒臭いと思えるほどだった。先輩はあらかじめ当たりをつけていたのだろう。私が直接的にも間接的にも何かする必要すらなかった。

『本物』の『神様事件』の概要を知った市内の高校生が、それを再利用して、おまじないをしようとした中高生を相手に詐欺、恐喝のようなことをしていただけだった。

 先輩はその集団の弱みを逆に調べ上げ、『交渉』と称して脅し、二度としないことを誓わせたのだった。

「もっと詳しく知りたいか? 今ならサービスでタダで教えてもいいぞ」

「いいです、それはきっと私には関係のない、終わった話だから」

 先輩の申し出を断る。

「そうか、そうかもしれないな。全部終わった話だ」

「私って、いなくても良かったんじゃないんですか?」

「ん? ああ、いや、確かに、そうだな」

 先輩が肯定する。

「そうですか」

「まあそういうなよ、ちょっとしたドライブだと思えばいい」

「それこそ絹木先輩で良かったんじゃないんですか?」

「それもそうだ。まあ、あいつとはこれからも付き合いはあるしな」

「それじゃあ、遠距離ですね」

 彼の恋人である絹木先輩は二年生だ。あと一年はここにいる。

 一ノ瀬先輩は、東京の私大の心理学部に推薦で合格していた。二人は離ればなれになることになる。

 それでも付き合いは続けていく、という先輩の言葉に、私はなぜか安堵していた。どこかで、私と重ね合わせようとしていたのかもしれない。

「そうだな、お前たちよりは近いだろうがな」

「……先輩は、何でも知っているんですね」

 それを見透かしたように、先輩が含みを持たせて笑いながら言う。

「そうだな、何でも知っている」

「そうですか」

「もっとも、アリスがもうダメだと思ったんなら、それを止めようとは思わないが」

 それは、きっとないだろう。先月のバレンタインの彼女を見ていればわかる。実直や献身的といった言葉を通り越して、盲目的とも病的ともいえるレベルで彼女は一ノ瀬先輩のことを愛し続けるだろう。

「大丈夫だと、思いますよ」

「人の心ってのはわからんもんだぜ」

「さっきと言っていることが違いますよ」

「確かに、俺は人の考えていることが何となくわかる。小さな頃からそうだった。だから、それを理解して、そっと相手の意見や考え方を逸らすことで本人にも気がつかれないように軌道修正させる方法を学んだ。それができるのは、常に注意深く観察しているからだ。しかしより深く観察しようと対象と接触をすれば、それはつまり、対象者と関係を持つことになる。関係を持つということは、影響を与え合うということだ。そうすると、意図した軌道修正以上の結果が出てしまうことがある。見ようとすればするほど、わからなくなる。まあ、不確定性原理ってやつだな」

「よくわかりません」

 一呼吸置いて、先輩が口を開く。

「君は、そういうやつだったんだろうな」

「何のことですか?」

「正義の味方にとっての、不確定性原理、それが君だ。どっちに転んだのか、俺には、まあわかるような気がするが」

 正義の味方、は先輩によるシロの呼び名だ。

「先輩は、どこまで知っているんですか」

「さあな、何でも知っているっていうことは、結局、何も知らないってことかもな」

 適当に応えてうやむやにされてしまった。

助手席に置かれていた先輩のケータイが振動した。

「もうそろそろか」

 先輩が路肩に車を止める。

 ケータイを見た先輩が運転席から振り返る。

「王子様が目を覚ましたそうだ。病院まで送ってやるよお姫様。まったく、これじゃああいつは眠り王子だな。ということは俺はカボチャの馬車か何かか、つくづく面白い展開だ」

「どこからそんな情報が集まってくるんですか、先輩」

「それはもちろん、企業秘密ってやつだよ」

 気怠そうな表情で先輩が肩をすくめる。

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