第28話 「婚約披露の夜会へ」
婚約お披露目の夜会に着ていくために、リーンハルトの瞳に合わせたクロッカス色のドレスが準備されていた。今まで見たことも、着たこともないくらいの豪華な仕立てである。
これはアーヴァイン家ではなく王宮が手配してくれた。恐縮したものの、これを着ることで誰にも恥をかかせないのだと思えばありがたい限りである。
宝石も、ドレスに合わせたものが準備されていた。首元を飾るネックレスやイヤリングなどは、全て王宮からの貸し出しだと聞く。あまりに綺羅びやかすぎて、直視できないほどだ。
婚約指輪はないが、どちらにせよ手袋をはめるのだから気にすることはない。
髪型はミシェルにお任せだ。
そうして身繕いをしていたレティスは、彼女のうなじを改めたミシェルが小さく息を呑んだのに気づいた。
「どうかした……?」
「――いえ、なんでも。ちょっと貴女、悪いけどパウダーを持ってきて……できれば濃い目の。それからシャドウも必要かも。隈を消すときに使うものよ」
(なんだろう……?)
昨夜が初めての経験だったレティスは、リーンハルトが執拗に愛したうなじに残った痕について気付いていなかった。けれどミシェルがレティスの髪をアップにして、パウダーをはたき始めた段になってようやくその理由に思い至った。
(そ、そういうことなのね…!)
昨日リーンハルトとの間にあったことは皆に筒抜けだろうが、それにしてもかなり恥ずかしい。みるみるうちに真っ赤になったレティスを見守るミシェルの瞳はどこまでも優しかった。きっと母が生きていたら……こういう風に見守ってくれていただろう。
◇◇◇
「――レティス、めちゃくちゃ綺麗だ!」
玄関ホールで落ち合ったリーンハルトは、レティスのドレスアップした姿を手放しで褒めてくれた。今までに着たことがないくらいの豪華な装いなので、似合っていてよかったと彼女は内心ほっとする。
「そう言ってくださってありがとうございます。リーン様もとてもお似合いでいらっしゃいます」
そう、正装したリーンハルトは美しかった。
白地に金色の飾りがついたジャケットとシャツ、それから白い細身のパンツ。髪にはつばのない白い帽子を合わせ、綺麗に磨かれた靴も白い。
ジャケットのポケットからは、レティスが贈った白いハンカチがのぞいている――じゃがいもの刺繍は見えないけれど。
もちろん婚約披露だからこそ、ここまで白色合わせをしているのだが、普通であれば浮いてしまってもおかしくない装いである。それなのにリーンハルトが着ると、どこまでも美貌が際立つ。
「僕もそう言ってもらえてよかった! ちょっとだけ窮屈だけど、僕たちの婚約披露だもんね。もうしばらくの我慢だね」
「ふふ、そうですね」
穏やかでのんびりした会話は、身体を繋げても何ら変わらない。
むしろ二人の間の遠慮がなくなり、一層親密な雰囲気を漂わせている。そんな二人のことを、ルパートはもとより離宮の使用人全員が温かく見守っていた。
馬車に乗り込むと、隣りに座ったリーンハルトが封筒を取り出す。護衛のルパートは後続の馬車でついてくるので、今は二人きりだ。
「昨日、主要な招待客のリストが届いていたのを忘れてたんだ。遅くなってしまって、ごめんね」
彼が首を傾げて、封筒から取り出した手紙をレティスに差し出した。
「僕が読むと時間がかかっちゃうから……レティス、読んでくれる?」
「――!」
レティスは一瞬返答することができなかった。
「私、が読ませて頂いていいのですか?」
「もちろん。レティスは僕が読めなくても、がっかりしたりしないでしょ?」
「絶対に、しません!」
「じゃあ、お願い」
震える手でレティスはリーンハルトからその手紙を受け取る。
読めないことを知られることをあれだけ怯えていたリーンハルト。
これはリーンハルトの最大の信頼の現れに違いない。
「私でよかったら……いつでも、リーン様のかわりに読みますから……言ってくださいね」
「ありがと。頼りにしてるね、レティス」
リーンハルトがにこにこしながら頷く。
目頭が熱くなったが、せっかくミシェルが綺麗に化粧をしてくれたのが台無しになってしまう。なんとか涙を堪えたレティスは手紙を取り出して、読みあげはじめた。王族の名前は割愛されていたので、すぐに招待された貴族の名前が書かれている。
全体的に大きめに書かれ、その上でところどころ強調されている文字がある。きっとこうすることでリーンハルトが少しでも読みやすいのに違いない。
「“以下は順不同、敬称は略す。アーヴァイン家、ベッケンバウアー家、クリスティアーレ家、ニーロンジェット家……”」
やがてある名前で、レティスは目を丸くした。
「“ダルゲンランド家……、マッキンゼー家、トドルトッツ家……”」
「ダルゲンランド?」
リーンハルトがそこで口元を曲げる。
「……ダルゲン、ランド家ですね……」
「ふうん、そっか。ダルゲンランドね……」
彼はそれ以上何も言わなかったので、レティスはそのまま読み続けた。
「“ヴァルサンランベール家……”」
しばらくして読み終わった手紙をリーンハルトに戻す。
「君のご家族も来るね」
「はい」
父はまだ我慢できる。義母も義弟も、レティスにとっては、正直に言えば通りすがりの人間と何ら変わりがない。
問題はただ一人――セイディだ。
はずれ王子と婚約したレティスの高みの見物をするつもりで、姉はわくわくしながらやってくるだろう。そして姉ならばきっと気づくはずなのだ――今までにないくらいレティスが幸せだということを。
ということは、リーンハルトが世の中で噂されているような人物ではないとすぐに推測するはずだ。
で、あれば――リーンハルトはアーヴァイン家として嫁ぐことが出来る最高位の相手なのだ。姉がこれから誰と婚約を結んでもそれは覆ることはないだろう。何しろリーンハルトは、王子なのだから。
(欲しい、と騒ぐだろうか……いや、公の場でそこまでの振る舞いをしたりはなさらないはず)
リーンハルトと出会い、また離宮で暮らし始めてから忘れかけていた、アーヴァイン家での不愉快な記憶が次々と脳裏をよぎる。
とにかく姉から鋭い刃のような言葉が飛んでくることは、覚悟したほうがよいだろう。
(お姉様に何を言われても、ひるまないようにしなくちゃ……リーン様にご迷惑をおかけするだけだもの)
レティスはぎゅっとスカートを握りしめた。
「レティス」
「……はい」
「僕がレティスの味方なのを忘れないで」
静かに響いた声に、レティスははっとして顔を上げる。
「はずれ王子だけど、ね」
そうリーンハルトは付け加えて、にっと笑った。
「ずっと一緒にいるよ」
「――はい。ありがとうございます、リーン様。すごく、心強いです」
彼が手を伸ばして、レティスの手を握った。お互い手袋をはめていても、手のぬくもりはとても温かく、レティスの心を鎮めてくれたのだった。
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