第11話 「はずれ王子との婚約」
二人で応接間に入るや否や、リーンハルトが被っている頭巾に視線を送った父が一瞬だけ目を泳がせる。だがすぐに満面の笑みとなり、ソファから立ち上がった。
「殿下、お初にお目にかかります、ラッドリー=アーヴァインと申します」
「ああ」
リーンハルトが頷くと、父の笑みがますます広がる。
「レティスを所望してくださり、誠にありがとうございます」
レティスにはそれだけで父が婚約を了承したのだと分かった。
(リーン様が先にサンルームに来てくださってよかった)
父の隣に座った彼女は、向かいに座るリーンハルトの姿を見ながらぎゅっと両手を握りしめた。
(さっきリーン様の髪を見て顔を顰めていたわ、お父様……)
やはり噂されている『はずれ王子』なのだ、ときっと父は思ったのに違いない。
そして彼は一瞬で勘定したのだ――レティスを差し出して自分たちが得られるもののほうが大きいと。
父にとってレティスは取るに足らない存在だということは十分に分かっているつもりだ。だが分かっていることと、傷つかないということは別である。
だがリーンハルトに彼女自身もこの婚約を望んでいると事前に伝えられたことで、――自分の気持ちが多分に宥められた。
「レティス、殿下に嫁ぐ心の準備はできているな?」
嬉しそうに父がそう切り出し、宰相はうかがうような視線をレティスに送ってきた。皆に見つめられたレティスは小さく息を吸い込む。
「はい、お父様」
頷くと、宰相と父の顔には安堵と喜びが、そしてリーンハルトの顔にはどこか切なそうな表情が浮かぶ。
「決心をしてくださって誠に感謝致しますぞ、レティス嬢」
「宰相殿、我が娘に対し、もったいない言葉でございます」
レティスが返事をする前にラッドリーが口を挟む。
「アーヴァイン家のご令嬢が殿下の婚約者となっていただけるのであれば、陛下も心より安心してくださるだろう。すぐに婚約の手続きを取ることに異論はありませぬか?」
「もちろんです」
「うむ。先程話した内容に関しては、すぐに書面に起こすことにしよう」
ベッケンバウアーとラッドリーが嬉々として、レティスの今後について会話をする――レティス本人の意思は確認しないまま。
「もちろん必要であればいつでもアーヴァイン家に里帰りしてもらって構わない」
「いえ、おそらくレティスにとってもこの離宮にいさせてもらうほうが、屋敷にいるよりよほど“居心地”がいいでしょう。何しろ“姉”がいますしね」
(……お父様……?)
父のその言葉にレティスはふっと顔をあげた。ラッドリーはそれがさも当たり前かのように宰相と話し続けている。
(わざわざお姉様のことを持ち出すなんて……)
「こちらとしては一度お戻りいただいてもいいが……それであればこのままこの離宮でお預かりするということで構わないので?」
「構いません。先程お約束してくださった待遇は、アーヴァイン家としては本当に破格で――……」
二人の会話は頭に入ってこず、するすると流れていってしまう。レティスはぎゅっと自分のドレスのスカートを握りしめる。
(お父様は、私があの屋敷で……どんな目に合っていたのかご存知だったのね……知っていて……見て見ぬふりをずっとなさっていたんだわ……)
使用人たちが告げ口をしていたのか、それとも噂話をしていたのか。
父自身が、レティスとセイディの様子を確認していたのか、どこまで真実を知っているのかまではわからない。でも父は少なくとも、レティスがのんきに暮らしていたわけではないことは把握していたのだろう。
――けれど、放置していた。
父にとって大切なのは、今の妻と、弟だけだとまざまざと思い知らされる。
(私も、お父様に捨てられていた……知っていたけれど。お姉様があんな風に私に嫉妬する必要はなかったのに……)
レティスはそろそろと視線を下ろし、自身の靴の先を眺める。そんな彼女を、向かいのソファからリーンハルトがじっと見つめていた。
「――では、そういうことで」
ベッケンバウアーの言葉で、レティスは我に返る。気づくと、立ち上がった宰相と自分の父親が固い握手を交わしているところだった。
「では、レティスのことは宰相殿にお預け致します。至らない娘だと思いますがよろしくお願い致します」
「いやいや、こちらこそ貴方の信頼に応えられるよう、出来る限りのことはするとお約束する」
「心強いお言葉を賜り、恐悦至極でございます」
レティスは父の赤らんだ横顔を黙って見上げていた。その父がふと彼女を振り返る。
「レティス、私はお前を誇りに思う」
初めて誇りに思う、などと言う父が、何を持って彼女に価値を見出したのかは自明の理だった。レティスは何も答えられず、父も彼女の返答は求めていなかった。
「今日からお前はここで暮らしなさい。大丈夫、ありがたくもお前の面倒は全て宰相殿がみてくださるから」
「もちろん。ではあちらの部屋で書類を用意しよう」
「お願い致します」
ラッドリーが振り返ることなく、ベッケンバウアーと応接間を出ていくと、レティスは軽く目を瞑った。これが、自分が生まれ育ったアーヴァイン家との別れにしてはあまりにもあっさりしていて――。
「ねえ、レティス」
だがそこでリーンハルトが彼女の名前を呟いたので、レティスは目を開いた。
「じゃがいも、一個で足りる?」
ひゅう、とレティスの喉がおかしな音を立てる。
「いつもとは違う種類のじゃがいものがいいかな?」
真剣な顔でそんなことをぶつくさ言っているリーンハルトを見ているうちに、レティスの心に溜まっていた澱のようなものがあっという間に霧散した。
「……サンルームに置いていらした、あのじゃがいもで十分ですわ」
そう答えると、リーンハルトが首を傾げ、それからにこっと微笑む。
「そっか。じゃああのじゃがいもを思い浮かべてね」
「ありがとうございます、リーン様」
数分前とは打って変わって穏やかな気持ちでレティスは応じる。
(やはりこの方は……優しい)
澄ました顔でソファに座っているリーンハルトを見つめながら、レティスはそう思った。
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