【番外編】「セイディの事情」

セイディのその後です

もし本編で納得されている方には

蛇足と思われる可能性があるので、

お気をつけください




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 セイディはぼんやりと、定まらない視線を広間へと向けた。


 アーヴァイン家で開かれている夜会は、いつも通り華やかだった。次女であるレティスが王家に嫁いでから、アーヴァイン家と親しくなりたい貴族たちが以前よりもずっと増えたこともあるだろう。

 けれどその実、毎度のことながら家族はばらばらで、父は知り合いの貴族たちと、また父とは明らかに離れた場所で義母と義弟が来客をもてなしている。

 少し前ならば、セイディは我が物顔で夜会の中心にいようとしただろう。

 ――だが。

 以前は輝いてみえたその場が、色褪せて見える。かつてはたくさんいた取り巻きも、今はもういない。今はもういないが、それが気にもならない。


(私……、どうかしてしまったのかも……)


「セイディ嬢?」

「ジョシュア様」

「さすがに今夜は会えるかと思ってたよ。久しぶりだね」


 目の前で顔見知りの青年が微笑む。

 ジョシュア=スミス子爵令息は、以前セイディの妹であるレティスに親しげに話しかけていた子息だ。容姿は少年のように思えるほど若々しいが、セイディよりも三歳ほど年上なはずだ。理知的な人物で友人も多いが、何しろスミス子爵家があまり有力ではないので、婚約者がいたこともないはずだ。


 以前はセイディの取り巻きの一人だったジョシュアだが、それはきっと彼の幼馴染が熱心なセイディの崇拝者だったからに違いない。

 ジョシュア自身は、セイディにそこまで心酔している様子は見られなかった。


 ジョシュアを見ると、否応なしにレティスと、それから自身がしでかしたことを思い出して、じくじくと胸が痛んだ。レティスに最後通牒を突きつけられて半年ほど経つが、日に日に自分が過去にしでかしたことに対しての罪悪感がふくらんでいる。

 歪んだ父への思慕をありもしない嫉妬として燃やし、罪のない妹へと向けてしまったことを、セイディはようやく見つめ直している。


 まさか自分がこんな風に変化するとは思ってもみなかった。

 が、静かにひとり内省する時間が長くなれば長くなるほど、セイディは苦しむこととなった。


「今夜は珍しいね。最近はあまり夜会にきていなかったじゃないか。――何か飲む?  シャンパン、それとも白ワイン?」

 「お気遣いいただき、ありがとうございます。でも……お酒はもう飲みませんの」


 お酒を飲むと、悪酔いする。

 それから眠ると、夢に必ずレティスが出てくるようになってから、セイディはお酒を飲むことをやめた。同時に、夜会にもほとんど顔を出さなくなった。出したところで、自分がレティスにしていたことを思い出すだけだから。


 彼は驚いたように目を丸くする。

 

「どうしたの、本当に?」


 セイディは苦々しい笑みを浮かべる。


「いえ……何でもありませんわ」


 ぽつんと呟くと、ふうと息を吐く。

 それからジョシュアを見ると、彼は気づかわしげな視線を向けていた。


「果実水を持ってこようか。あまり顔色がよくないよ」

「大丈夫です。もう少ししたら部屋に戻りますから――でも、ありがとうございます」


 カーテシーをして背を向けたセイディを、思案げにジョシュアが見つめていた。


 ★★★


 夜会の途中で、部屋に戻った。


 側仕えの手を借りてドレスを脱ぐと、ようやく一息つく。窓辺に寄って、外を眺める。


(今後、どうしようかしら)


 以前は、レティスよりも良い婚約者を見つけて、レティスよりも幸せになるのだと何の疑いもなく信じ込んでいた。父が唯一愛した女性の娘であるレティスよりも絶対に幸せになるのだと。

 そこでまたレティスにぶつけた暴言の数々が蘇り、セイディは頭を垂れる。


(私が、幸せになれるわけない……こんな私でも修道院に入れば、少しは道が見えるかしら)


 自分でもどうしてこんなに内省的になってしまったのかはわからない。

 だが、父が、自分がしていたレティスへの数々の仕打ちを知っていたのにも関わらず見て見ぬふりをしていたこと、そして。


『止めても、無駄だろう。お前の性根は、そんなものだ。あんなに妹を虐めるなんて、腐りきっている。だから婚約もろくに決まらないんだ』


 最初から愛されていなかった。

 愛されていないどころか、まともに相手にすらされていなかったのだ。

 父が放ったあの言葉が決定打となり、セイディの心は粉々に砕け散った。残ったのは、途方もない無力感だけ。

 ぐっと歯を食いしばる。


(レティスはわかっていたのよね、きっと……、お父様が私のことも、レティスのことも大事にしていないってことを……、それなのに私は……)


 彼女の両の眦からすうっと透明な涙がとめどなく溢れ出した。しかしセイディは自分が泣いていることに気づいてもいない。


(やはり、修道院に向かおう。それが最善の道だわ)


 ☆☆☆


 だが。

 二日後にセイディはジョシュア=スミスの訪問を受けることとなった。


 それまでどんな取り巻きからの訪問も拒否していたセイディだったが、ジョシュアのそれは受けた。ジョシュアがセイディに婚約を申し込んだりすることはないだろうとわかっていたし、それに頃合いを見て修道院に入る決意を固めたからである。

 それとなくジョシュアに修道院に入ることを伝えて、かつての知り合いに広めてもらえれば、と考えた。


「まさか、訪問を受けてくれるとは!」

 

 穏やかな顔でジョシュアはそう言った。

 この人はそういえばずっと穏やかだった気がする、とセイディはぼんやりと考える。


(以前は……、レティスにどうやって見せつけるのかそればかりを考えていたから……この人の顔もまともに見ていなかった)


「とんでもございません、先日は夜会で親切にしていただきまして本当に感謝しております」


 そう言うと、ジョシュアが笑った。


「ふふ、君ってそういう人だったんだね。まったく知らなかった。何があったの?」

「――え?」

「何かないとそんな風に、人が変わったっていうくらい変わらないだろ」


 セイディはうろうろと視線をうろつかせる。


「何もありませんわ」

「“ジョシュア様ぁ、私、変わってなんていませんよぉ〜”」

「!?」


 2オクターブ高い声で、ジョシュアが言った。


 「以前の君なら、こう言っただろうね、間違いなく」

 

 セイディは絶句した。


「確かに君は可憐だし、家は盤石だ。セバスチャンが君に夢中になるのも当然だったろう。セバスチャンは“分かりやすい令嬢”が好きだからな。でも君は本当はそんな“分かりやすい令嬢”ではなかったろう」


 セバスチャンというのはジョシュアの幼馴染で、セイディの取り巻きの一人だった。セバスチャンからは何度か訪問したいと申し出があったが断っているうちに、諦めてくれた。セバスチャンは今では違う令嬢の取り巻きをしている。


「セバスチャンが騙されてしまうのでは、と気が気じゃなかったんだよ、僕は」


 ふふ、っと笑いながらジョシュアはさらっとそんなことを言ってのける。


(なるほど、ジョシュア様は心配されていたのね、私ではなくセバスチャン様を)


 それならばジョシュアがいつも穏やかに一歩引いていたことにも納得がいく。彼だけでなく、そうやってセイディを一歩引いて眺めていた令息は他にもいた――それこそフェリクスもそうだ。


(たぶん、きっと滑稽だったろうな……以前の私を見て)


「それで、何があったんだい?」


 ジョシュアはゆったりと椅子の背に体重を預けて、足を組んだ。


「レティス嬢が輿入れしたことと関係がある? 妹離れができないの? ――それとも違う理由?」


 のろのろとセイディは口を開く。


「どうして、ですか」

「ん?」

「どうして、私を気にかけてくださるのです?」

「え、友人だからじゃないか」


 あっけらかんとジョシュアが言って、セイディはぽかんとする。


「ゆうじん……?」

「そうだよ。さすがの僕だって、いくらセバスチャンのためとはいえ、嫌いな令嬢の取り巻きはしないよ。君のこと、友人だとは思っているんだけどな。まぁ、友人の友人、くらい?」


  そこでジョシュアはふっと微笑んだ。


「きっと君は、今、誰かに話を聞いてもらいたいんだろう? 味方でも敵でもない人間に。それならば僕がうってつけのはずだ」

「――!」


 穏やかな瞳を見つめて、セイディは息を呑む。

 彼女はしばらくして俯く。


「懺悔、を……?」

「君がしたいのは、懺悔なの? じゃあ、懺悔とやらを聞こうか」


 セイディは細くて長い息を吐く。


(私の、愚かな行為を彼に……? そして、彼が私を騙して、誰かに話したら……? ああ、でも噂になったとしても、私が結婚できないだけか……どうせ修道院に行くなら、何も変わらない)


 ジョシュアは淡々と彼女の結論を待っていた。


 セイディは誰か、第三者に断罪されたかった。

 お前がしたことは悪いと、お前だけが悪いのだと、断じて欲しかった。

 レティスと、過去のセイディを知っているジョシュアならば、たしかに”うってつけ”だろう。


「長い話になりますが、よろしければ聞いてください」


 覚悟を決めて、顔を上げたセイディは口を開いた。


 ☆☆☆


 数年後のことになるが、レティスはとある令息から手紙を受け取った。

 宛名はジョシュア=スミス。


(ジョシュア=スミス……、ああ、お姉様の取り巻きだった方ね。お姉様、修道院に入られると聞いたけれど……その話かしら)


 レティスはソファに座るとその手紙を読み始めた。


 それからしばらくしてサンルームに入ってきたリーンハルトが驚いて彼女の名を呼ぶ。


「レティス、どうしたの……! 泣いてる……!」


 レティスは流れ出る涙を拭いもせずに、リーンハルトを見上げる。


「どうしたの、悲しいの?」

「ううん、違うの……、私、嬉しいんです。やっと、姉も呪縛から逃れられたみたいで」


 持っていた手紙をソファに置いたレティスは立ち上がると、リーンハルトに抱きついた。


「う、嬉しいのか。嬉し涙ならいいけど」

「はい。リーン様、私の話を聞いてくださいますか……?」

「もちろん、喜んで……でもまずは、これを」


 リーンハルトはレティスの眦の涙を拭き取ると、瞼にそっとキスを落としたのだった。



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作者より

長いので、興ざめしない方だけ読んでいただければ↓


セイディのその後になります。

蛇足かもしれない、とも感じています。


私としては、セイディも父の犠牲者だという認識です。

ですがセイディがレティスにしたことは、

どんな事情があろうとも、罪は罪だとも思います。

なのでレティスが救うのは違う、また

本編で救われるのも違う、と置いておきました。

でもやはり……書いてやりたいと思いました。


彼女に必要なのは、自省する時間と

それから第三者の冷静な視点だったかなと……。


セイディは果たして修道院に向かったのでしょうか、

それとも導いてくれるジョシュアと……?

もしくは全然違う道を……?


私としては一つの答えはありつつも、

そこは皆さんに委ねたいと思います。


どちらにしてもセイディは父の呪縛から逃れられたと信じています。

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『はずれ王子』の婚約者となりまして。 椎名さえら @saera

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