【番外編】「ルパートの事情」

 ルパート=マッキンゼーは、幼い頃から妙に達観した子供だった。


 母親は、マッキンゼー公爵の妾であり、とある子爵家の次女である。ルパートを生んだ時にまだ若かったというが、マッキンゼー公爵にルパートを託すとそのまま隣国へ出た、という。

 それが真実かは分からないが、とにかくルパートはそう聞いた。

 ルパートの母親に関しては箝口令が敷かれているようで、使用人たちは誰一人その名前すら口にしなかった。


(ということは、何がしかの不貞があった、ということだな。父親の不貞なのか、それとも母親か……実家に咎を背負わせないよう母親が責任を取らされたのか。とにかく俺が母親に会うことは金輪際なさそうだ)


 ある程度物事が分かるようになったルパートは一人でそう結論づけた。おそらくその推測は的外れではなく、その証拠に母の実家である子爵家の人間にルパートに会うことは一度もなかった。

 ルパートの人生から、母親というものは最初から存在しなかったのである。


 そして父である公爵は「成人するまでは面倒を見てやるが、お前は妾腹の子だ。何も期待するな」と何度となくルパートに言い放った。物心ついた時には既にその環境だったから、とりたてて疑問に思うこともないままルパートは成長した。


 公爵はそうやって何も期待するな、という割には、ルパートにあれこれ指示をする。特にルパートは頭脳が優秀だったため、いずれ王宮で文官として働き、マッキンゼー公爵家の名をあげることを期待していた。


「お前は結婚はしなくてもいい。母親のことがあるから、婚約者を探すつもりもない」

「出世していずれは王の側近に取り立てられるような文官になれ。そうして初めてお前に価値が出る」

「婚約者を探すのはそれからだ。あくまでもマッキンゼー家の益になるような相手だ」

 

 と、何度言われただろう。

 ルパート自身は、身体を動かすことが幼少期から好きだったため、漠然と騎士のほうが向いているのではないかとは考えていたが、希望は通らないだろうと半ば諦めていた。そしてルパートは諦めることには、慣れている。

 

 だが。

 王宮でのお茶会で出会った、若干五歳の少年がルパートの運命を永遠に変えることとなった。


 王の第二側妃が五年前に産んだ王子が、人とは“違う”とまことしやかに噂されているのは知っていた。王の手前誰も大っぴらに話したりはしないが、そういった類の噂というものは残念ながら広まりやすい。

 

(リーンハルト殿下、か。一体どういう方なんだろうな)


 リーンハルトは滅多に社交の場には出てこなかったので、それまで会ったことはなかった。

 妾腹の子供といえど、一応マッキンゼー公爵家の端くれとして、ルパートも王家の人間に会う機会は何度かあった。王はとても理知的な人物だと感じていたし、王妃や王子、王女なども皆、"普通”だった。そんな中で、”違う”と評されてしまうリーンハルト王子とは一体どんな人なのか、興味をかきたてられたのである。


 そして、運命の日。

 件のリーンハルトをひと目見たルパートは、唖然としていた。


 呆然としている彼の耳に、周囲の人々の声が入る。


『リーンハルト殿下が一人で立っていらっしゃるわ』

『わっ……、睨みつけてない?』

『やっぱり違うよな、どこか』


 ルパートは、噂している人たちに視線を送る。

 それはいわゆる高位貴族の令嬢や令息たちで、ルパートとそう年は変わらない――そしてもう一度リーンハルトに視線を戻した。


(え……、”普通”にしか見えないが?)


 背筋を伸ばして立っている王子はとても端正な容姿の持ち主だった。

 五歳の少年としては小柄すぎる気はしたが、それくらいで。


(なにが、どこが……、”普通”じゃないって?)

 

『髪の毛、染めてるんですって。本当は真っ白らしいわよ』

『でも、瞳は紫じゃないの。それだけでも怖いわ』 

『王家に殿下のような人が生まれるなんてねえ……、本当は存在を隠したいでしょうに』


(は? まさか……髪色が薄いと不吉という迷信だけを信じて、普通じゃないと言ってるんじゃないよな)


 この国では色が薄すぎる髪は、生まれる前の行いによって神が罰を与えた、という迷信がある。もちろん、ルパートも迷信について知識はある。だが、迷信はあくまでも迷信であり、五歳の少年にそれをあたかも真実であるかのようにぶつけられていいわけがない。


 ルパートの視線の先で、リーンハルトの瞳が不安げに揺れていた。

 そしてどこか諦めたような顔をしたリーンハルトが、ぎゅっと拳を握りしめ直したのを視界の端にとらえたとき、ルパートの頭にかっと血が上り、衝動的に足を踏み出していた。


「リーンハルト殿下、初めてお目にかかります!」

「――え?」


 突然歩いて近寄ってきたルパートに、リーンハルトは驚いたように目を丸くした。

 すっと片膝をつくと、王子との目線がほぼ同じくらいになる。


「ルパート=マッキンゼーと申します。以後お見知りおきを」

「え……う、うん」


 リーンハルトは躊躇いがちに頷く。

 近くでみれば、余計にリーンハルトは“普通”だった。髪色なんて目に入らないし、瞳の色だって宝石のようで美しい。


「えっと、ルパート……、僕と喋ってて、いいの……? その……、君にまで……迷惑がかかっちゃうかも、知れないよ?」


 消えてしまいそうな、弱々しい掠れ声だった。


(まだ五歳、だろっ……)


 ルパートの腸が煮えくりかえる。

 そして目の前のリーンハルトが、どこか不安げな眼差しをルパートの背後に送っていることに気づいた。


(……!)


 きっと、ルパートの背後では先程噂していた令息や令嬢たちが固唾をのんで自分たちを見守っているのであろうことは、簡単に予想がつく。きっとこの王子は、彼らの視線を気にしているのだろう。

 

 その瞬間、ルパートの心がさざなみを打ったかのように静まり返った。


「はい、私が殿下と話したく思いまして。もしご迷惑でなければ」


 はっきりとそう言い切れば、リーンハルトの美しい薄い紫の瞳が見開かれる。


「い、い、いいの……?」

「はい、もちろんです」


 そう答えれば、リーンハルトがおずおずと微笑みを浮かべる。


「き、君が構わないのなら、話せて嬉しい」

「光栄の極みです」


 それからその姿勢のまま、二人は話し込んだ。

 彼は五歳とは思えないくらいの落ち着きを見せていて、十二歳のルパートと話を合わせることもでき、頭の回転の鋭さを感じさせる。最初はためらいがちだったリーンハルトも徐々にリラックスし始めた。


「ルパートはさ、身体大きいね。僕は小さいから、本当に……どうしようもない」


(誰かがそんなことを殿下に申し上げているのだろうか、余計なことを……っ)


 ルパートは肩をすくめてみせた。


「身体が大きいのも考えものですけどね」


 ルパートがそういえば、リーンハルトは小さく首を傾げた。


「そう、なの……?」

「そうです。小さければ小さいなりの、大きければ大きいなりの悩みがあるんじゃないですか、きっと」

「そっか……、そうかもね」


 リーンハルトはそこで、にっこりと笑った。

 それまでの躊躇いがちな形式張った微笑みではなく、自然な――それこそ五歳児のような、可愛らしい笑みである。


「ルパートはきっと、騎士になるんだろうね」

「えっ……」


 まさかそんなことを言われるとは思っておらず、ルパートは二の句が継げなかった。


「だってこれだけ身体がしっかりしてて、それに僕に話しかけるような勇気があるんだもん。騎士がぴったりな気がする」


 衝撃を受けて固まっていたルパートだったが、しばらくしてようやく口を開く。


「そうですね……、私は……その……、妾腹の子供ですので……、家を継ぐことはありませんから……、騎士なんかがいいのかもしれませんね」

「騎士なんか、ではなくて、騎士が向いていると思うけどな」


 リーンハルトはそう言って、再び首を横に傾げた。

 ルパートは、ゆっくりと頭を垂れる。


「殿下にそう言っていただけたなら、きっと私は騎士になります」

「うん。ルパートは間違いなく立派な騎士になると思うよ」


 顔を上げれば、澄んだ薄紫の瞳が、まっすぐに彼を見つめていた。


 ◇◇◇

 

 帰宅したその足で、ルパートは父親に騎士になる、と訴え、そしてそれから意思を曲げることは一度たりとてなかった。

 やがてルパートが騎士になるための試験に合格し、王に直接会い、リーンハルトの護衛を頼まれると、そこでようやく“価値”を感じたのか、公爵は見て見ぬふりをするようになった。


 それから、ルパートが父である公爵に逆らうのはリーンハルトについてのことだけだった。はずれ王子が離宮へ追放されると、これ幸いとマッキンゼー公爵は王宮に務める“普通”の騎士になるようにルパートに命令したが、彼は聞き流した。

 どんな婚約者を連れてきても、「俺は一生独り身を貫くつもりです」と頑として跳ねのけた。

  

 そして王や宰相たちの助けを得て、再びリーンハルトの護衛として離宮へと仕えることになったのである。


 ルパートをルパートたらしめるものは、リーンハルトその人だ。

リーンハルトがあの日、「ルパートなら立派な騎士になれるよ」と伝えてくれたから。彼の主人はあの瞬間に決まったのだ。


 ◇◇◇


「――ルパート、ルパートったらっ……」


 自室のソファに腰かけ、過去の記憶を思い出していたルパートは我に返った。目の前には、リーンハルトが、こちらを見下ろしている。


「殿下……?」

「鍵あいてたから入ってきちゃった。ノックはしたよ、ちゃんと!」

「ああ、いや、……それは構いません」

 

 読んでいた本を閉じて、ルパートはくしゃりを前髪をかきあげた。


「疲れてる? レティスがルパートが授業の時間になっても来ないっていうから、僕が見に来たんだけど……」


 その言葉にルパートははっとして、慌てて立ち上がる。


「そうだ……! すみません、レティス様をお待たせしてしまって……!!」


 リーンハルトが首を傾げる。


「いやいや、疲れてるなら今日は休みでもいいよ〜〜。授業はちゃんと進んでいるんでしょ?」

「は、まぁ……、レティス様は優秀でいらっしゃるので予定よりはだいぶ進んでいますが……」

「でしょ。じゃ、今日はお休みね。ルパートはゆっくりしていいからね」


 にこっと笑ったリーンハルトが、うきうきした様子で部屋から出ていった。最愛のレティスとどうやって過ごすのかを考えているのだろう、いつもよりももっと跳ねるような歩き方だった。


(しまったな。どうやら思っていたよりもぼんやりしてたみたいだ。まぁ確かに……今から授業をしても、そんなにはできないか)


 ルパートは苦笑すると、リーンハルトが出ていったドアを眺める。


(休め、か……。それにしても、殿下は他人に気を配れるようになったな)


 もともと優しい人である。

 聡明でもあり、驚くには値しないが、しかしリーンハルトは「はずれ王子」である自分と関わることで相手に迷惑がかからないかと憂いている節があった。だがそれがレティスとの出会いを通じて、良い意味で変化した。

 レティスには、最初から気を使うから驚いたものだが、その後レティスにするように、他の人達にもはっきりと思いやりの心を示すようになったのだ。


(愛の力っていうのは凄いものだな――さて、護衛に戻るか)


 口元を引き締めたルパートは、大切な主人と彼の大事な婚約者を護るべく、歩き始めたのだった。




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「ルパートの事情」でした。


そして手直ししましたら、

次は「セイディのその後」を投稿します

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