第27話 「ずっと貴方の隣で見守っていたい」


 リーンハルトの私室と寝室はつながっている。

 寝室もリーンハルトらしく、シンプルな内装で、余計なものは一切なかった。ほのかな柑橘類の香りが漂い、ここでリーンハルトが日々眠っているのだと知れる。


「レティス……!」


 どさっと音を立てて、ベッドに押し倒された。

 レティスはベッドに横たわり、彼女にまたがったリーンハルトを見上げる。じいっとこちらを見つめているクロッカス色の切れ長の瞳、中性的にも思える整った顔立ち。

 彼がそろそろと顔を近づけ、唇にキスをする。

 レティスは瞳を閉じて、リーンハルトの首にしがみつき、それを受け入れる。やがて彼の舌が彼女の口内に侵入する。


「んっ、んっ……ちゅっ……」


 生まれて初めての行為なのに、すぐに夢中になった。

 やがてリーンハルトが顔をあげたとき、二人の間に銀の糸が伝っていた。


「僕気付いたんだけど……」


 荒い呼吸のせいか、肩が上下しているリーンハルトが呟く。


「……はい」

「レティスのドレス、脱がし方がわかんない」

「……あ……」

「どうしよ」


 リーンハルトの頬がみるみるうちに朱に染まり、つられてレティスも顔が真っ赤になる。 


「でも、今、レティスのことを他の誰にも見せたくない……ミシェルにだって嫌だ」


 その言葉でリーンハルトは本当にレティスのことを求めていると改めて感じた。


「……じゃあ、手伝ってくれますか……?」

 

 ベッドに起き上がったレティスは、羞恥心をおさえてくるりと背中を向けた。少しだけ乱れてしまった髪をつかんで、後ろの小さな飾りボタンが彼に見えるようにした。

 人に会う予定もないため、コルセットもつけていない。その上室内用のシンプルなドレスだから、リーンハルトの手を借りれば脱ぐことができるだろう。


「ボタンを取ってもらえれば。それだけお願いできますか」


 彼女の背後でリーンハルトはしばらく何も答えなかった。


(飾りボタンは小さいから分かりづらいかな……?)


「ボタンは――あっ!」


 そう言いかけたレティスは、突然うなじに彼の熱い唇を感じて、息を呑んだ。


「かわいい……!」


 ちゅっちゅ、とリップ音を立てて、リーンハルトが項に吸い付く。


「んっ……!」


 レティスの背中を快感が走り、悶えてしまう。


「ごめん、レティス……あまりにも可愛すぎて……」


 ちゅう、と最後に大きく吸い付いて、リーンハルトがようやく解放してくれた。


「う、うなじ、なんて可愛いですか……?」


 涙目で半身振り返り、リーンハルトに視線を送ってレティスは息を呑んだ。


(……!)


 そこにはレティスを心から求めている、滴り落ちそうな色香をまとったリーンハルトがいた。


「今まで他の誰にも思ったことがないけど、レティスの全てが可愛いよ」


 リーンハルトが静かにそう答えた。

 

 ◇◇◇


 リーンハルトとの密やかな、秘めやかな時間はまるで夢のようだった。

 すべてが終わった後、リーンハルトにしっかりと抱き寄せられ、柑橘類の香りとぬくもりの中で、あっという間に眠りに落ちた。


 明け方近くに目が覚めたレティスは隣に誰もいないことに気づく。彼が寝ていた場所に手を伸ばすとすっかり冷めていてどうやら少し前にベッドを抜け出したようだ。


 (リーン様……?)


 リーンハルトの私室への扉が少しだけあいており、灯りがもれている。起き上がると、彼を受け入れていたところがつきんと痛み、身体を繋いだのは確かに夢ではなかったと教えてくれた。

 レティスはシーツを身体にまきつけると、そっと私室へと足を進めた。


「―――っ」


 果たして、リーンハルトはイーゼルに向かっていた。


 先程までレティスの母の肖像画が飾ってあったそこには新しいキャンバスが置かれている。上半身裸のままの彼は熱心に鉛筆を動かし、レティスが部屋に入ってきたことに気づく気配もない。

 明け方の部屋はすっかり冷え込み、このままだとリーンハルトが風邪をひくのではないか。上着だけでも……ともう少しだけ近づいたレティスの目に、女性の寝顔が飛び込んでくる。


(あ……っ、もしかして……、私……?)


 まじまじと見つめると、それはキャンバスに描かれたレティスの寝顔だった。今までリーンハルトの寝顔を見たことはあっても、レティスの寝顔を見せたことはない――ついさっきまでは。

 彼は初めて見たレティスの寝顔をこうして無心にキャンバスに写し取っている。


 胸がいっぱいになったレティスは、シーツを掴んでいる手に力をいれる。


 人によっては、初夜の後にこんな風に相手をベッドに置きざりにして自分の世界に没頭するなんてやっぱりはずれ王子だな、と彼のことを揶揄するかもしれない。

 もしくは王子ならば模範となるべく、夫婦は別室で休むべきだ、という人もいるかもしれない。

 

 けれど。


 抱き寄せて共に眠ることを当然と思い、そしてレティスの寝顔をキャンバスに写し取る。


 そんなリーンハルトだからこそ、レティスはこんなに惹かれたのだ。


(リーン様がリーン様らしくいられるように……ずっと貴方の隣で見守っていたい……)


 レティスはそう心の中で呟いた。


「レティス?」

 

 すぐにリーンハルトは背後に立っているレティスの存在に気づいたらしく、振り向いた。


「レティス、起こしちゃった? 身体は、だいじょうぶ?」


 彼は鉛筆を置くとまっすぐやってきて、そのままレティスをシーツごとぎゅうぎゅうと抱きしめた。まるで子供が子供にするような抱擁に、声を上げて笑った。


「ふふ、ご心配くださってありがとうございます。大丈夫ですよ、歩けているでしょう?」

「よかったぁぁ〜」

「それよりリーン様、お風邪を召されたら大事ですから、上着は着てください」

「こちらこそ心配してくれてありがと。でも、そうだな……ベッドに戻る」


 二人でもう一度ベッドに潜り込むと、リーンハルトが当たり前のようにレティスを抱き寄せた。昨日初めて身体を合わせたというのに、もう二人でこうやって過ごすのがしっくりくる。

 触れ合っているところから、じんわりと温かくなっていき、あまりの心地よさにレティスはうとうとし始める。


「内容はあまり覚えてないんだけど、すごくいい雰囲気の夢をみてさ……、いい気分で起きたらレティスが隣にいたからもっといい気分になった」


 そこでリーンハルトが呟いたので、レティスは目を開けた。


「すやすや寝てるレティスが本当に可愛くてたまんなくて――どうしても、描きたくなったんだ」

「……嬉しい」

「嬉しい……?」

「はい。だって、私のことをリーン様が描きたいな、と思ってくださったんでしょう? それが何よりも嬉しいです……」

「前もそう言ってくれたね」

「そうでしたっ、け……? でも本心ですから」

 

 レティスは口元に笑みを浮かべたまま、瞳を閉じた。


「でも、上着、は、ちゃんと、着てくださいね……、風邪……心配だから……」


 そう言いながらも、もうレティスは半分夢の世界に入りかけていた。レティスの耳元で、リーンハルトが笑った気がする。


「いつもご飯とか、上着とか心配してくれて、ありがと――レティス、大好き」


 こめかみに、ちゅっとキスをされたのはレティスの夢だっただろうか、それとも――。

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