第29話 「アーヴィン家との決別 ①」
内輪での夜会と聞いていたが――だが実質、シュテット国王子の婚約披露の場である。今までレティスが赴いてきたどの夜会よりも綺羅びやかで、豪華だった。
ルパートに教えてもらった作法を思い出しながら、夜会会場へと入る。今夜はそのルパートも付き従ってくれているから心配するな、と緊張しすぎそうな自分に言い聞かせながら。
リーンハルトと共に夜会の広間に入ると、明らかにその場の空気が変わった。
ざわざわ、と波が引くように、リーンハルトの周りにだけ空洞ができる、といったらいいだろうか。まだ年若い令嬢なぞはちらちらと怖がった様子でリーンハルトを――角度から想像するに、髪だろう――見ているし、子息たちも遠巻きに眺めている。さすがに大人たちは、リーンハルトとレティスの元へ挨拶にやってくるけれど、それも必要最小限のみ。貴族によっては、レティスを明らかに“はずれ王子に嫁がされた可哀想な娘”と見ている視線を隠そうともしていなかった。
そしてリーンハルトは、レティスの知るリーンハルトではなくなった。
彼は仮面をかぶったかのように明らかに表情が乏しくなり、貴族たちに挨拶を返している。
(こんな……こんな世界に、今までいらっしゃったの……)
まさに針のむしろだ。
表面上はみな敬意を示しているが、一歩遠ざかればリーンハルトのことを見張っているかのような、そんな冷たい視線ばかりを送ってくる。
はずれ王子は一体どうしているのか、おかしなことはしないか。
興味本位の、温度のない視線ばかりで。
(……本当のリーン様のことをご存知ないのに……!)
レティスがリーンハルトの腕に掴まっている自身の手にぎゅっと力をいれると、彼がちらっと彼女を見た。途端に、リーンハルトの顔に“表情”が浮かぶ。
「僕ね」
こそっと囁かれて、レティスは耳をそばだてる。
「はい」
「知ってると思うけど、じゃがいもをかぶせるのかなり得意だから」
「――!」
だから僕は大丈夫、と彼が片目をつぶってみせたので、レティスは口元を緩めた。
「――リーンハルト殿下!」
だがそこへクリスティアーレ侯爵が登場して状況が変わった。
「ご婚約、誠におめでとうございます」
「ありがとう」
リーンハルトの表情が一気に和らぐ。
「あの件は……?」
侯爵がリーンハルトに小声で尋ねると、彼は頷いた。
「レティスは知っているよ」
侯爵があっという間に満面の笑みになる。
「アーヴァイン嬢をお選びになるとは、素晴らしいご縁を感じます。アーヴァイン嬢は、特に“あの絵”を気に入っておいででしたからな」
秘密を共有するとばかりに、侯爵がレティスに頷いてみせた。
「ふふ、そうらしいね。後で聞いてびっくりしたよ」
そこでリーンハルトは少しだけ黙った。
「君の家に飾ってある、あの無名の画家の絵だけれど、もしかしたら次の新作が手に入るかもしれない。ただ次はもう少し若い女性の後ろ姿になるかもしれないけれど」
レティスがぱっとリーンハルトに視線を送ると、彼はいたずらっ子のような表情を浮かべていた。
「もちろん、想像でしかないけどね?」
それを聞いた侯爵の顔が一気に華やぐ。
「……かもしれませんが! とても楽しみですな」
クリスティアーレ侯爵とはそれからしばらく“とある画家”の話をして盛り上がった。そしてまた日を改めて彼の屋敷を訪問することを約束する。
侯爵が去った後、リーンハルトが呟いた。
「喜んでくれたな。これは急いで新作を手に入れないといけないな」
「とても喜んでいらっしゃいましたものね。でも……若い女性って……その……」
侯爵とリーンハルトが親しいのは喜ばしいことである。だが、正直に言えばレティスは困惑していた。
(私の後ろ姿ってこと……よね……?)
侯爵も誰がモデルになるのか分かっていたと思う。クリスティアーレ侯爵が口が堅いことは信頼できるとしても、でもやはり自分の後ろ姿が――それがいくらリーンハルトによる絵だとしても――侯爵家の廊下に並んでいる名だたる絵の隣に飾られることを思えば、さすがに躊躇ってしまう。
「なんだろうね。僕には分からないな」
だが緊張感などまったくなく、リーンハルトがそんな風にうそぶくので、レティスが思わず笑い声をあげそうになったその時――。
「ご婚約おめでとうございます、殿下……レティス」
背後から、静かなラッドリーの声がした。
「――ッ!」
意を決して振り向けば、アーヴァイン家が勢ぞろいしていた。
義母であるリザベッドをエスコートし、着飾ったセイディと義弟のセルジャックを連れた父は、挨拶をしようと近寄ってきたところだった。
姉の姿を視界に留めた瞬間、レティスの心臓が喉までせりあがってくるような感覚に襲われた。
そのセイディはかつてないほどに着飾っていた。彼女によく似合う、薄いブルーのドレスを着て、装飾品も惜しみなくつけている。
ネックレスは、リーンハルトと出会ったクリスティアーレ侯爵家での夜会に本来ならレティスがつけるはずのものだった。かつてレティスのものだったことを姉はもう忘れているだろうが。
姉は十分美しかったが、しかしセイディはレティスをひと目見た瞬間に笑顔を凍りつかせた。姉の視線が、レティスの頭のてっぺんからゆっくり足元まで下がり、そしてもう一度上がっていき――ネックレスで止まった。セイディがぎりっと奥歯を噛みしめる音がここまで聞こえてくるようだ。
レティスはリーンハルトにつかまる手に力をいれた。
(落ち着け、私……)
あえて姉から視線を逸らす。
セイディはともかく、義母と義弟にこうして面と向かって顔を合わせるのは数年ぶりのことだ。リザベッドもセルジャックも、礼儀上来なくてはならないから来たのだろう、とても居心地が悪そうだ。
(こんなお顔だったっけ)
セルジャックに至っては、最後に見た時から随分身長も伸びて、すっかり成長していた。下手をしたら夜会ですれ違っても気づかないかもしれない。
それから父に視線を移したレティスは驚いた。
父はレティスを凝視していた――それまで浮かべていた社交的な笑みがみるみる消えていってしまったままで。
(……お父様……?)
そこでリーンハルトが少しだけ腕を動かして、レティスの注意を引いた。はっとしたレティスがリーンハルトを見ると、彼はクロッカス色の瞳を少しだけ眇めてみせる。
(そう、私にはリーン様がついていてくださるんだわ)
リーンハルトが隣にいてくれる。
それだけでレティスの心は随分落ち着いた。微かに頷いてみせると、リーンハルトが父に向き直る。
「ありがとう」
それは先程のラッドリーの『婚約おめでとう』への返しだったが、何故か父は微動だにせず、ぼんやりとした様子でレティスを見つめ続けている。
リザベッドが慌てた様子で、父に視線を送り――そして凍りついた。
(……?)
レティスにはどうしてそんな反応を義母がみせるのか、理由がわからない。
義母がぐんと父の腕を引くと、ようやくラッドリーは我に返ったようだった。
「こちらこそ、我が娘を……」
だが父はそこで言葉につまってしまい、咳払いをした。
「……此度のご婚約、アーヴァイン家としても誇りに思っております」
そこでラッドリーがぎくしゃくとした仕草で一礼をすると、全員それにならって挨拶をする。
リーンハルトが頷いて、それで形式上の挨拶は終了だ。それでもラッドリーが動こうとしないので、業を煮やしたのかリザベッドが引っ張るようにして父とセルジャックを連れ去っていた。
その場に残ったのはセイディだけ。
そのセイディがにっこりと微笑む。
「殿下、久しぶりに妹とお話させてもらっても?」
はたから見れば、妹思いの姉といったセイディの、この願いを断ることはさすがのリーンハルトでも出来ないだろう。だがきっと彼はレティスが望めばそうしてくれる――自分が“はずれ王子”だから道理が分かっていないのだ、というふりをしてでも。
「だって。レティス、どうする?」
彼が心配そうな眼差しでレティスを見た。
(リーン様……、ありがとう……それだけで私はお姉様に立ち向かえる)
レティスはすっと息をのみ、吐いた。
「私も、お姉様とお話ししたいです」
リーンハルトはじっと彼女の瞳を見つめ、それから頷く。
微かに彼の口元が動いて、“じゃがいも、ね?”と形を作っているのが分かった。
レティスは彼に微笑み返した。
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