第6話 「突然の招待 ①」

 クリスティアーレ家の夜会から戻った後から、セイディの嫌がらせが加速した。

 最初は足を挫いたせいで動けないから暇つぶしに部屋に来い、から始まり、レティスをあれこれ顎でこき使う。あれが欲しいこれが欲しいと屋敷中を走り回らせ、いざ頼まれたものを持っていくと、気が変わったと目の前でぽいっと捨てる。

 使用人たちに気の毒そうに見られるが、レティスは気にしていない。


(だってじゃがいもだもの)


 しばらくするとセイディは自室であればゆっくりと動けるくらいに回復したが、それでもレティスを呼びつける頻度は変わらない。


 そんなある日、レティスが部屋に入るや否やセイディがオレンジ色のガーベラの花束を自慢気に見せてきた。


「どう、これ?」

「とても綺麗ね」


 上品にまとめられた花束は趣味が良く、淡々とレティスはそう答えた。


「でしょう、これ、フェリクス様からのお見舞いなの――早く回復されますように、次の夜会でもまたワルツを踊ろう、ですって」


 セイディがにこにこと笑いながら、一瞬レティスに鋭い視線を送る。


「よかったわね、お姉様」

「ふうん」

 

 みるみるうちにセイディはつまらなそうな顔になり、花束をぽいっとローテーブルの上に放り投げる。


「どの花瓶に生けたらいい?」

「いらない。捨てていいわよ。それか、貴女が持っていけばぁ? せっかくのフェリクス様からの花束だしぃ?」

「……わかったわ。花に罪はないものね」


 ふん、とセイディが顔を顰めた。

 その後ずっと、セイディの機嫌が復活することはなかった。午後遅くにようやく姉から解放されたレティスはガーベラを抱えながら厨房に行き、料理長に黄色の皮のじゃがいもをそのまま頂戴と頼む。

 気の良い料理長は額の汗を拭きながら困惑気味に尋ね返してきた。


「え、あの……じゃがいも、ですか?」

「ええ」

「食べたい、とかではなく?」

「違うの」


 この家の使用人たちはセイディには閉口気味だが、レティスに対しては同情的で親身になってくれる者が多い。料理長もそのうちの一人で、しかしその彼であっても完璧に混乱しているようだった。


「この前の夜会で、とある子息様にじゃがいもを部屋に置いておくと芽が出るって聞いたの。そのまま畑に植えたら、じゃがいもが成るのでしょう?」

「は、はぁ、まぁ、それは、そうですが……」

「そこまでは育てられないかもしれないけど、しばらくじゃがいもを置いておこうと思って!」


 料理長は納得したような納得していないかのような顔で食料庫に向かうと、じゃがいもを一つ手にとって戻ってきた。


「どうぞ、お持ちください。お育てになるおつもりなら太陽があたる場所に置かれるのがよろしいかと」

「ありがとう!」

「あ、はい……芽が出たじゃがいもは持ってきていただければ、私の方で植えますけど……お嬢様が育つのをご覧になれるように、裏庭の花壇ででも」

「そこまでしてくださるの! 嬉しい、じゃ、そうさせてもらうわね」

「え、ええ。お役に立てて何よりです……?」


 しきりに首を傾げる料理長にお礼を言って、部屋に戻った。日当たりの良い、出窓に並べられているクッションに座ると、手に載せたじゃがいもをしげしげと眺める。確かにそれは図鑑で見た通りのじゃがいもであった。知識としてはあったそれが現実のものとしてそこにある。

 そっと鼻を近づけてみると、微かに土臭い香りがする。


(ああ、生まれて初めて、見た……多分、こうやって分かっているつもりのこと、他にもいっぱいあるんだろうなぁ)


 レティスが浅めの陶器にじゃがいもをいれて出窓に置くと、ことんと軽い音がした。その隣の花瓶にはオレンジのガーベラを生けたのだった。


 ◆◆◆


 セイディの足首がだいぶ癒えた頃、また違う侯爵家での夜会に招待された。


(リーン様、いらっしゃるかな)


 密かに期待に胸を膨らませていたが、どうやら今宵は参加していないようだった。あれだけ目立つ容姿の彼だから、広間にいればすぐに分かるはずだろう。

 内心落胆していると、前を歩いていたセイディが明るい声をあげる。

 クリスティアーレ家の夜会の折に、セイディが馬車に乗り込むのを手伝ってくれた子息たちが並んでいたからである。


「皆様方お揃いでしたの! この前の夜会では本当にご迷惑をおかけしてしまって」

「いえ、セイディ嬢のお役に立てて大変光栄でした。その後お加減がいかがですか?」

「ありがたいことにこうして歩けるまでに回復致しましたわ」


 和やかな会話が始まり、レティスは軽く会釈するとその場を離れようとした。すると一人の子息が彼女に声をかけた。


「レティス嬢、ご機嫌いかが?」


 初めての事に、レティスはびっくりして、口を開いてしまった。


「失礼、驚かせてしまったかな?」

「あ……いえ……、こちらこそ失礼なことをしてしまってごめんなさい。あの、お陰様で元気に過ごしておりました」

「それはよかった」

 

 それで会話は終わるかと思いきや、意外にもその子息はあれこれ質問をしてくる。会話をしているうちに、レティスの顔には自然と笑顔が浮かび、子息の話し方にも熱が籠もっていく。


「――それでもしよかったらレティス嬢、私とワルツでも――」

「ねーえ、ジョシュア様。快気祝いに私とワルツを踊ってくださらないこと?」


 そこで鼻にかかった甘ったるい声が響き、子息がはっとしたかのようにセイディを見やった。


「あ、ああ、もちろん……」


 子息がセイディに腕を差し出してワルツに誘った。

 セイディがつんと顎を上げると、レティスを押しのけるようにして、彼の腕を取る。


(ああ、彼のことを取られると思って必死になったのね――そんな心配いらないのに)


 納得したレティスは他の子息たちにもう一度挨拶をすると、その場を辞した。知り合いの令嬢がいたら挨拶しようと周囲を見渡しているうちに、友人らしき令息たちと話しているフェリクスと目が合った。彼がぱっと表情を明るくしてこちらに歩いてくる。


「レティス嬢、久しいな」

「ダルゲンランド様もお変わりなく」


 フェリクスはさっとワルツの輪に視線を送った。

 

「セイディ嬢の怪我が癒えて良かった。あの夜、どうしても外せない用事があったので、私が家まで送り届けられなくて……。代わりに我が家の従者が送ると申し出ていたのだが、セイディ嬢に断られてしまってね――申し訳ないと思っていたんだ」

「とんでもございません……! そこまでのお心遣いをいただきまして、姉に代わりお礼を申し上げます」

「うん。それで、ワルツでもどうだい?」

「はい、喜んで」


 いつものように腕を差し出され、レティスはその誘いを受けた。

 ワルツが終わった後もフェリクスとの会話は続いた――そもそもフェリクスへの想いはセイディにばれてしまっていたし、その上で自分の気持ちにも整理はついている。これ以上姉の視線を怖がる必要はない。そんな心持ちが表情にも出ていたらしく、フェリクスが嬉しそうに呟いた。


「今日はちゃんと私の顔を見てくれるんだね、レティス嬢」

「……まぁ、そうでしょうか?」


 目を丸くすると、彼が頷く。


「いつもどこかちょっとだけ、気持ちがそれている気がしてた。でも今は違うな、ちゃんとここに君がいる」


 それは間違いなくセイディの動向を気にしすぎるがあまり、心ここにあらずだったのだろう。


(私……失礼だったわ)


 そんなレティスの振る舞いにフェリクスは気づきながらも指摘せずに見守ってくれていたのだ。


「すみません」


 心から謝罪すると、フェリクスが痛ましいものをみるかのような表情になる。


「でも君がどうしてそうしていたかも、ようやく分かった気がする。君はきっと――」

「フェリクス様ぁ」


 そこでセイディがやってきて、フェリクスの目の前に立った。今日の姉は、はっとするような赤いドレスを着ていて、これまたよく似合う。


「セイディ嬢、この前は君を送ってやれなくてすまなかったね」

「いいんですよぉ〜、それよりお花を贈ってくださってありがとうございました」

「うん。気に入ってくれたかな?」

「もちろん――お約束通り、今夜もワルツを一緒に踊ってくださいね」

「あ、ああ。私で良ければ」


 フェリクスの腕を掴んだセイディはそこで再びレティスの顔を見たが、どこか面白くなさそうな表情になった。二人の進行方向に立っていた、レティスは一歩後ろに退く。するとそんなレティスにフェリクスが声をかけた。


「レティス嬢、後でまた話せるかな?」

「……え?」

 

 予想外のフェリクスの言葉にレティスは驚いて尋ね返してしまう。


「さあ行きましょう、フェリクス様」


 そこを強引にセイディが遮り、彼を連れて行ってしまった。――と思っていると、先程話していたジョシュアがやってきてレティスに声をかける。


「レティス嬢、今度は僕とワルツをどうだい?」

「え?」


 今夜は思ってもいないことばかり起こる。

 レティスは戸惑いながらも、差し出された彼の腕につかまった。

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