第4話 「……じゃがいも?」

 さすがに姉であることは伏せたが、今まで嫌がらせをされ続けてきた相手がいて、自分が好意を持っていた男性に目の前で思わせぶりな態度を取られて……、と固有名詞は出さずにざっと事情をかいつまんで話していくうちに、不思議なことにレティスの心はすっかり落ち着いていった。話している間に、自然と自分の感情が整理されたといってもいい。


 じっとレティスを見つめる青年が冷静なままだったことも話しやすさを後押しした。

 彼は興味深く聞いていてくれたが、その瞳には何の感情も見られなかったから、まるで教会の告解室で全てを吐き出すような気すらした。


(そうよね……、私……何も出来ないと諦めて逃げていたのに……落ち込む資格なんてないわよね)

 

 同時に、姉への恐怖感を押しのけてまでフェリクスに想いを伝えたい、という強い衝動がなかったことにも気づかされた。フェリクスに抱いていたのはあくまでも淡い想いだったのだ。


 そこで彼女を見つめていた青年が首を横に倒す。


「もう、君の中で解決したんだ?」

「え?」


 紫色の瞳が、不思議な煌めきを放った。

 

「だってそんな顔をしている」

「まぁ、すごい……当たっています」

 

 思わずレティスは笑みをこぼした。


「すごいって言われることじゃないけどな」

「でも出会ったばかりなのに、ばれちゃったから――そう、私の中で整理が付きました。お話を聞いてくださってありがとうございます」


 お礼を言うと、再び彼がぐしゃぐしゃと髪をかきまぜた。真珠のように輝く白っぽい髪がやはりこの世のものとは思えないくらい美しく、うっとりと見つめてしまう。


「僕は聞いただけ。何もしていない――でもそうだな、次からの対処法になるかも。あのね、僕は嫌なことを言われたら、相手をじゃがいもだって思うようにしているんだ」

「……じゃがいも?」

「僕、あのフォルムと質感が好きなんだよね。ちょっと放っておいたらすぐに芽がでるのも、見ていて楽しいし」

「芽が出るんですか?」

「そうだよ! じゃがいもは、畑にそのまま植えるとじゃがいもになるんだ」

「わぁ、そうなんですか。お詳しいですね」


 素直に感心すると、どうしてか青年の白磁の頬に一筋の朱が走る。


「君、面白いね」

「面白いですか?」

「うん。そんなことで僕のこと褒めたりするなんてさ」

「そうですか? それで、じゃがいも、ですっけ。まぁ確かに、ころんとしていて可愛い、かな? どちらがお好きなんです、黄色い方、それとも灰色っぽい皮の方ですか?」


 レティスは図鑑で見たじゃがいもを思い浮かべて、そう相槌を打つ。途端、青年が目を輝かせて身を乗り出した。


「君、じゃがいものこと、分かるの!? お皿にのっている、調理済みのじゃがいもじゃないよ!?」

「はい、分かりますよ」

「うわぁ、じゃがいも分かるんだぁ。嬉しいなぁ。普段僕が喋る令嬢ってさ、みんな、料理されたじゃがいもしか知らないから、つまらないんだよね。僕は大好きで、部屋にいつも置いてある。あ、ちなみに黄色い皮の方!」


 かなり風変わりな青年だ。


 じゃがいもを部屋にいつも置いて眺めているとは?

 それに、じゃがいもの話題を令嬢にするとは?


(まぁでも、高貴な家のご令嬢だったら、知らないだろうな)


 レティスですら、生のじゃがいもを見たことはない。この青年の身なりから考えて、かなり高位貴族の出身かもしれず、であれば彼が普段会話を交わすような令嬢が知らないのも当然だろう。


「話がずれちゃった――それで、君は相手のことを気にしないようになりたいんだよね? だったらその相手をじゃがいもだと思ったのがいいっていうのはね、ほら、野菜が一生懸命喋ってるって思ったら腹も立たないでしょ?」

「え?」

「君に嫌がらせをしてきてる令嬢がどれだけ美人でも、顔がじゃがいもって思ったらほんっと笑っちゃうと思うよ」


 レティスは、今夜セイディが着ている濃いピンクの上にじゃがいもが一つちょこんと乗っていると想像してみた。


(確かに……、確かになかなかのインパクトかもしれない)


 そのじゃがいもが、しなを作ったり、嫌味を言ったり、睨んできたり――そう思えば、なんだか腹が立たない、というのも言い得て妙な気がしてくる。


「その案、すごくいいですね。私、家に戻ったら厨房で黄色い皮のじゃがいもを見せてもらいます。その方がリアリティ増しますものね」


 ぶは、と青年が吹き出した。


「リアリティって。君、ほんと、面白いね〜〜」

「貴方様には敵いません」


 一瞬彼が目を丸くしたが、すぐに表情を緩める。


「違いない。そもそもじゃがいもの話をし始めたのは僕だったね」


 彼がのんびりと言いながら、笑顔になった。

 素性の知らない、初対面の男性相手なのに居心地がよく、まるで昔からの友人であるかのように振る舞える自分に気づいていた。


「君の名前を教えてくれる?」


 彼がこてんと首を横にして尋ねてきたとき、迷ったのは一瞬だった。


「レティスと申します」

「レティス、何?」

「アーヴァインです」


 答えると、再び彼がぱっと笑顔になる。


「なるほど、君がアーヴァイン家の娘さんなんだね」


 どうやら我が家のことを知っているらしい。ただアーヴァイン家はそれなりに社交界で名前が通っているから、彼が知っていてもおかしくはない。


「僕はリーン……リーンベルク。リーンって呼んでね」


 数秒待ったが、彼が家名を続けることはなかった。


「リーン、さま……?」

「うん、そうだよ。レティス」


 名乗りあったばかりで、早速呼び捨てにされる。今までそんなことをされたことはなかったが、相手がリーンだと全く嫌な気はしなかった。彼がすごく自然体だから。


「レティスは何歳?」

「今年、十八歳になりました」

「ああ、そうなんだ。じゃあデビュタントを迎えたばかりなんだね。僕はねえ、二十三歳」


 ほぼ同い年くらいかなと考えていたので、思っていたよりも年上で驚く。そこでリーンが何かを続けようとしたが、野太い男性の声で遮られた。


「でん……っ、リーンベルク様っ! こんなところにいらしたのですか!」

「わぁ、ルパートに見つかっちゃった。ああ残念」


 リーンはいたずらが見つかった子供のような表情になる。すぐに大柄なまだ年若そうな騎士が現れたが、彼はリーンの隣に座っているレティスを見つけて、驚いたような表情を浮かべた。


「ルパート、彼女はレティス=アーヴァイン。アーヴァイン侯爵家のご令嬢だよ」


 リーンはやはりアーヴァイン家のことを本当に知っていたようだ。レティスが言わなくても、侯爵家だと付け加えている。レティスがベンチから立ち上ってルパートに挨拶をすると、彼も丁重な仕草で返してくれた。


「さ、もう帰りますよ。クリスティアーレ侯爵に挨拶はお済みですよね?」

「もちろんしたよ〜〜」


 リーンが渋々といった様子でベンチから立ち上がると、レティスより十センチくらい身長が高そうだった。彼の紫色の瞳が、彼女を見下ろす。


「レティス、またすぐ会おうね」

「……は、はい……またどこかの夜会でお目にかかれたら嬉しく存じます」


 答えると、リーンが眦を緩めた。


「会おうと思えば、きっと叶う。言霊だよ」

「え……?」

「また会おう」


 彼が再び、こてんと首を横に倒す。


「はい……では、その日を楽しみにお待ちしています」


 ぱっと笑顔になって首の位置を元に戻したリーンの髪がさらりと揺れる。月に照らされて白く輝くそれを、無意識にレティスはそっと目で追った。


「僕も楽しみにしているからねー!」


 手を振りながらリーンが去っていく後ろ姿を見送る。彼は一歩一歩小さく跳ねるように歩き、あっという間に姿が見えなくなる。

 今までリーンが隣に座っていたことが夢のようだった。


(本当に……まるで妖精みたいな人だったわ)


 レティスはベンチにもう一度座り直すと、夜空を眺める。


(うん、なんか頑張れそうな気がする。すぐには変われなくても、きっとちょっとずつ……!)


 月を見つめるレティスの瞳はもう潤んでいなかった。

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