第3話 「不思議な青年との出会い」
庭園は、大広間での饗宴が嘘であるかのように静まり返っていて、動揺したレティスの心をいくらかなだめてくれた。ランタンの光が灯され、使用人がところどころ立っていて、令嬢のひとり歩きでも問題がないようにしてくれている。
レティスはまっすぐに庭園の奥を目指すと、人気のないところにあるベンチを見つけて、腰かけた。そうするとようやく、やっと人心地つく。
(……また、逃げちゃった……)
自分でも弱虫だと思う。
だが今までの経験から、セイディが向かってくると背を向けて逃げてしまうのだ。諦めるほうが、姉と闘うよりも簡単で、穏便な方法だからだ。
だってセイディは、レティスの大事なものであればあるほど、執着する。
あの日、暖炉から取り上げた母の肖像画の一片は、姉に見つからないように隠していたのにも関わらず、いつの間にかセイディの手に渡っていたのである。
その日は、レティスの十二歳の誕生日だった。
父は、顔を見せることはなくても、レティスにもちゃんと誕生日の贈り物として新しいドレスとネックレスを贈ってくれた。それが父なりの誠意だと思ったから、レティスはネックレスをつけて、鏡の前で似合うかどうか確認していた。すると部屋の中に乱入してきたセイディが、お誕生日おめでとぉ、と言った後、こう続けた。
「そおだぁ、こんな汚いゴミが混じってたから、捨てなきゃねぇ」
その手に握られていたのは母の肖像画の一片で、あ、と気づいた次の瞬間、それはビリビリに破られ、地面に落ちていた。セイディはそれを容赦なく靴で踏みつけると、ふん、と顎をあげて部屋を出ていってしまった。泣きながらレティスはその破片を集め、姉がこんな残酷なことをしたのはレティスの誕生日だからだ、と確信を持った。
セイディの誕生日にも父はプレゼントを贈っていたが、実はドレスだけだったのだ。レティスにはネックレスも贈られたのが許せなかったのに違いない、と。
(……嫌なこと、思い出しちゃった)
ふと、先程大広間で見たフェリクスに甘えるセイディの姿を思い返した。
フェリクスがレティスのことを嫌いだったとは思えない。レティスがもう少し積極的な態度を見せていれば、もしかしたら少しは違う関係を築けていたかもしれないが――でももうそれはできない。
(私……ずっとこうやって生きていくのかな)
それは嫌だ、という想いが湧いてくる。
レティスは瞳から涙がこぼれ出さないように、空を見上げて、それは嫌だ、ともう一度心の中で呟いた。
(お姉様に心を支配されて生き続けるのは――嫌だ!)
その瞬間、彼女の視界に黒い影が落ちた。
「なにしているの?」
レティスはぽかんとした。
まるで妖精かと思った。
肩までの長さの髪は、月の光を反射してまるで真珠のように輝いている。そうして、切れ長の瞳の色は、透き通るような紫色だ。
中性的な印象を与える顔立ちは、整いすぎるほど整っていて、あまりにも美しい。
でもよく見ると髪はぼさぼさで、着ている服は高級そうだが、絶妙に着崩されている。年の頃はおそらくレティスとそんなに変わらないだろう。
(……妖精のわけ、ない。妖精がいるわけないじゃない……)
呆然としているレティスには構わず、青年は軽い身のこなしで、彼女の隣に腰かけた。
「で、なにしてたの?」
「え……?」
「空を見上げてさ、こう、微動だにしないから――しかし君ったら、綺麗な瞳をしているね」
彼が首をかしげると、さらりと髪が揺れた。
「あ、僕が怖い?」
「……怖い……?」
「この髪は白じゃなくて、銀色なんだけど。あー、でも覆うもの持ってきていないなぁ」
青年がぐしゃぐしゃと髪をかきむしりながら続けたので、ようやく何のことを言っているのか思い至った。この国では色が薄すぎる髪は、生まれる前の行いによって神が罰を与えた、と言われてあまり好まれないのである。ただの迷信ではあるが、今でも貴族階級ではまことしやかに信じられている節があり、場合によっては婚姻に影響したりもする。確かにこの青年の髪色は、信心深い令嬢には忌み嫌われるかもしれない。
だがレティスには、むしろ神々しく、美しく思えた。
「あ、いえ……怖いということはありません」
「本当に?」
「はい」
こくりと頷くと、青年がじっとレティスの顔をのぞきこんだ。
(ち、ちか……!)
初対面の男性にこんなに間近に見つめられたことがないから、レティスは思わず少し後ずさった。
「あ、ごめんごめん。僕、興味あるものはついじっと見つめちゃう癖があるんだよね。やっぱり君の瞳、綺麗なオパールグリーンだ。こんな澄んだ色、見たことがない」
青年はあくまでもおっとりした口調で、毒気が抜かれる。
「それで、何してたの?」
妖精のような浮世離れた容姿か、もしくはのんびりした口調がそうさせたのかは分からない。少し前にもう姉に心を縛られて生きたくない、と今までにないくらい強く願ったことがそうさせたのかもしれない。
とにかくレティスはこの見知らぬ男性に、胸の内を語ってしまったのだった。
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