第2話 「小さな恋の終焉」

 クリスティアーレ侯爵家の夜会は相変わらず綺羅びやかだった。


 幸いなことに到着してすぐにセイディは知り合いの貴族子息たちに囲まれることとなり、レティスはほっとした。セイディの信望者たちは大概見た目は良いが、経済的にはあまり恵まれない家の子息たちが多い。きっとセイディは彼らの誰とも婚約を結ぶ気はないだろうが、ちやほやされる自分をレティスに見せつけるのは大好きなのだ。

 しばらく、上気した頬のセイディが楽しそうに子息たちと会話をするのを眺めていた。


「レティス、久しぶりね!」

「あら、お久しぶり。お元気だった?」

「元気だったわよ」


 そこへ顔見知りの令嬢たちが寄ってきて、挨拶を交わす。令嬢たちと話す分にはセイディの視線は気にしなくていい。だからレティスは彼女たちとの会話を楽しみ、それが一区切りつくと姉に視線を戻した。

 セイディは入れ代わり立ち代わり令息たちとワルツを踊っている。だからしばらくこちらに興味を示すことはないだろう。そう見越したレティスはそのまま大広間を出た。


 クリスティアーレ侯爵は、招待客たちが彼の絵画コレクションを心ゆくまで楽しめるようにとワインなど飲みながら鑑賞できるようにしている。お盆を持って立っている使用人に果実水が入ったワイングラスをもらうと、レティスはお気に入りの絵の前に立ってじっくり眺める。


(いつ見ても素敵なタッチ……絵のことは詳しくないけれど、なんだろう、温度を感じる)


そんなに大きなキャンバスではないが、色鉛筆で帽子をおさえている女性の後ろ姿が描かれている。女性が着ているドレスから高貴な身分の人に違いない。背景も何もなく、描かれているのは女性の後ろ姿だけ。なのにどうしてかレティスの心を捉えて、離さない。この女性が振り向いたら、もしかしたら自分の母かもしれないと思わせる何かがある。 


(右下に描いている、サイン……他では見たことないのよね)


 同じ画家の他の絵を見てみたいと思うのだが、他の貴族宅や美術館などで同じサインが記されている絵を見たことがない。一度思い余って、主人であるクリスティアーレ侯爵に尋ねたことがある。


『うーん……、実はこの画家の素性については他言無用とのことで譲り受けたのだ』


 絵に関する質問であればなんでも気軽に答えてくれるクリスティアーレ侯爵が、そうやって口を濁してしまい、諦めるしかなかった。


(今夜はこの絵が見られて、よかった)


 レティスはもう一度絵を見上げると、空になったグラスを使用人に戻し、大広間に戻った。


 ◆◆◆


 大広間に戻るやいなや、顔見知りの貴族令息に声をかけられた。


「レティス嬢、まさか君に会えるなんて!」

「ダルゲンランド様、お久しぶりでございます」


 薄茶色の髪と同じ色の瞳を持つフェリクス=ダルゲンランドはダルゲンランド侯爵家の次男で、同い年ということもあってかレティスを見かけると屈託なく話しかけてくれる。

 快活な性格に似合った、爽やかな好青年で――そして、レティスがほのかな思いを抱く相手だ。


 アーヴァイン家が現在、レティスではなくセイディの婚約者探しをしていることは知れ渡っていることもあり、レティスに積極的に話しかける令息はあまりいない。アーヴァイン家とつながりが欲しいと考えている子息たちにとって、レティスは目下実のある相手ではないと思われているからだ。

 そのセイディは、ワルツの輪の中から外れて、たくさんの子息たちに囲まれている。


(……私のことは、見ていないようね)


 それだけ確認すると、目の前のフェリクスに集中する。フェリクスは、女性にしては身長の高い自分でも見上げる必要があるくらい高身長だ。


「君に会えるなんて、今夜はいい日だな。ワルツでも?」

「まぁ、ご丁寧にありがとうございます。私でよろしければ是非」

 

 彼はいつもこうして礼儀正しくワルツを申し込んでくれる。彼が差し出した腕につかまると、二人でワルツの輪に加わった。

 特に身体を近づけるわけでも、思わせぶりな目配せをするわけでもなく、あくまでも友人としての距離を保つ。万が一少しでも親しげな素振りをセイディに見られたら最後、レティスの密かな恋心は握りつぶされてしまうだろう。だが彼女は今夜も、好意を持っている男性とワルツを踊れたことだけで満足していた。一曲踊りきると、二人で輪の外に出る。

 フェリクスがにこやかにレティスを見下ろした。


「そういえば、今までどこにいたの? しばらく姿が見えなかったが」

「廊下に出て、絵画を見ておりました。クリスティアーレ侯爵のコレクションは素晴らしいですから」

「ああ、なるほど」


 レティスは名残惜しかったが、彼に暇を告げることにした。これ以上長居すると、セイディの関心を引くことになる。レティスが社交界デビューした半年前にはフェリクスと知り合っていたが、今までうまいこと姉の目をかいくぐってきた。だから今夜もここで終わりにすれば、きっと――。


ぁ」


 そこへ鼻にかかった、甘い声が響き渡り、レティスはびくりと微かに身体をすくめた。振り向くと、にこにこと可愛らしい微笑みを浮かべたセイディが立って、まっすぐにフェリクスを見つめている。レティスは無意識に、半歩後ろに下がった。


「ああ、セイディ嬢か。お久しぶりだね」


 フェリクスは礼儀正しく、レティスの姉にも挨拶をする。


(お久しぶり……、そうよね、もちろん、お姉様との知り合いで……それに、先程フェリクス様、と呼んだわ……)


 今まで二人が会話をするところを見たことがなかったレティスの胸がどくんどくんと嫌な音を立て始める。


「ええ。トーレス家での夜会以来ですわね。フェリクス様を見かけてすぐに声をかけたかったのですけれど、出来なくてごめんなさぁい」

「え、いや、そんなことは気にしないで構わないよ」


 さすがにフェリクスが戸惑った様子を見せたが、構わずセイディはニコニコと笑う。


「でも、お優しいフェリクス様は、レティスと踊ってくださったんですねぇ――私がいなかったばかりに」


 最後でセイディの目が一瞬鋭くなり、レティスを射すくめた。

 身を強張らせたレティスは、その瞬間すべてを悟った。


(お姉様が、気づかないわけ、なかった……)


 セイディはレティスのほのかな想いなど、見破っていた。

 見破っていて今まで放置してきたのは、どのタイミングで奪えば一番効果的かを探っていたからにすぎない。


 今まで姉によって被った様々な嫌がらせが脳裏をよぎる。どれもこれも、物だって人だって、姉は掠め取っていく。レティスが隠そうとすればするほど、それを目の前で取り上げればどれだけ苦しいかをわかって、セイディは手を伸ばしてくるのだ。そしてこうなってしまうとレティスが諦めない限り、セイディによる嫌がらせは続く。

 

(……終わった……)


 打ちひしがれた気持ちでレティスは、ただそれだけを思った。


「いや、私がレティス嬢と踊ったのは、別にそんな――」

「そういえば、このネックレス素敵じゃないですこと?」


 フェリクスの言葉を遮り、セイディが少し大きな声でそう尋ねる。ネックレスはもちろん、元々はレティスがつけようとしていたものだ。


「あ、ああ……確かに綺麗だね」

「私に似合っていますよね?」

「うん、そうだね」


 フェリクスがそう答えると、セイディが満足げな笑みを浮かべる。


「ふふ、ありがとうございます、フェリクス様」


 そこでフェリクスが黙り込んでいるレティスに気づき、驚いたような声をあげた。


「レティス嬢、どうしたんだ……、顔が真っ白だよ? 気分でも悪いかい?」

「あ……」


 フェリクスの注意がレティスに集中すると、セイディの顔の表情が一気に能面のようになった。


「いえ、いえ……大丈夫です。その、ちょっとだけ人に酔ったのかもしれないですわ」

「そうか。何か飲み物でも持ってこようか? いや、その前に椅子に座ったほうがいい」


 心配したフェリクスがあれこれ世話を焼いてくれ、レティスはお礼を呟いた。


「お気遣いいただき、ありがとうございます。では失礼して、少し休んでまいります」


 そう答えると、なんとか震える口元に小さく笑みを浮かべた。

 笑顔ですら、今までフェリクスに向けるのを躊躇っていた――セイディの目を気にして。


「ありがとうございました、ダルゲンランド様」


(さようなら、私の……私の小さな……初恋)


 レティスはカーテシーをすると、何か言いたげなフェリクスを残して、その場を去った。


(これでいい。こうすれば……ダルゲンランド様にご迷惑をかけないわ)


 フェリクスは紳士だから、レティスが自分から場を辞せば、気を遣って彼女を追いかけてくることはない。のろのろとした動作で、壁際に置いてある椅子に腰かけ、ぼんやりと大広間を見やる。


 自分に見せつけるために、姉はこれからフェリクスに誘いをかけるだろう。だがそれで姉に応えるかどうかはフェリクスの自由だ。レティスは一歩退いて、見守るだけだ。

 

 身振りでセイディがフェリクスにワルツをねだっているのがわかった。フェリクスは断らず、姉をワルツの輪へとエスコートする。そして踊り始めるとセイディがべったりと彼に張り付き、ただの友人にしてはかなり距離が近い。

 つと、セイディがレティスに視線を送った。

 姉の口元に残忍な笑みが一瞬浮かんだかと思うと、彼女は足をつまずかせ、そのままフェリクスの方へ倒れかかった。慌てたフェリクスが姉を抱きしめ、声をかけてやっている。そのままフェリクスは抱きかかえるように、セイディをワルツの輪の外へと連れ出すと、手近な椅子に座らせ、あれこれと面倒をみてやっている。


 そこでレティスは目を瞑った。

 そうしてもう一度目を開けたときに、セイディがフェリクスを引っ張り寄せ、彼の耳元で何かを囁いているのを見た。


(――もう、十分)


 勢いよく立ち上がると、レティスは振り返ることもせずに大広間から逃げ出した。

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