【番外編】「婚約指輪と結婚指輪」
離宮で開かれた、婚約お披露目の夜会から一週間後のこと。
「えっ! そうなの!?」
リーンハルトは愕然として目の前のルパートを見た。
朝食の後、いつものようにレティスと二人で庭園で散歩をした。すると突然小雨が降ってきてしまい、慌てて屋敷に戻ってきて、お互い着替えてからサンルームに集合となった。レティスはルパートの授業を控えていたからである。
リーンハルトは基本的に人の手に触られるのがあまり好きではないため、一人でさっさと着替えてサンルームにやってきた。するとまだレティスは来ておらず、ルパートだけが待っていた。
そこでルパートに「そういえば、レティス様に婚約指輪は贈らなかったんですねえ」と言われ、リーンハルトの頭には「???」がいっぱい登場したのである。
さすが幼馴染のルパートは、リーンハルトのその反応で全てを察したらしい。
世の中には婚約指輪というものが存在する、ということを教えてくれたのだ。
「ご存じなかったことを知りませんでした」
「僕だって結婚指輪は知ってるよ」
と、リーンハルトは主張してみた。
「そうでしたか、それはよかったです」
などとルパートにさらっと流される。
「でも……婚約したときにも指輪を交換するなんて知らなかった!」
「まぁ全員ではないですし、若者の間では最近増えてきたかなという感じですよ」
ルパートが取りなすように言ったが、リーンハルトは顔をしかめる。
「レティス、婚約指輪がないなって思ってたかな」
「うーん、どうでしょう。レティス様が気になさっているようにはお見受けしませんでしたが」
「だよね、レティスってそういう人だよねだって優しいもの」
はあ、とリーンハルトはため息をついた。
ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回して、どうしようかな、と思う。
「僕、レティスに聞いてみる」
「聞く、とは?」
「婚約指輪、欲しかったって……ああ、でもそんな風に聞いたら、いらないって言うよねだってレティスは優しいもん」
ぐぬぬぬ、と唸っているリーンハルトを見て、ルパートがふは、と笑い声を漏らした。
「なに!? 何がおかしいのルパート!?」
「いえ……、本当にレティス様とお会いされてから、変わられたなぁって思いまして……以前だったら、俗世のことにあまり興味がおありではなかったですよね」
「そう? だとしたら……それはレティスのお陰だね」
「ですね」
目の前で穏やかな表情をしているルパートに、出会った頃の彼の印象が重なる。
生真面目そのもののルパートは曲がったことが大嫌いな、正義感の塊のような少年であった。
出会いは王宮でのお茶会である。
同じ年頃の令嬢や子息たちはリーンハルトが白く見える銀髪をもって生まれたことを知っており、いくら金色に染めていても、遠巻きにするばかりだった。
(じゃがいも、じゃがいもだもん……!)
若干五歳のリーンハルトは、彼らの顔に一個ずつじゃがいもをかぶせて、なんとか気にしない風を装っていた。そこへ、とんでもないことが起こったのだ。
「リーンハルト殿下、初めてお目にかかります!」
「――え?」
すたすたとまっすぐに歩いてきた大柄な少年が、唖然としているリーンハルトの前にすっと片膝をついたのだ。そうすると二人の目線がほぼ同じくらいになる。
普段同じ年頃の令嬢や子息たちに目を逸らされることがほとんどだったリーンハルトはルパートの目線の強さを眩しく思った。そうして同時に、彼の瞳の色を目に焼き付ける。その頃からリーンハルトは色彩感覚に優れ、また興味あるものは凝視するくせがあった。
だがそうされてもルパートは気にした様子をまったく見せない。
「ルパート=マッキンゼーと申します。以後お見知りおきを」
「え……う、うん」
それからルパートは自分はマッキンゼー家を継がないので騎士になりたいんですよね、と、あっけらかんと続け、しばらくするとリーンハルトはすっかり打ち解けていた。
その後もお茶会でルパートがいれば、リーンハルトは一人きりにならずに済んだ。そのルパートが騎士試験を突破し、リーンハルトの護衛についた日は――どれだけ嬉しかったか。それもルパート本人の希望だと聞いて、より嬉しかった。裏に王の采配があったと知ったのは、それから少し後のことである。
「――殿下?」
ルパートに声をかけられ、リーンハルトは我に返った。
(懐かしいことを思い出してしまったな)
今では過去を思い出すと、父である王やルパートへの感謝しかない。
「ちょっと考え事をしてたんだよ」
「そうですか」
「ルパート、ありがとう」
まっすぐにお礼を告げると、ルパートが文字通りぴしりと固まった。
(そういえば、ルパートにちゃんとお礼を言うの、初めてかも)
リーンハルトはあふれ出る思いを言葉にすることにした。
「ほんと、今まで……ルパートがいてくれたから、僕、孤独じゃなかった。僕の護衛をすることでマッキンゼー家との関係が悪くなっても僕の側にいてくれてありがと。感謝してる」
「……、そ、そう、ですか……」
立ち尽くしていたルパートがぎくしゃくと首を動かして、頷く。
「あ、照れてるの?」
「て、照れていません。どちらかというと――驚いています……でもそう言ってくださってありがとうございます」
「ふふ、はずれ王子の護衛なんて大変だったでしょ。噂もいっぱいされただろうし……それに僕、やっぱり普通の人みたいに出来なかったから、ルパートは優しいから、付き合ってくれてたけど……」
「いいえ、それは違いますよ」
やんわりと、しかしはっきりとルパートが否定する。
「私は殿下のお側にいることが出来て、幸せでしたし、今も幸せです。殿下のお陰で植物の知識もいっぱい増えましたしね」
「……ほんと?」
嬉しくなってリーンハルトはにっこり笑う。
「ありがと、ルパート。これからもよろしくね!」
「ええ、もちろん。この命尽きるまで、お側でお守り致します」
「うん、頼りにしている! そういえば僕はもう婚約指輪をあげたいって思える女性があらわれたから、次はルパートの番だね!」
「は?」
「僕も結婚するし、ルパートもしていいんだよ」
そう言うと、ルパートがやれやれ、といった表情になる。
ルパートは自身の出生があまり歓迎される類ではないため、一生独り身を貫くと決意しているのだ。
「私は結婚しませんのでお気遣いなく。それより殿下、婚約指輪についてどうされるんです?」
「どうしよっかなぁ。宝石屋に頼んで、宝石の代わりにじゃがいもをつけてもらおっかなぁ」
「え! 嘘ですよねそんなの絶対駄目ですよ!?」
この人は本気で言いだしかねない……という顔をルパートがした瞬間、サンルームのドアが開いてリーンハルトの愛しのレティスが入ってきた。
「――お待たせして申し訳ありません!」
「大丈夫! ねえ、レティス、僕今まで婚約指輪があるっていうの知らなくて、あげなくてごめんね?」
リーンハルトにとってはそうではないが、レティスにとっては急な話題転換であるけれど彼女はすぐに理解してにっこりと笑った。
「ううん、私は必要ありませんので、どうぞお気遣いなく」
「レティスだったらそう言うと思った―! それで今、ルパートと話していたんだけど、宝石の代わりにじゃがいもをつけるのどう?」
断じて私はそんなことは言っておりません、とルパートが口を挟む前に、レティスが笑った。
「じゃがいもですか? 指輪につけたら落ちちゃいますよ?」
「それもそうか……じゃあ諦めるか」
「婚約指輪はいりませんよ。私、リーン様にじゃがいもを頂きましたし、私もじゃがいもを刺繍したハンカチをお返ししましたから」
それで十分です、とレティスが続けると、リーンハルトの顔が明るくなる。
「結婚指輪はちゃんと贈るからね! そうしないと、レティスが結婚してるってみんな気づかないから、してくれないとだめだよ」
「ありがとうございます。でしたらリーン様もちゃんと嵌めてくださいね」
「もちろんだよ!」
二人はふふっと共犯者の笑みを交わす。
話がまとまったのを見計らってルパートが咳払いをした。
「では、今日の授業を始めますか――」
◆◆◆
本来であればお互いの名前を刻印するのがスタンダードであるが、レティスとリーンハルトの結婚指輪には、じゃがいもをイメージしたイラストが小さく刻印された。
レティスは灰色のじゃがいもをイメージした楕円形の、リーンハルトの指輪には黄色の丸みを帯びたじゃがいもである。王家の結婚指輪としては異例のデザインであるが、二人はたいそう満足してお互い死ぬまでその指輪を外さなかったという。
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