最終話 「はずれ王子の婚約者となりましたが、幸せです」

 頃合いをみて、大広間へと戻った。


 さすがに父と義母は言い合いを終わらせていた。父は知り合いの貴族と、リザベッドはセルジャックと、それぞれ別の時間を過ごしている。セイディの姿は見受けられなかった。


 大広間に戻るや否やすぐにルパートが背後につくのを見て、婚約披露の場で一体何をしていたのだろうとレティスは自身を恥じた。もちろんルパートが目を光らせていてくれただろうが、それでもバルコニーでなかったら醜聞があっという間に広がってしまっていただろう。


(自分たちのことしか考えられなかったなんて……恥ずかしい)


 隣を見上げると、リーンハルトは再び“はずれ王子”としての仮面をかぶっていた。だがそのリーンハルトがちらりと彼女に視線を送ってから、また前を向く。


「レティスが悪いわけじゃない。気にしないで」

 

 彼の横顔がそう呟き、彼女の気持ちを汲んでくれたことを知る。


「はい……ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。それに、今はこれを終わらせなきゃ」


 リーンハルトの視線の先には、多くの護衛と共に大広間に入ってくる王の姿があった。


 ◆◆◆


「――ということで我が息子リーンハルトとレティス=アーヴァイン嬢の婚約が成立することとなった。皆の者には、証人となっていただきたい」


 あれからすぐに王と王妃の元へ呼ばれ、婚約披露の挨拶となった。リーンハルトの隣に立ったレティスは、突き刺さるような視線をなんとかやり過ごしながら、歓迎の拍手を浴びる。


 普通ならば挨拶はこれで終了だ。

 だが王は右手をあげ、貴族たちの静粛を求めた。


「リーンハルトは療養中のため、このあたりで失礼する。それに今後もあまり公務にはつかないが、離宮に留まることとなる。その件で不満がある者は後で申し出るがよい、言い分を聞こう」


 王がそこで一拍置く。


「そして内輪の夜会ゆえ、ここからは私個人の意見を言わせて欲しい」


 しいんと広間が水を打ったかのように静まり返る。


「リーンハルトについて様々な噂が流布していることは承知している。その真偽についてここで論じるつもりはない。だが、自身を不甲斐ないと思っているのは誰よりもリーンハルト本人だ。そんなリーンハルトに寄り添ってくれたレティス嬢を私は大切にしたい。皆もおおらかな心で、ここにいる若い二人を温かく見守ってほしい、と一人の親としてそう願っている」


 あまりにも私的な呼びかけだった。

 リーンハルトがはっと息を呑む音がレティスにも聞こえてくる。


 貴族たちも驚いたのか静寂が広がって、数秒沈黙が続いた。


 やがて、ぱんぱん、と誰かが拍手をし始める。レティスがちらりと視線を送ると、それはルパートであった。

 

 つられたように拍手が続き、それはあっという間に会場全体を飲みこむ。クリスティアーレ侯爵なんて最前列で大きな音を立てて拍手をしていた。そしてそれはいつの間にか先程の拍手よりもっとずっと大きくなっていく。


 冷たい視線ばかりが目立っていたが、もしかしたらその状況を憂いている人々もいたのかもしれない、と思わせるほどの温かい拍手だった。

 リーンハルトを見上げると、彼のクロッカス色の瞳は潤んでいるように思えた。


 ◆◆◆


 本日の目的である挨拶も終わり、宴もたけなわとなる。

 ラッドリーは振り返りもせずに、さっさと帰宅していった。父の背中を視界の端に留めながら、自分は彼を見送るばかりだなとレティスは思う。それが父と自分の最適な距離感だ。


「父上たちに挨拶にいこうか」


 リーンハルトに連れられ、王と王妃が座っている椅子の元へ向かう。人々はリーンハルトとレティスの姿を認めると、さっと場所をあけてくれた。

 リーンハルトと共に主君にする挨拶をする。

 

「父上、今宵は私達のためにこのような夜会を開いてくださって誠にありがとうございました」

「うむ」

「それから……、ああやって、皆に仰ってくださったこと……心より感謝致します」


 つまりながらもリーンハルトがそう続けると、王が和やかに応じた。


「ああ」

「では無事に挨拶も終わりましたので、私たちはもう離宮に帰ろうかと思います」

「わかった―……だがリーンハルト、その前にちょっとレティス嬢と話してもいいか?」

「え?」

 

 途端、それまでの王子然とした態度は消え去り、明らかにリーンハルトは嫌そうな表情になった。

 が、しぶしぶ頷く。


「わかりました。なるべく短い時間にしてください」

「そんな顔をするな。……本当に少しだけだ」


 王は軽い身のこなしで立ち上がり、レティスの元へと歩いてきた。どうやら王妃の耳にもいれたくない話らしい。しかし王妃は気にした様子も見せずに、微笑んだままだった。


「少し離れていろ」


 王が人払いをすると、さっと周囲から人々がいなくなる。

 リーンハルトもルパートを従え、声の届かない場所に立つ。


「レティス嬢、顔をあげてくれ」

「――はい」


 レティスが見上げると、王の眼差しはとても暖かった。


「リーンハルトのことを理解してくれて、ありがとう。親として感謝している」

「――!」


(親として……!)


「ルパートからも報告を受けているが、君と一緒にいるとリーンハルトは本当に幸せそうとのこと。私も同意する……あんなに幸せそうな息子を見たことがない」


 レティスの胸がいっぱいになる。


「……まさか、そのような過分なお言葉をかけていただけるとは……」

「そんなに畏まらないでくれ。君はもう私の娘だよ」


 言葉が続かないレティスに、王は頷いてみせる。


「私はリーンハルトに素晴らしい才能があると信じている。親としての欲目かもしれないが、子供の頃から非凡な部分は突出していると感じていた。……だが残念ながら“王子としては”不適合だったのは事実だ」


 そこで王の口調に、後悔がにじむ。


「といっても二つ名をはびこらせ、彼を深く傷つけてしまったことは私の手落ちだ。なるべく拡散しないよう手を尽くしたつもりだったが、人の口に戸は立てられぬ。そればかりは息子にどうやって償おうと思っても償いきれない」


 王もラッドリーと同じく、自分の子の置かれた状況をきちんと把握していた。

 だが、レティスの父と決定的に違うのは、王は出来うる限りの手立てを講じたということ。

 ――リーンハルトへの愛ゆえに、彼の心を守るために。


「王という立場でなければもっとなりふり構わず対応出来たかも、というのは言い訳だな。だが、私なりに、せめて彼が幸せになる伴侶をとそれだけは譲れなかった」


 そこで王が表情を和らげる。

 そうすると厳しい王の顔が、とてつもなく魅力的になることにレティスは気づく。あまり似たところはないと思っていたのに、笑顔だけがリーンハルトに瓜二つだ。

 レティスが大好きなリーンハルトに。


「君は今、幸せだろうか?」


 こうしてレティスのことも気にかけてくれる王は、なんて器の大きい人物なのだろうか。


 その問いかけに、レティスはゆるゆると笑みを浮かべる。


「はい、私も……リーンハルト様の婚約者になりまして、幸せです」


 王はレティスのその答えに満足したかのように、晴れ晴れとした顔で頷いてみせた。


 ◇◇◇


「何を話してたの? って内緒か〜〜だから人払いなんだもんね〜〜」


 リーンハルトが若干拗ねている。


「ふふ。陛下が、リーン様をとっても大好きっていうお話でした」

「なにそれ」

「素敵な方ですね、陛下も」

「……うん、知ってるよ」


 二人で和やかに話しながら出口に向かっている間に、何人かの貴族に話しかけられた。そのうちの一人にリーンハルトがつかまり話し込んでいると、手持ち無沙汰だったレティスの前にフェリクスが挨拶をしにやってきた。

 爽やかな笑みは変わらず、なんだか懐かしく思うくらいだった。


「レティス嬢」

「ダルゲンランド様、お久しぶりでございます」

「殿下とのご婚約誠におめでとうございます。――君が幸せになったようで、良かった」


 優しげな表情を浮かべるフェリクスに、レティスの胸が熱くなる。


「ありがとうございます、ダルゲンランド様」


 フェリクスは白い歯を見せて笑った。


「うん。……まぁ君と縁があれば、と思ったこともなくはないけれど、これだけ嬉しそうな顔を見せてくれたらもう満足だな」

「ダルゲンランド様ったら、また冗談を仰って――」

「あながち冗談ではないよ。でも、見守るしかできなかった私には何を言う資格もないね」


 そんな事を言いながらも、フェリクスの顔はただただ穏やかだ。


「ふふ。私のことを見守ってくださっていたんですね」


 レティスが微笑めば、フェリクスの瞳に少し熱がこめられる。

 だがそこで、ぐんと腕を横に引っ張られた。


「僕の婚約者を返してもらおう」

「リ……、殿下!」


 驚いたレティスが声をあげると同時に、フェリクスが王族にする最敬礼を取る。

 

「ご婚約おめでとうございます、殿下」

「うん、ありがと」


 おざなりにフェリクスに返事をすると、リーンハルトはレティスをひっぱって歩き始める。振り返ると、フェリクスは見たことがないくらいの笑顔でこちらを見送っていた。


 ◇◇◇


 すぐに馬車に押し込まれて、離宮へと戻る。

 馬車の中でリーンハルトは言葉少なで、だがレティスにぴったりとくっついていた。


 離宮につくとしかしリーンハルトがレティスに聞いた。

 

「もう寝ちゃう?」

「いえ……さすがにすぐには眠れないかもしれないです」


 疲れてはいるが、気持ちが昂っているから今すぐには寝つけそうにない。


「そっか。じゃあサンルームでもう少しだけゆっくりしない?」

「はい、是非」


 そういうことで夜会用のドレスを脱ぎ、身繕いをミシェルに手伝ってもらった。ナイトドレスを着せてもらうと、すっかりいつものレティスへと戻る。

 

 サンルームに入ると、リーンハルトはソファに腰かけてぼんやりしていたようだった。柔らかそうな白いシャツに黒いパンツを合わせ、それからレティスの好きな銀色の髪はもう帽子に覆われていない。


「お待たせしました、リーン様」

「……うん……」


 リーンハルトが、なんだか元気がない。

 心配になりつつ、彼の隣に腰かける。


「リーン様こそお疲れでは……?」

「ううん、大丈夫だよ。それよりさ……ダルゲンランド、あんなに美丈夫だって知らなかった」

「……?」


 どうしてフェリクスの話がでてくるのだろう、とレティスは一瞬話題についていきそこねた。


(それにリーン様のがずっとお綺麗だけれど……?)


「君と縁があれば、って言ってた」

 

 ぶすっとしたリーンハルトに、彼が何を言わんとしているのかやっと把握する。


「いえ、ダルゲンランド様はただただ紳士なだけなんです。本当に私のことをお好きだったのではなくて――心配してくださっていただけ」

「そう……? そんな感じはしなかったけどね……?」


 それでレティスは以前に話したときよりももっと詳しくフェリクスとの顛末を話した。

 自身が持っていたのは単なる淡い憧れで、それは尊敬の念からきていたこと。

 フェリクスも気にかけてくれていたが、恋愛感情はないはずだ、とも。

 先程も彼が見せていたのは、親愛の情にしか過ぎないと。


「でも、君のことを気にしてたよ?」

「あの方は紳士だから……、姉に対してでも丁寧に扱ってくださったくらいなんです。そうして周囲に気を配られる方なんです」

「ふうん……、じゃあ、ま、よいことにする」


 そこまで聞いてリーンハルトはようやく不承不承納得したようだった。


「私はだってリーン様だけが大好きですから―……」


 そこでレティスはふと視線をあげ、あっと声をあげた。


「天窓を見てください、リーン様……!」

「なに……? あっ!」


 レティスの指差す方向へと視線を送ったリーンハルトも固まる。

 天窓には、いつの間にか降り始めた雪が積もりつつある。いつか一緒に見たいね、と言っていたまさにその光景であった。


「わぁ、こんな風に見えるんですね……!」


 少しずつ少しずつ白い雪が積もっていく。


「あれ、面白い形が残るのがあるね……?」

「形……となると、結晶ではないですか? 私はそこまでよく見えないけれど」

「結晶か! すごい綺麗、不思議な形だね」


 さすがに天窓は遠くて、レティスには結晶の形までは確認することができない。だがどうやらリーンハルトにはちゃんと判別できているようだ。リーンハルトが食い入るように天窓を眺めている姿は、レティスをこの上なく幸せにする。


(もしこの光景を絵にされるなら、どうやって描かれるんだろう……? ああ明日からもリーン様と一緒に過ごせるなんて、本当に幸せだな)

  

 出来ないことは、出来る人が担えばいい。

 リーンハルトが文字が読めなかったとしても、彼が許してくれるならそれはレティスが代わりにすればいいだけだ。


 ただ、それだけのこと。

 そしてそれが二人で生きていくということだ。


「ほんっとに綺麗だなぁ……わぁ、幸せ」


 先ほどまで少し拗ねていたのが嘘のようにリーンハルトは子供のように笑った。


「でもね、一番嬉しいのはレティスと一緒に見れたことだね。僕たち、二人とも生まれて初めて天窓に積もる雪を見たね!」


 レティスはリーンハルトに向かって微笑む。


「はい! これから一緒に色々なものを見ていきましょうね、リーン様」

「うん、楽しみだな。まだ見ぬ明日が楽しみだって、レティスが教えてくれたんだよ」


 リーンハルトがレティスを抱き寄せ、彼女のこめかみに唇を押し当てる。


 そうして二人はいつまでも天窓に積もる雪を、見上げていたのだった。



 ◆◆◆



 何百年か後のこと。


 シュテット王国にかつてはずれ王子と呼ばれる、いわゆる変わり者の王子がいたことは国民の間で有名になっていた。というのははずれ王子が書き残した二冊の本が広く愛されているからだ。

 

 それは文字を学べる教本と、植物図鑑である。

 

 はずれ王子による本は、文字を読むのが得意ではない平民でも理解しやすいように工夫されていて、特に人気なのは植物図鑑だ。はずれ王子の描く、植物に忠実で繊細、温かみのあるタッチのイラストが愛される秘訣だ。添えられている文章は必要最小限におさえられているが、奥付によればはずれ王子の妻である王子妃によるものだ。


 文字を読むのが得意ではない平民でも、まず文字を学べる教本から入り、それから植物図鑑を読めばさらに深く理解することができる。


 そして、はずれ王子の植物図鑑には、植物から作ることの出来る薬についても詳しく載っていて、それは国民たちを広く救うこととなった。


 はずれ王子の大きな偉業としてこれからも永遠に語り継がれていくだろう。


 史実によれば、はずれ王子は終生離宮に住み、最愛の妻と子どもたちと共に幸せに暮らしたそうだ。文章で書けばたった一行だが、その人生が愛に満ちた幸福なものであったことだけは、ここに記したい。



 FIN




______________________________


読んでくださってありがとうございます涙

本編はここで完結ですが番外編を更新します

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