第31話 「アーヴァイン家との決別 ③」
セイディの表情を見て、今まで姉を動かしていた原動力――それは父に振り向いてもらいたい一心だったのだと、レティスは唐突に気づいた。
レティスへの嫌がらせも父の歓心を引くための一つの手段だと。
かといって、レティスにしでかした様々な言動を決して許せるわけではないが。
(……でも、お父様が全てをご存知で……しかもこんな風に言われてしまって……お姉様、きっと……)
父には見捨てられていて、妬みの対象だったレティスは幸せになっていた。
セイディの心は、粉々に砕けてしまったのかもしれない。
その証拠に、がくりとセイディが床に座り込んでしまう。だがそんなセイディに一瞥もくれずに、父は再び話し始めた。
「今夜は驚いた。あまりにもレティスがジェランダに似ていたから……それに、ジェランダと初めて会った夜会で……彼女が着ていたのはラベンダー色だったんだ。思い出さずにはいられないだろう……」
父の眼差しは遠く、それはこの場にいる誰もを通り越して、過去を彷徨っていた。
「あんなに清らかで美しい女性を見たことがなかった……。爵位は低かったが、私はいっぺんで虜になって……夢中だった。誰よりも愛していた。彼女以上に愛する女性は現れないだろう」
父の声にはどこか希うような響きが感じられ、彼の言葉は真実なのだろうと思わせるなにかがあった。
(そんな話……、私に話してくれたことはなかった……!)
レティスはぐっと両手を握りしめる。
母が亡くなってから、父は変わってしまった。レティスが覚えているのは、父の背中だけだ。
「私があまりにも腑抜けになっていたから、用意されたのがリザベッドとの婚姻だった。リザベッドに最初に言ったのだ――私は、ジェランダしか愛せない、と。リザベッドはそれで構わないと……その代わり、自分と自分の子供以外を大切にするな、と……約束を……リザベッドは苛烈な性格だから、私が約束を破るときっと、レティスたちに危害が及ぶと思って……それで……」
ラッドリーの述懐がどんどん自己陶酔のために湿り気を帯びていったその瞬間、リーンハルトが口を開いた。
「自分のことしか考えてないんだね」
リーンハルトがぎゅうっとレティスを抱きしめる。
「僕には自分の子供がいないからわからないけど、貴方にとってはそうやって捨て置けるものなんだね。最低最悪。今更何を言っても、もう遅いよ」
ラッドリーの顔が一気に赤らんだのが、暗闇の中でも分かった。
(……リーン様……)
後妻を迎えるのは、立場上仕方がなかったのだろう。
だが、後妻との約束があったとはいえ、レティスのことを見捨てたのは父の意思だ。
母の肖像画を仕舞いこみ、挙句の果てにはセイディがそれを燃やしても気づきもしない。気付いていたとしても、何の罰も与えなかった。そしてセイディがレティスにしてきた数々の残酷な意地悪を見て見ぬふりをした。父はレティスに、危害を加えることはなかったけれど、何ひとつ与えてこなかった。
リーンハルトとの婚約だって、アーヴァイン家の利益しか考えていなかったではないか。
そんな父が、自身の若い頃の恋を思い出し、戻らない過去を懐かしむような目をする。母のことを一番愛した女性だ、などと言う資格が父にはあるのか。
(なんて傲慢な、自分勝手な人なのだろう。お姉様だって、お父様がこういう人じゃなかったらきっともっと幸せになれていたはずなのに……!)
セイディのことも許せはしないが、彼女も父の犠牲者である。
全ての元凶は間違いなく、父で――。
自分を守るように抱きしめているリーンハルトの腕に、レティスは自身の手を置いた。
「お父様」
レティスが口を開くと、ラッドリーが縋るような視線を送ってくる。
「お父様が望まれた通りに、私はアーヴァイン家を出ました。どうぞご心配なさらずに。今後は、お手紙も緊急以外は送ってこられませんよう」
「レティス……?」
父が絶望に満ちた表情に変わっていくのを見つめながら、レティスはきっぱりと続けた。
「今まで育ててくださってありがとうございました。これからもどうぞこれまでと同じように、“お父様のご家族”だけをお大事に過ごしてくださいませ」
父はぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている。
「アーヴァイン」
そこでリーンハルトが、レティスの父に改めて呼びかけた。
「僕はレティスを大事にすると約束しよう。今まで育ててくれたことには礼を言う――でもそれだけ」
「で、殿下……」
「レティスはもう王家の人間だよ。貴方がそうやって書類にもサインしたはずだ。それを忘れないようにね?」
それから、リーンハルトは広間からバルコニーを覗き込んでいる人影を指し示した。
「君の奥さんが、かんかんに怒ってるんじゃない? “約束”とやらを破っちゃって、大変なことにならないといいね」
◇◇◇
力が抜けて抜け殻のようになったセイディを引っ張ってラッドリーがリザベッドの元へと去ると、リーンハルトがふうっと息を吐いた。
「リーン様……、ごめんなさい、お聞き苦しいことばかりで……」
「ううん、大丈夫。前からレティスに聞いてたから驚きもしなかったよ。それよりレティスは大丈夫?」
クロッカス色の瞳が、レティスを気遣うように細められた。
「はい。むしろなんか……ずっと、囚われていたのが……嘘みたいに気が楽になりました。こんな風に感じるなんて、自分が薄情な気もしてしまいますが……」
「どうして? みんなレティスのことを雑に扱ってたから、当然じゃない? “家族だから”という理由だけで束縛されるのは辛すぎるよね」
リーンハルトはあっさりそう言った。
「特に君の父上、本当に自分勝手だったな。僕、あんまり言葉を知らないからなぁ。もうちょっと厳しく言ってやりたかったな〜〜」
それでもリーンハルトは、父に真正面から意見してくれた。
他の誰に理解されなくても、リーンハルトが理解してくれる。それだけで十分だ。
「リーン様が隣にいてくださったから、私……心強かったです」
「僕、ちゃんとはずれ王子みたいだったかな?」
リーンハルトがいつものリーンハルトの顔に戻る。
「私にとっては白馬に乗った王子様みたいでした」
「ええ、白馬? それってかっこいいの?」
「はい、とってもかっこよかったです!」
「だったらいいか」
リーンハルトが首を傾げた。
「そういえば、ちゃんとじゃがいもを被せた?」
「姉には」
「ほんと? 黄色のじゃがいも?」
「茶色です。黄色いじゃがいもより、大きい方が良かったので」
「いいね、楕円形のじゃがいもかぁ〜〜。横においたの、縦においたの?」
普段通りのやり取り。
そうしているうちに、平常心を取り戻していく。
「横にしましたが、縦でもよかったかな……」
ちらりと父の方へ視線を送ると、ガラスの扉の向こうで、義母と口論をしているかのように言い合っているのが見えた。セイディは力なく項垂れたまま彼らの隣に立っている。
ずっとずっと、綻びのある家族だった。
一旦亀裂が入ると、もしかしたら崩壊はすぐかもしれない。
だが、彼らとレティスの進むべき道ははっきりと別れており、そのように仕向けたのは彼ら自身だ。
レティスはついに、心の中で家族への複雑な思いをぱちりと断ち切ったのだった。
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