第16話 「ピーコックブルーとピーコックグリーン」
使用人が運んできたスコーンを食べるリーンハルトを眺めていた。彼は余程お腹が空いていたらしく、スコーンを食べると、添えられていた果物にも手を伸ばした。
すっかりいつもののんびりした空気が戻ってくる。
「そういえば、僕が来る前はここで何をしていたの?」
「ハンカチに刺繍をしていました」
脇に置いていたそれをリーンハルトに見せる。
植物の柄で、ちょうど色濃い青緑色の刺繍糸で縫い始めたところだった。リーンハルトが目をすがめるようにして、じっと布を見つめる。
「ああ、その糸はピーコックグリーン……いや、ピーコックブルーかな……?」
濃い青緑色の刺繍糸が欲しい、とミシェルに伝えて手に入れただけなので、正確に何色なのかはレティスは知らない。
「どちらでしょう?」
「うーん。僕にはピーコックグリーンに見えるな」
「リーン様がそうおっしゃるなら、これはピーコックグリーンなのでしょうね」
ふとレティスは、色の勉強をしてみたいな、と思う。
リーンハルトが興味を持っているものを、自分も知りたいと。自分に知識が増えれば、リーンハルトとの会話ももっと弾むに違いない。
(それだったら色だけじゃなくて植物についても学びたいな)
離宮には図書室があるにはあるが、こういった規模の屋敷にしては驚くほど蔵書の数が少ない。本に関しては実家のアーヴァイン家の方が充実しているくらいなのだ。
(でもリーン様がこちらに移られてからそんなに時間が経ってないとうかがっているから、これから増えていくのだろうけど……)
「あの……、私も植物について勉強してみたいので、よろしければ初心者向けの良い本があれば教えてください」
そこでとても不思議なことが起きた。
それまでにこやかだったリーンハルトからみるみるうちに表情が失われてしまったのだ。
「……?」
いつもなら彼が首を傾げるところを、レティスが小さく傾げてしまう。しばらく沈黙が続いたが、リーンハルトがはっとしたかのようにレティスを見返した。
「ごめん。僕にはわからない」
とても申し訳なさそうだったので、そんなつもりはなかったレティスは慌ててしまった。
「いえ、いいんです。私こそごめんなさい。もう既にお詳しくていらっしゃるリーンハルト様が初心者向けの本なぞご存知じゃないですよね……」
「いや……そんなつもりはなくて……」
リーンハルトがうーんと考え込んで、はた、と気づいたかのように両手をぽんと合わせた。
「今度庭師に聞いてみるよ。彼は文字が読めるし博識だから、きっとレティスにぴったりの本を知っているはず。それが分かったらジャスターに手配してもらうから」
ようやくいつものようにリーンハルトがにこにこする。
「そこまでしていただかなくても……」
軽い気持ちで尋ねただけだったレティスは恐縮した。
「ううん、たいしたことないよ。ごめんね、今すぐに分からなくて。他にも必要な本があったら、ジャスターかミシェルに言ってね」
「はい、ありがとうございます」
それから二人は普段通りに過ごし、就寝の時間となった。
自室のベッドに潜り込みながら、レティスはふと、いつもならば色々なことに興味がいっぱい向くリーンハルトが、本の話に関しては何も触れなかったな、と思い返した。
(リーン様はあまり本を読むのはお好きじゃないのかな……。だとしたら本の話題は振らないように気をつけたほうがいいかしら)
本嫌いの人というのはいるものだ。
レティス自身は読書が好きだが、セイディはほとんど本など手に取らなかったと記憶している。
(ああでも……やっぱり、リーン様の髪の毛、綺麗だったなぁ……)
夕暮れに照らされると、白というよりはもともとの銀色に見えたが、夜になって月の光がサンルームに落ちてくると、出会った時のように真珠のような輝きをみせた。
(すごく、すごく綺麗……あんなに綺麗なリーン様が不吉なわけないわ)
ふわりと脳裏に、リーンハルトの面影がよぎる。
(リーン様ともっと親しくなれたらな……)
そう思ったのを最後に、レティスはそっと目を閉じて眠りに落ちていった。
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