第23話 「特別なことはいらない」

 翌日、リーンハルトが髪を切った。


 他人に頭を触られるのがあまり好きではないというリーンハルトの髪を切ったのは、ジャスターだった。ジャスターはそれこそリーンハルトの母親が生きている頃から仕えているから、任せられるのだという。それでも人の手が頭を触る感覚は、なかなか許容し難いらしい。


「レティスが同じ部屋にいるなら我慢できるかも」


 というので、サンルームでジャスターに髪を切ってもらうリーンハルトを見守ることにした。


「耳上で揃えてしまってよろしいのですよね?」

「うん」

「ではまず、横から揃えていって、後ろを切って、最後に全体を整えます」

「わかった。覚悟決めとく」


 ジャスターが手順を説明すると、リーンハルトが頷いた。それからリーンハルトが固く目を閉じて微動だにしない中、ジャスターが手際よく髪を切って整えていく。美しい銀色の髪がはらりはらりと落ちていくのを、レティスは黙って見ていた。


「――終わりました」


 ジャスターが言うと、リーンハルトが大きな大きなため息をついた。


「はぁぁぁ、やっぱり髪を切られるのは苦手だな!」

「よく我慢されました。ご立派でしたよ」


 苦笑しているようにも思えるジャスターがそう声をかけると、リーンハルトが頭を左右に振った。


「頭が軽い〜〜こんなに短くなったのは、子供の頃以来だな」

「そうでいらっしゃいますね。洗髪されるのも乾かされるのも、ずっと楽になると思いますよ」

「それは嬉しいな〜〜」


 ジャスターが箒を持ってきて、床を掃き清める。散らばっているリーンハルトの髪は、光を浴びてきらきらと輝いている。

 リーンハルトがソファに座っているレティスの近くまで歩いてきて、両手を軽く広げる。


「どう?」


 耳上までのさっぱりとした髪型は、リーンハルトの中性的な美貌に良く似合った。以前は妖精のようでそれはそれで浮世離れしていて素敵だったが、髪が短くなったことで絵本に出てくる王子のように整った顔立ちが際立っている。――実際彼は王子なのだが。

 

「すごく、かっこいいです」

「これで普通の、貴族子息みたいに見えるかな?」


 確かに髪型だけみればごく普通の子息のようだった。リーンハルトは少しでもレティスに恥をかかせないために、髪を切ってくれたのだ――彼にとって心地よくない作業だったのにも関わらず。

 そうやってレティスを気遣ってくれる彼の優しさに、胸がいっぱいになる。


「もちろん。ですけど、リーン様はリーン様ですから……私にとっては普通の方より断然かっこよく見えます」


 リーンハルトが頬をさっと染める。


「ありがと。嬉しい」

「ちょっと……ではないですよ、断然、です」

「言いすぎだよ」

「言いすぎくらいで、ちょうどいいです」

「もうやめてよ、恥ずかしすぎる〜〜」


 わざとらしくリーンハルトが頭を抱えてみせる。

 それから顔を見合わせて、にっこりと微笑み合ったのだった。


 ◇◇◇

 

 翌週始めに予定通りにルパートが離宮へとやってきた。


「本日よりよろしくお願い致します」


 ルパートがリーンハルトとレティスに向かって最敬礼をする。


「待ってたよ!」


 リーンハルトは大喜びで、サンルームに挨拶に参上したルパートの肩や背中を叩いたりしている。


「お待ちいただけてよかったです。すっかり忘れられているかと」

「こんな図体の大きい男を忘れるわけないでしょ」

「それもそうですね」

「ここしばらくでまた身長が伸びたんじゃない?」


 リーンハルトが自分よりかなり大きいルパートを見上げて、目を細める。


「俺が何歳だと思っているんですか。今更身長が伸びるわけないでしょうが」

「ルパートに人間の常識が通じないのかもしれないでしょ」

「何を勘違いしているのか分かりませんが、生まれてこの方俺は人間です」


 冗談なのか冗談じゃないのかよくわからないが、二人が仲が良いのはよく伝わってきたからレティスは微笑ましい思いで見守っていた。


 早速翌日からルパートによるお妃教育が始まった。

 いくら家庭教師とは言え、密室で彼と二人きりになるわけにはいかない。図書室かサンルームで、という話になり、リーンハルトが自分も一緒に聞きたい、というのでサンルームで学ぶことになった。 

 レティスはテーブルに座り、リーンハルトはソファや床に寝転んで参加、という形ではあるが、彼女としてはどこで学ぼうが構わないので快く了承した。


「ではまずはシュテット国の成り立ちと、歴史をかいつまんで説明します。その後は隣国との関係について学んでいただきます。それが終わり次第、王家に関しまして知っておくべき事柄を説明させていただきます」

「はい、承知しました」


 渡された書物はいわゆる一般的な歴史書である。それを教書として使いつつ、ルパートが様々な説明を加えてくれる。厳しい顔立ちのルパートだが、存外感情は豊かなようで、思っていたよりも表情が良く変わり、とっつきやすかった。


 リーンハルトが茶々をいれてくるのも日常化し、ルパートはそれを適当にあしらいつつ、時にはリーンハルトも交えて授業を行った。リーンハルトはよく内容を理解していた――文字が読めない中でどうやって学んでいったのだろうと思うと、頭が下がる。


 ルパートによるお妃教育はとても興味深くて面白く、時間が経つのはあっという間であった。朝一番に始まっても気づけば昼過ぎになっていることもよくあり、また振り向けばソファで寝転んでいたリーンハルトがそのまま寝落ちしていることも多々ある。リーンハルトがソファですやすやと眠っている姿を見るのは、レティスにとって密かな楽しみのひとつとなった。


(あ、また寝ていらっしゃる……)


「――本当に、感謝しています」


 微笑ましい思いでリーンハルトの寝顔を眺めていたレティスの背中に、ルパートが声をかけた。 


「え?」

「こうやって過ごされていることが、殿下が心を開いている現れ。それに今までこんなに幸せそうな殿下は見たことがありません。貴女様のお陰です」


 振り向くと、ルパートは穏やかな表情を浮かべていた。


「差し出がましいことを申し上げました」

「いえ……ルパートさんは、昔からリ……殿下と一緒に過ごされていたのですよね?」

「そうですね、最初に殿下に会ったのは彼が五歳の頃でした――私は妾腹の子なので、公爵家を継ぐ資格がありませんので、当初より騎士志望でした。おそらく陛下はそれをご存知で、その頃からいずれ私に殿下の護衛をさせたいとお考えだったのではないでしょうか」


 七歳年上のはずだから、出会ったときのルパートは十二歳頃か。ルパートはあっさりそうやって自身の複雑な立場を説明した。


「なるほど。ではずっと殿下のお側にいらっしゃったんですね」


 ルパートと知り合ってまだ短い間ではあるが、彼が実直な性格で、信頼できる人柄だと知れた。リーンハルトがルパートに懐いているのもよく理解できる。ルパートが側にいてくれたことは、リーンハルトがあの素直な性格のままで育ったことと無関係ではないだろう。

 そして王は、ルパートがリーンハルトの護衛になることを望んだのだという。レティスは改めて王がリーンハルトの最大の味方だと感じた。

 

「はい。ですが、私はあくまでも護衛ですから……超えられない壁がありますので」


 ルパートはレティスに向かって頷いてみせる。


「これからは、貴女様が隣にいらっしゃる。それが殿下にとってどれだけ心強いか。ですから感謝を申し上げました」

「私……」


 胸をつかれ、レティスは呟いた。


「実は、私こそリーン様に救っていただいているのです……。私に何ができるのかわかりませんが、それでも出来る限りのことはさせていただけたらと思っています」


 それを聞いたルパートが表情を緩める。


「特別なことは、何もする必要なんてないんですよ」

「え……?」


 ルパートは優しい兄のような眼差しとなった。


「ここからは殿下の昔馴染みとして、護衛という立場を越えてお話しさせていただいても?」

「はい、もちろん」


 レティスは居住まいを正した。


「殿下の仕草が少し、年齢よりは幼いと思われたことはありませんか?」

「幼い……?」


 少し考えてみたが、確かに最初はそう感じたかもしれない。


(そういえば、首を傾げたり、とかよくするかな?)


 でも今はもうそれも含めてリーンハルトなので気にならなくなっているけれど。


「殿下は言葉遣いや振る舞いに関して、意識すれば王子それらしく装うことができます。レティス様の前では、だいぶんくだけてきていますが……そうなると、少しだけ幼いようには見えませんか」


 ルパートは一度言葉を切る。


「それは髪色のせいで、ずっと孤立していたからなんです。同じ年頃の子息たちと触れ合うこともままならなかった。だからあまり人と話すことに慣れておられないんですよ。それは成人されてもほとんど変わらなかった。どこにいても、殿下は一人だったんです」

「――ッ」


 つい感情が顔をよぎってしまったらしい。


「お気持ちは分かります。私も最初から同じことを思っています。たかが髪色のせいで、そんな態度を取るなんて何事だ、と。ですが、周囲は王子に“完璧さ”を期待するものなのです」


 生まれたときに髪色が“普通”ではないこと。

 それも忌み嫌われる髪色であったこと。

 そして決定打として、文字が読めないこと。


 文字が読めないのだ、と告白したときにリーンハルトが何度も口にしていた――『人と同じようにはできない』――と。人と同じではないことが、どれだけ彼を苦しめていたのか。


 そして、『秘密を知ったらみんな去っていく』と呟いていた彼は、これまでどれだけ孤独だったのだろう。


「絵を描かれていることをご存知だとジャスターから聞きました。絵に関しても、皆、冷めた目で見るばかりでした。そんなことはいいから政務をしろ、と。植物が大好きな殿下が庭園に入り浸ることも、噂になるばかりで」

「……っ」

「それで殿下につけられた二つ名のことは、ご存知でしょうか?」

「……はい」


 リーンハルトの王宮での暮らしと、誰かが言い始めたのだろう、はずれ王子という二つ名。

 なんて思いやりのない言葉なのだろうか。


「あの二つ名で呼ばれていることを知っても、殿下は何もおっしゃいませんでした。ですが……何も感じていないわけではないと私は考えています」


 内心の怒りを示すかのようにルパートの瞳がぎらっと光る。だが彼はあくまでも感情がうかがいしれない口調で、淡々と続けた。


「お辛い時間が長かったからこそ殿下は、人を見る目に長けておられると思います。今まで婚約話がうまくいかなかったのも、殿下が心を開くことが出来なかったのも大きな原因かと……もちろんお相手の事情もあるでしょうが」

「……」

「その殿下が、貴女には心を開いた。今の貴女に、です。ということは、彼は更に特別ななにかを求めているわけではない。そのままの貴女がお好きなんですよ」


 ルパートの口調はどこまでも穏やかだったが、レティスの心にまっすぐ届いた。

 

「お二人とも、今のままでいいのです」


 ふたりとも。

 リーンハルトも、レティスも。


「はい……、そう言ってくださってありがとう、ございます」


 レティスがなんとかそうお礼を呟くと、驚いたことにルパートが片目をつぶってみせた。厳しい顔立ちの彼がそうするといっぺんにチャーミングで、魅力的になる。


「でも殿下が変わり者であるのはよく存じておりますのでいつでも相談に乗りますよ――いいですよね、殿下?」

「……勝手なことばかり言ったな」


 ぱっと振り向くと、複雑そうな表情を浮かべたリーンハルトがソファから起き上がったところだった。いつから起きていたのだろう、この様子だともしかしたら最初から聞いていたのかもしれない。ぶすっとした彼は確かにちょっと幼く見える。

 だがその表情をしているリーンハルトこそが、レティスのよく知る、大好きなリーンハルトだ。


(でもそれも含めて、リーン様。私も、そのままでいいのかもしれない……リーン様といれば、私は、私でいられる……)


 レティスはリーンハルトと出会ってから、今までがんじがらめになっていたものから、少しずつ、一つずつゆっくりと解放されている自分を感じた。


「余計なことばっかり言ってると、護衛を解任するからな」

「おおっと、逆鱗に触れましたかね」

「僕ははずれ王子なんだぞ」

「へえ、それは怖い」


 澄ました顔でルパートが肩をすくめる。じろっと護衛を見たリーンハルトが、次の瞬間笑い出した。いつの間にか、レティスも、それからルパートも笑いの輪に加わっていたのだった。

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