第8話 「はずれ王子……?」

 自分の部屋の前でセイディが待ち構えていた。

 ここしばらくは見られなかった、心からの笑みを浮かべて姉が言い放つ。


「聞いたわよ、レティス〜〜、はずれ王子との婚約話がもちあがっているんですってね!」

「『はずれ王子』……?」


 初めてその言葉を聞いたレティスは、ぽかんとした。

 セイディは、可哀想にというような素振りをしたが、我慢しきれず口元が緩んでしまっている。


「知らないの? 日がな一日、ぼーっとしてるって噂の、はずれ王子よ。いくらはずれ王子でも、王子は王子だから、一応名だたる令嬢たちとの婚約話が持ち上がったみたいだけどぜーんぜんうまくいかなかったって。なんでも醜すぎて二度と見られなかったり、会話も続かないくらいの知能しかないらしくて、いくら王子との結婚っても墓場みたいなものだからって皆様断られているらしいの」

「……そう」


 実際レティスはその噂を聞いたことがなかったので、肯定も否定もできない。


「そんなわけで我が家に白羽の矢が立つのも時間の問題だったのかも。公爵家ほど格式高くはないけれど、我が家もそれなりに名前が通っているじゃない? でも貧乏くじな婚姻話だからこそ、貴女にやってきたのねえ、私にではなく」


 レティスの反応なぞ気にした様子もなく、ただただ嬉々としてセイディは話し続ける。


(お姉様は……)


「名誉を重んじるお父様のことだから、きっとお受けになられるでしょうねえ。さ、墓場に入る準備をしなさいよ。残念だったわねえ、最近ようやくちょっとだけ色気づいたところだったのに。でも心配しないで。フェリクス様やジュシュア様のことは私に任せてくれていいからね?」


 ばさばさっと睫毛をわざとらしく瞬いたセイディが、にっこりと笑う。


(本当に嬉しいのね……、私が……殿下に嫁ぐかもしれないことが。お相手がはずれ王子と呼ばれる方で、お父様だったら家のことだけを考えておそらく婚約を受けるだろうということも分かっていて……だからきっと私が……苦しむだろうことが)


「……お姉様」


 姉の顔を見ていたら、レティスは衝動をおさえきれなくなった。


「なぁに? ほんと、後のことは気にしないで大丈夫。私が――」

「お姉様はどうしてそんなに私のことが嫌いなの? 私、お姉様に何かした?」


 それまで満開の笑顔だったセイディが、すっと真顔になる。


「は?」

「お姉様は私のことが大嫌いみたいだけど、私の何が悪いか言ってほしいわ、改めるようにするから――今更もう間に合わないかもしれないけれど」

「――は? 何言ってるの?」


 セイディの声が低くなり、視線が険しくなった。


「何言ってるのって……素直な疑問よ」


 そこでレティスは、はっとして姉の肩越しに視線を送る。廊下の向こうで使用人たちが心配そうにこちらをうかがっている様子が目に入った。


「廊下でする話ではなかったわ。私、輿入れの準備があるから――」


 その場を辞そうとしたが、姉が許すわけがない。


「貴女が生まれたことが、罪よ! 貴女が存在しているだけで、憎い!」


 顔を真っ赤にしたセイディが騒ぎ出す。


「貴女が生まれたときあんなに幸せそうにして……私と、私のお母様のことは無視していたのに、許せないっ! 貴女だけは絶対に……許さない、幸せになんてさせない……! 不幸になっちゃえばいいんだからっ!」


(あんなに幸せそうに……“誰”が……?)


 支離滅裂な言葉を叫び続けるセイディを前に、レティスは唖然としてしまった。

 セイディが顔をぐぐっと醜く歪めた。


「もう二度と、この家に戻ってこないで!」


 そのまま姉は両手を握りしめて立ち尽くしていたが、ばっと身を翻して去っていく。

 すぐに側仕えがやってきて、おずおずとレティスに尋ねた。


「お嬢様、大丈夫ですか……?」


 ふう、とレティスは短い息を吐くと、心配してくれた側仕えに頷いてみせた。


「うん、大丈夫。ありがとう――……でも、しばらく一人にしてくれる?」


 レティスは自室に入ると、扉に寄りかかる。

 唐突に、姉の心の一片に触れたため、混乱していた。


(お姉様は……、私を通してお父様を見ていらした……?)


 そこまで確かな記憶はないものの、レティスには父が母を気遣っている思い出がいくつか残っている。使用人たちからも、父とレティスの母が仲睦まじかったと聞いたこともある。反対にセイディの母とは関係が冷え切っていたようだから、きっとレティスの母が後妻としてこの屋敷にやってきたことは、セイディにとっては脅威に感じることだったのだろうか。

 

 そして生まれたのがレティス――自分と同じ女児だったことも拍車をかけたのか。跡取りとなる男児だったら多少は諦めがついたのかもしれないが、女児だったことで余計に自分の立場と入れ替わった気がした――のかもしれない。


(あれだけでは、わからない……でも……)


『貴女が生まれたことが、罪よ!』


 ずんと心が重くなった。


(私が……生まれただけで……お姉様は不幸になった……?)


 けれどレティスにはどうもできないことだ。

 おそらく幼少期の姉も同情の余地はあるのかもしれないが、それにしてはあまりにも酷い仕打ちを受け続けてきた。

 今まで自分が姉に従っていたのは、許していたからではなく、誰も助けてくれないだろうからとただ諦めていたからに過ぎない。


(そうか、でもだから、お母様の肖像画をあんな風に……)


 母の肖像画のことを思うと、まるで昨日のことのように胸が痛む。

 レティスは頭を数回振り、それ以上考えるのをやめることにした。これ以上考えていても堂々巡りで、何の答えもでない。


「もう、お姉様のことなんて考えないわ」


 彼女は自分に言い聞かせるように、そう言葉にする。


『じゃがいもだって思えば――』


 夜会であったあの不思議な青年の言葉を思い出す。彼との出会いは、確かにレティスを少しだけ前向きにさせてくれた。あの青年だったらなんて言うだろうと胸のうちに問いかける。


「そうよね……お姉様のことを考えすぎて幸せになれないって……それこそお姉様の思う壺だもの」


 今は自分のことだけ考えよう、ひとまずは離宮で過ごすための準備を始めることにした。


(いくらはずれ王子と言われている方でも、どこか良いところはきっとあるに違いない)


 姉の思惑に囚われすぎないよう、そんな風に思ったりもした。レティスは出窓まで近寄ると、緑の芽が生えているじゃがいもを軽く転がす。


(これは置いていかなきゃな――殿下は、私が出窓にじゃがいもを置いても許してくれるだろうか)

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