第21話 「王との謁見」

 幸い「青の間」は思っていたよりもかしこまった印象を与えず、レティスは内心ちょっとだけ安堵する。

 奥にしつらえてある一人がけのソファに深く座り、王は息子を待っていた。下座の椅子に座っていたベッケンバウアーが、リーンハルトとレティスが入室すると同時に立ち上がる。

 

「やっと顔を出したな、リーンハルト」


 深みのある王の声は、やはりどこかリーンハルトの声を彷彿とさせる。

 シュテット王国の王であるロバート二世はダークグレーの髪に、たくましい体と精悍な顔の持ち主だった。声とは違い、容姿に関してはリーンハルトとは似ても似つかず、どちらかというとルパートの父と言ったほうが納得するかもしれない。

 

「はぁ……やっとも何も、今日まで呼ばれませんでしたけど」


 王がじろりと息子を眺め、それから軽く目を見開いた。


「驚いたな。まともな格好ができるんじゃないか」

「……それは、だってレティスが一緒にいますから」

 

 リーンハルトは単調な調子で答えたが、その返事にますます王はあっけにとられたような表情になる。


「待て、お前が人を気遣うだと……?」


 リーンハルトが口元をへの字にする。


「レティスは婚約者だから、当然でしょう?」


 ロバート二世は息子をまるで見知らぬ生物を見るかのように眺めていたが、しばらくして我に返ったようでぞんざいに右手を振った。


「そこに座れ、リーンハルトも……レティス嬢も」


 突如自分の名前を呼ばれレティスはぴんと背筋を伸ばした。王は、レティスを視界にいれると、多少表情を和らげる。


「今日は呼びだてして悪かったな」

「とんでもございません――レティス=アーヴァインと申します」

「ああ、話は聞いているよ」


 王が示したのは、ベッケンバウアーが座っていた椅子の対面にある二人がけのソファだった。リーンハルトがレティスをエスコートしてソファに誘うのを、王はじっと見つめていた。ベッケンバウアーはどこかそわそわした様子で元通りの椅子に腰かける。


「レティス嬢、思っていたより背が高いな。それはいいとしても、ちょっと痩せすぎじゃないか。若いんだから、ちゃんと食べないと駄目だぞ」

「父上、女性に向かってそんな事を言うのはやめてください」


 まるで世話焼きの親戚のような台詞を言う王に対し、リーンハルトが顔を顰めて制した。今度も王は、どこか怪訝そうな顔になるが、息子を咎めたりはしない。 

 リーンハルトもリーンハルトで父に意見するのを躊躇っている様子は見せなかった。


(よかった……陛下との関係は悪くないのだわ、きっと)


 離宮に王が訪ねてくることもなく、リーンハルトが王宮に訪ねることもない。

 それに父上が余計なことを言ってしまう、と胸を痛めていた様子だったから、父子の関係はあまり風通しがよくないのかと勝手に思い込んでいた。どうやら邪推だったようだ。


「それはすまなかった。娘がいないので、塩梅がわからん」


 謝罪を口にした王は、それから軽く咳払いをすると、話し始めた。


「とにかくベッケンバウアーによれば、お前たちはとても仲が良いと聞いた。何よりのことだ。今までのことを思えば、余計にな。アーヴァイン家も婚約を結ぶことに同意してくれたから、このまま婚約成立ということでいいな?」

  

 ベッケンバウアーがぴんと背筋を伸ばしたのが、視界の端にうつる。


「はい、僕は喜んで。……レティスも、いい?」


 リーンハルトがレティスに顔を向けると、王は驚いた表情を隠そうともしていなかった。


「はい、私も……謹んでお受け致します」

「よかった。ありがとう、レティス」


 リーンハルトが嬉しそうに笑うと、そんな息子の横顔を眺めていた王が再び咳払いをした。


「なるほど、ベッケンバウアーが言った意味がわかった。……それで、公務についてだが、今後もお前は外すし、王位継承権も低いままで変わらない。ベッケンバウアーがレティス嬢に家庭教師をつけると約束したと思うが、早速来週から離宮に派遣する」

「何のためにですか?」

 

 リーンハルトが口を挟んだ。


「それは……、いくらお前の王位継承権が低いとはいえ、万が一のことがあるかもしれないし、だな。王家に入る者が知るべき最低限の知識を学んでもらう必要はある」

「兄が四人もいるのに?」

「万が一、と言っているだろうが。お前はそうやって昔から細かいことばかり言うな。……とにかく、分かったな?」

「だって、レティス。どうする? 必要ないんじゃないかって僕は思うけど」

「だからお前が決めることじゃないと言っているのに――」


 思っていた以上にこの父子は息がぴったりだ。

 こんな時だというのに、レティスは思わず口元が緩んでしまった。


「もちろん、喜んで」


 安堵したような表情になった王がレティスに向かって頷く。


「家庭教師はルパート=マッキンゼーだ。ついでに彼にはお前たちの護衛もつとめてもらうことになった」

「え……離宮に追放された僕の護衛でいいって、マッキンゼー家も納得してくれたの? それで僕の護衛を外れたのに」


 あまりにも予想外だったのか、リーンハルトからするっと敬語が抜ける。どうやらマッキンゼー公爵家は、王宮ならばともかく、離宮ではずれ王子の護衛を息子がするのを歓迎していなかったらしい。


「マッキンゼー家と話はつけた。それにお前は別に追放はされていないだろうが」

「話をつけた、って父上が?」


 リーンハルトがクロッカス色の瞳を丸くした。


「……まぁ、そうだな」


 王が頷くと、リーンハルトはぱっと笑顔になる。すると同時に王の視線が和らいだのをレティスは見逃さなかった。


「だからこれだけ時間がかかったのか――それからベッケンバウアー、あの日は冷たい物言いをしてごめん。今更、なんて言うべきじゃなかった」


 宰相は小さく首を横にふる。


「いえ、とんでもありません」

「でもベッケンバウアーも裏で動いてくれたんでしょ。あの日は、ちょっと違うことを心配してたから、余計に僕の言い方はふさわしくなかった」

「本当に、気にしておりませんから」


 ベッケンバウアーの眼差しが優しさを帯びる。宰相が王と同じく、リーンハルトのことをどう思っているのかすぐにうかがいしれる視線だった。


(リーン様の長所はたくさんおありになるけれど……素直なところは本当に素敵だな……)


 きっと王も宰相も、リーンハルトのこういうところを好いているのだろうなと感じる。


「父上、正直に申し上げればルパートが護衛に戻ってくれるのは、すごく嬉しい」

「……だろうな、お前たちは幼馴染だからな」


 王が答える。


「でも護衛はともかくルパートに家庭教師なんてできるの?」

「できるんだよ。あいつは、なかなかに賢いぞ。その、……お前には……分からないかもしれないが」


 レティスの前だからか、王が言葉を濁した。 

 

(うん、やっぱり……リーン様のことを可愛がっていらっしゃる)


 王は、リーンハルトを慮って文字が読めないことを隠したのだろう。もちろんレティスも知っているとはおくびにもださない。

 王は口調こそ厳しいものの、話す内容にはリーンハルトへの愛が見え隠れしている。


(……よかった……)


 王はきっとリーンハルトの良い理解者なのだろう。

 リーンハルトがじゃがいもを被せたかったのは、王ではないはずだ。


「それで、お前は公務に出ないことがほとんどだからわざわざお披露目の夜会は催さないがな、内々の夜会を開くから、それには二人で顔を出せ。いいか、恥ずかしいことをするなよ?」

「はい……分かっています」


 途端にリーンハルトが敬語に戻る。


「レティスのためにならないから、ちゃんとします」


 リーンハルトがそう続けると、王の眼差しが柔らかくなる。


「そうか。日程は追って知らせるからな――それからリーンハルト、レティス嬢」


 呼びかけられて、レティスははっと背筋を伸ばした。


「婚約おめでとう。二人を祝福しよう」


 ◇◇◇

 

「あ――肩凝ったなぁ」 


 廊下に出るなり、リーンハルトがそう呟く。


 と、直立不動で待っていたルパートにリーンハルトが声をかける。


「ルパート、護衛に戻ってくるんだ?」

「はい」

「いつから?」

「来週からになります」

「そっか……嬉しいな。レティスと一緒に待ってるね」


 そうしてリーンハルトが拳を出すと、ルパートが自身のそれをぶつける。主従関係を超えたものがそこにはあった。

 ルパートに馬車まで送ってもらい、離宮へと帰ることにした。レティスは馬車の座席に座るとようやくほっと息をつく。


「夜会だって……、髪、染めるか」


 隣に座るリーンハルトがそう言ったので、レティスは思わずすごい勢いで彼を見てしまう。


「え! どうしてですか!」

「内輪の夜会って父上は言っていたけど、それでも色んな人がいるから……帽子を被っていても髪の色は隠せないし、そのせいでレティスに嫌な気分になってもらいたくない」

「でも、染めるとかぶれちゃうんですよね?」

「それはそうなんだけどさ」

「でしたら、私のためだったら、必要ないです」


 レティスははっきりと言葉にする。


「……そ、う……?」

「はい。私はその髪のお色、大好きですから」


 大好き、というと、隣に座るリーンハルトの頬がさっと赤く染まる。


「やっぱりレティスにそう言ってもらえるのは、嬉しいな。なんか……この髪色に生まれて、初めて良かった、って思える」

「でしたら、何度だって言います。私で良かったら、何度でも」


 リーンハルトがふわりと微笑む。

 心底嬉しい、と隠そうともしない表情に、レティスの心も弾む。


「ありがと。じゃあ、髪の毛を綺麗に整えるね。切るだけにして、染めるのはやめる」

「はい、そうしてください」


 話しているうちに、すっかりいつもの二人のペースに戻る。

 くつろいだ様子のリーンハルトが両足を前に投げ出しながら、無造作にレティスの手を握った。そうするのが当たり前と言わんばかりの仕草に、レティスは内心ときめく。


「あのね、レティス……」

「はい」

「離宮に戻ったら、僕の部屋に来てもらってもいい?」

「……え……? リーン様の部屋、ですか……?」

「うん。レティスには、僕のもう一つの秘密を知ってほしいから」

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