②猶予の病床

 やがて瀧の視界は、白い白い天井を映し出した。

「……よぉ〜やくお目覚めか」

待ちいた声に出迎えられるも、瀧は起き上がれなかった。かろうじて首を向けると、土気色の顔をした幹部と目が合った。

青葉あおばさん……」くぐもった吐息で、ようやく瀧は気づく。瀧の口には、酸素マスクがついていた。

「テメェが寝てる半日間、体中ひっくり返して医者に検査させたよ。刺し傷十ヶ所、裂傷八ヶ所、肋骨あばらが五本折れて、二本左の肺に刺さって気胸ききょう状態。ついでに肝臓と腸も破裂した跡が

青葉竜胆あおばりんどうは一息に告げたのち、ため息混じりに告ぐ。

「なんでか全部、けどな」

 気味の悪さを隠さぬ一言に、瀧の脳裏にブギーバースがぎった。力の入らない手で瀧が腹を探ると、縫合痕もなくぴったり傷が閉じていた。しかし内臓をないまぜにされた感覚は、鮮明すぎるほどに覚えている。瀧の辛勝しんしょうを裏付ける証に、ほかならなかった。おぞましい怪人は、約束通り瀧を見逃してくれたらしい。まったく、喜ばしくない現実だった。

「……――」青葉の不安を払拭しようと、瀧は答えを口にしかける。が、結局やめてしまった。仮にも瀧は、生ける伝説こと鷺山ろざんの弟子だ。人の身でありながらも怪人を退けた彼の名声に、この体たらくでは泥を塗ってしまうだろう。

 青葉も思うところがあったのか、詳細を聞きはしなかった。

「医者に出来たことと言やぁ、輸血くらいなもんよ」その一言を聞き、瀧は納得してしまった。

 夢のあわいで会った友、那優太なんたのことである。因羽いなばの信頼を得るためとはいえ、那優太はケジメを果たすべきだった。ゆえに彼の体は、余すところなく値段がつけられた。かつての那優太が、無辜の人々に値札を貼り続けたように。

 跡目として迎えられた瀧にも、その処遇は聞き及んでいた。そして彼の命が、千成せんなり総合病院の地下で売り捌かれていることも。

 瀧の胸裡きょうりが、そっと那優太の名を呼んだ。因羽に追従ついじゅう した業と同じく、万人の血に迎合する_O_型の血を持つ、那優太の名前を。けれども夢裡むりのように、彼は答えてくれなかった。後賭場那優太という人間は、瀧の臓腑に馴染んで消えたのだ。

「ま、明日には退院できるだろうよ。おめでとうさん」

 心にもない道化の仕草に、瀧は力なく笑った。その笑みが枯れると、青葉の目元の隈が深いものに変わった。

「――瀧」青葉が、力なく名を重ねる。仁義をもって、瀧は視線を合わせた。青葉の目元には、特に疲労の色がにじんでいた。が、話は一向に進まなかった。

 瀧は無理やり、乾いた唇を動かした。

「言いたいことがあるなら、早々に方をつけましょうや」不安と緊張が、二人の間をしばし去来きょらいする。長短の分からない沈黙のあと、口を開いたのは青葉だった。

鷺山ろざんさんが亡くなった」

 短い言葉だった。だが瀧の心を抉るには、十分すぎる一言だった。酸素マスクの内部が、吐息で白く染まる。悲しみの霜は、数瞬のうちに溶けていった。ごく静かに、青葉はこうべを垂れる。そして鷺山の凄惨な死に様を、瀧に説いた。

「我々が居ながら、すまない。ヰ千座いちざが駆けつけた時には、もう……」

 ああ、と瀧は納得する。次期組長たる瀧に訃報を知らせるべく、彼は張りついていた。だから青葉竜胆は、一睡もしていなかった。死神の介添人じみた顔色は、つまりそういうことだった。青葉の心労を察するには、十分すぎた。

 力の入らない四肢で、瀧はシーツの上をもがく。処分を覚悟する青葉は、決して手助けしない。互いを試し合っている状況だった。ゆえに瀧は無理やりにでも起き上がった。青葉も気を長くして、それを待ち望んでいた。

「ヰ千座さんは、大丈夫なんですか?」息継ぎがてら、瀧は問う。青葉の表情は、形容しがたいものへ転じた。

「あの臆病者が、初めて むつで を殺したからな」

「じゃあ、警察に……」懸念する瀧だが、青葉の首は横に揺れる。

「怪人の影響を受けた人間相手に殺しを働いても、正当防衛と見なされる。警察マッポからは、口頭注意で済んじまったよ」法律の知識には疎い瀧も、怪人の危険性は身をもって体験している。理解しながらも瀧は、不穏なものを感じていた。だが過度に案じたところで、目の前にヰ千座はいない。遠からず瀧は、ヰ千座と再会するはずだ。思考を切り離し、彼は話題を変える。

赤子ガキは、どうしたんですか?」問いながら瀧は、ベッドの柵をつかむ。座位を整える瀧に、青葉が答える。

「全員、うちのセガレが拾ったよ」

 そういえば、と瀧は暗殺を回想する。意味のない工事の監督として振る舞っていたのは、青葉の息子であった。苦労人の青葉から、言葉が続く。

「今は全員、開蓮寺かいれんじ照啓しょうけいさんに預けている」開蓮寺とは、素卯家の菩提ぼだいを預かる寺である。住職である照啓も、その妻も良識ある大人である。

「どうすんだい、この後」悩ましげな青葉に向かって、瀧は襟を正す。

赤子ガキは、保護を頼みたい。照啓あのひとなら、孤児院へ口聞きしてくれるだろう」

「……簡単に言ってくれるが、偽装工作ってのは大変なんだぜ」眉間に寄った皺を、年季の入った指が伸ばしていく。無理もないことだった。

 照啓ならばある程度、こちらの事情を察してくれる。が、かずさ夫人は一般人である。おそらく赤子を持ち込んだ時にも、警察に通報されかけたのだろう。その良識を荒立てることもなく収めるのが、青葉竜胆あおばりんどうの真骨頂といえる。

「青葉さんにしか、出来ない仕事なんです」頭を下げかけて、瀧は制される。

組長じぶんの頭を安売りするな。俺の立場が無くなるわ」深呼吸に近いため息と共に、青葉は懐に手をやる。よれた上着の裏から出てきたのは、煙草の箱だった。古傷だらけの指が箱の蓋をなぞり、煙草と共にライターが顔を出す。そして青葉は、軽快に煙草をくゆらせた。普段は煙に慣れている瀧でも、病み上がりの喉にはヤニが重かった。

「お前もどうだ?」意にも介さず、青葉は箱を突き出した。

「病院ですよ」呆れる瀧に、青葉は平然と返す。

「この程度の無法、許してもらわにゃやってられねぇよ」紫煙しえんを吹かせる青葉は、瀧の目の奥をにらむ。

「こちとら何徹したかも覚えてねぇ。目覚ましのシャブじゃなかっただけ、マシだろうが」くわえたままの煙草を、青葉の指が弾く。細かな灰が、くすんだリノリウムの床に落ちた。

「そのうちお前さんも、人前でヤニも吸えなくなる立場にならぁな」行動とは裏腹に、青葉の言い回しは瀧の身を案じるものだった。返事にきゅう する瀧に、青葉は二の矢を継ぐ。

「シャバでやり残したことがあるなら、今のうちにやっときな」ヤニの煙がぐるぐると、瀧の周りに滞留たいりゅうする。いくばくかの沈黙ののち、瀧は切り出す。

「未練なんて、ありゃしませんよ」瀧の脳裏には、鷺山の姿が浮かんでいた。が、産院の惨状や崩れた那優太が、ハゲタカのように鷺山をついば んでいった。

 それでも瀧は、前に進まなければならなかった。

「――そうかい」胎を暴いた青葉は、安堵を隠さずに続ける。

「鷺山さんの葬式は、もう手配が済んでる」面白くなさそうな顔をする瀧だが、青葉はふっと笑う。

「もうお前さんは、現場に出るような立場じゃねえってことよ」青葉の表情から、柔和さが取り払われる。瀧の身に、緊張が走った。

「今後のおめぇに必要なのは、外交よ」居住まいを正す青葉は、隙のない笑みを浮かべる。

「ヒヨッコの瀧さんには、白奪会のお偉いさんについて覚えて貰わなきゃならねぇ」

 そして青葉は、朗々と語り出す。

代田組しろたぐみってのは、いわば子会社の立場よ。その上には要害ようがい家が統括する、白奪会はくだつかいが存在する」いくつかの単語には、下っ端だった瀧も聞き覚えがある。うなずく瀧に、青葉は目配せする。

「白奪会の総裁――いわば組長は鶴梅つるうめさんが勤めている。先代である松吉郎しょうきちろうさんは、その相談役として隠居している身だ」はぁ、と青葉は溜め息をつく。

「今回の喪主は瀧、お前が務めることになってる。が、施主は松吉郎さんになっている」

「葬式のスポンサーは、白奪会ということか」青葉は肯首こうしゅする。

「お前、ぬらりひょんって妖怪を知ってるか?」瀧の曖昧な表情を見て、、青葉の口角が上がる。

「人の懐にそっと潜り込んで、あっという間に馴染む妖怪さ」いわばそれが、要害松吉郎というおとこなのだろう。散々な言い回しだが、瀧は納得する。殺しや脅しばかりの裏社会を生き延び、一線を退いても慕われているのだ。

「鶴梅さんのほうが、瀧さんには親しみやすいかもしれねぇな。あの人はもっと単純で、礼儀にうるさい男だから」

「鶴梅さんは、嫡子ちゃくしなんですか?」青葉の首が、横に振られる。

「親子盃と養子縁組まではしているはずだけどな。まあ、そんなもんが重要じゃないことはお前もわかっているだろうが」そして青葉は雄弁に、白奪会の歴史、各幹部の詳細や盃事を語った。瀧は、ひたすらに傾聴けいちょうに徹した。持ち前の根性と集中力があれば、造作もないことだった。次第に青葉の表情も、健やかさを取り戻していった。

「――まぁ、こんなところだろう」青葉は目頭を押さえながら、ようやく口を閉じた。

 いまや窓の外では、朝日が昇りつつあった。しかし瀧の想いは、別のところに置かれていた。

「――なぁ、青葉さん」瀧の切実な申し出に、青葉はシラフに戻る。

「どうしても頼みたいことがあるんです」頭を下げる瀧を、今度の青葉は止めなかった。

「俺ぁ、どうしても――」その後に述べた言葉に、青葉は深くうなずく。

 二人に残された時間は、あと僅かであった。されど瀧の意向は、必ず叶えられることとなった。

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