②猶予の病床
やがて瀧の視界は、白い白い天井を映し出した。
「……よぉ〜やくお目覚めか」
待ち
「
「テメェが寝てる半日間、体中ひっくり返して医者に検査させたよ。刺し傷十ヶ所、裂傷八ヶ所、
「なんでか全部、治ってやがるけどな」
気味の悪さを隠さぬ一言に、瀧の脳裏にブギーバースが
「……――」青葉の不安を払拭しようと、瀧は答えを口にしかける。が、結局やめてしまった。仮にも瀧は、生ける伝説こと
青葉も思うところがあったのか、詳細を聞きはしなかった。
「医者に出来たことと言やぁ、輸血くらいなもんよ」その一言を聞き、瀧は納得してしまった。
夢のあわいで会った友、
跡目として迎えられた瀧にも、その処遇は聞き及んでいた。そして彼の命が、
瀧の
「ま、明日には退院できるだろうよ。おめでとうさん」
心にもない道化の仕草に、瀧は力なく笑った。その笑みが枯れると、青葉の目元の隈が深いものに変わった。
「――瀧」青葉が、力なく名を重ねる。仁義をもって、瀧は視線を合わせた。青葉の目元には、特に疲労の色が
瀧は無理やり、乾いた唇を動かした。
「言いたいことがあるなら、早々に方をつけましょうや」不安と緊張が、二人の間をしばし
「
短い言葉だった。だが瀧の心を抉るには、十分すぎる一言だった。酸素マスクの内部が、吐息で白く染まる。悲しみの霜は、数瞬のうちに溶けていった。ごく静かに、青葉は
「我々が居ながら、すまない。
ああ、と瀧は納得する。次期組長たる瀧に訃報を知らせるべく、彼は張りついていた。だから青葉竜胆は、一睡もしていなかった。死神の介添人じみた顔色は、つまりそういうことだった。青葉の心労を察するには、十分すぎた。
力の入らない四肢で、瀧はシーツの上をもがく。処分を覚悟する青葉は、決して手助けしない。互いを試し合っている状況だった。ゆえに瀧は無理やりにでも起き上がった。青葉も気を長くして、それを待ち望んでいた。
「ヰ千座さんは、大丈夫なんですか?」息継ぎがてら、瀧は問う。青葉の表情は、形容しがたいものへ転じた。
「あの臆病者が、初めて
「じゃあ、警察に……」懸念する瀧だが、青葉の首は横に揺れる。
「怪人の影響を受けた人間相手に殺しを働いても、正当防衛と見なされる。
「
「全員、うちの
そういえば、と瀧は暗殺を回想する。意味のない工事の監督として振る舞っていたのは、青葉の息子であった。苦労人の青葉から、言葉が続く。
「今は全員、
「どうすんだい、この後」悩ましげな青葉に向かって、瀧は襟を正す。
「
「……簡単に言ってくれるが、偽装工作ってのは大変なんだぜ」眉間に寄った皺を、年季の入った指が伸ばしていく。無理もないことだった。
照啓ならばある程度、こちらの事情を察してくれる。が、かずさ夫人は一般人である。おそらく赤子を持ち込んだ時にも、警察に通報されかけたのだろう。その良識を荒立てることもなく収めるのが、
「青葉さんにしか、出来ない仕事なんです」頭を下げかけて、瀧は制される。
「
「お前もどうだ?」意にも介さず、青葉は箱を突き出した。
「病院ですよ」呆れる瀧に、青葉は平然と返す。
「この程度の無法、許してもらわにゃやってられねぇよ」
「こちとら何徹したかも覚えてねぇ。目覚ましのシャブじゃなかっただけ、マシだろうが」
「そのうちお前さんも、人前でヤニも吸えなくなる立場にならぁな」行動とは裏腹に、青葉の言い回しは瀧の身を案じるものだった。返事に
「シャバでやり残したことがあるなら、今のうちにやっときな」ヤニの煙がぐるぐると、瀧の周りに
「未練なんて、ありゃしませんよ」瀧の脳裏には、鷺山の姿が浮かんでいた。が、産院の惨状や崩れた那優太が、ハゲタカのように鷺山を
それでも瀧は、前に進まなければならなかった。
「――そうかい」胎を暴いた青葉は、安堵を隠さずに続ける。
「鷺山さんの葬式は、もう手配が済んでる」面白くなさそうな顔をする瀧だが、青葉はふっと笑う。
「もうお前さんは、現場に出るような立場じゃねえってことよ」青葉の表情から、柔和さが取り払われる。瀧の身に、緊張が走った。
「今後のお
「ヒヨッコの瀧さんには、白奪会のお偉いさんについて覚えて貰わなきゃならねぇ」
そして青葉は、朗々と語り出す。
「
「白奪会の総裁――いわば組長は
「今回の喪主は瀧、お前が務めることになってる。が、施主は松吉郎さんになっている」
「葬式のスポンサーは、白奪会ということか」青葉は
「お前、ぬらりひょんって妖怪を知ってるか?」瀧の曖昧な表情を見て、、青葉の口角が上がる。
「人の懐にそっと潜り込んで、あっという間に馴染む妖怪さ」いわばそれが、要害松吉郎という
「鶴梅さんのほうが、瀧さんには親しみやすいかもしれねぇな。あの人はもっと単純で、礼儀にうるさい男だから」
「鶴梅さんは、
「親子盃と養子縁組まではしているはずだけどな。まあ、そんなもんが重要じゃないことはお前もわかっているだろうが」そして青葉は雄弁に、白奪会の歴史、各幹部の詳細や盃事を語った。瀧は、ひたすらに
「――まぁ、こんなところだろう」青葉は目頭を押さえながら、ようやく口を閉じた。
いまや窓の外では、朝日が昇りつつあった。しかし瀧の想いは、別のところに置かれていた。
「――なぁ、青葉さん」瀧の切実な申し出に、青葉はシラフに戻る。
「どうしても頼みたいことがあるんです」頭を下げる瀧を、今度の青葉は止めなかった。
「俺ぁ、どうしても――」その後に述べた言葉に、青葉は深くうなずく。
二人に残された時間は、あと僅かであった。されど瀧の意向は、必ず叶えられることとなった。
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