一章:修羅の落胤

①素卯鷺山という蛮勇

 有史以前より、悪は存在していた。

 悪の名は、怪人アパリション。魔法と呼ばれる技を用い、すべての生命を蹂躙じゅうりんする使命を背負っていた。彼らは消えるように生まれ、竜巻のように生命をなぶり、亡骸なきがらの一つも遺さない。

 だが人間には、いたいけな希望が寄り添っていた。幼年から思春期までの少女が、突如として魔法能力に目覚め始めたのだ。正義と義憤を胸に抱く彼女たちは、魔法少女と呼ばれるようになった。

 怪人と魔法少女は何処から来て、何処へ向かおうとしているのか。いかなる権威であろうと、両者を解すことは不可能だった。

 だが人間の欲望は、はてしなく魔法の深淵を見つめていた。ときに人間は怪人と魔法少女を利用し、あるいは支配下に置くことを試みた。

 歪な三角関係はすべてを巻き込み――――世界人魔怪戦争を生んだ。

 北方連邦における永久凍土問題。文明蒸発攻撃による一部領土の消失。時間遡及兵器の被曝者に見られた不老化現象。戦後となった今でも、それらは深い禍根を残し続けている。そして怪人も、人間と魔法少女の敵に戻りつつあった。

 さて、日本という島国は、怪人にとって狭き檻にも例えられた。戦後から復興を遂げ、未来への希望とともに人間は命を育んだ。怪人にしてみれば、都合のいい話である。食うにも困らぬ怪人は、海を挟んだ異国のことなど忘れてしまった。

 しかして日本は、怪人犯罪の聖地と化した。昼を歩けばさらわれて、夜を歩けば日の出とともに死体が見つかる。

 毎日似たような事件が見つかっては、麻痺まひした心もわずかな恐怖を感じる。日本に住む人間の心理は、このようなところだろうか。累積する死亡数を前に、日本人はひとつの言葉を作り出した。

 ――日本三大怪人テロ。世界戦争の前後に生じた、三つの未解決事件を指した言葉である。

 一つ、青森県の尼曽部村にそべむら壊滅事件。怪人の放った毒魔法により、一昼夜にして住人が全滅した事件。

 二つ、女子刑務所暴動事件。人間として活動していた怪人が、籠絡魔法によって囚人と看守同士を争わせた事件。

 三つ、波藤はとう産院事件。七名の死者と、十名の行方不明者を産んだ襲撃事件。

行方不明のうち八名は、生後一週間以内の新生児だったと言われている。遺体の一部は切断され、現場から持ち去られていた。さらに欠損部位の重量は、行方不明となった赤ん坊七名の体重と釣り合っていた。残忍かつ不可解な行動を取った怪人は、いまだ見つかっていない。

 ――されどこの世には、不完全な秘密しか存在しない。波藤産院事件の真犯人を語るには、避けられない人物がいる。

 その名を、素卯鷺山しろうろざん。人の身でありながら怪人と渡り歩いた、驚異の男だ。

 もともと彼は、東京随一の歓楽街こと千仁町せんにんちょうを統べる代田組しろたぐみの長である。ヤクザ者を束ねる身でありながら、鷺山ろざんは高潔で勇敢な心の持ち主だった。戦乱に乗じて暴れる怪人の脅威となり得たのは、この男のほかにいなかった。

 鷺山は昼夜を問わず町を見回り、時には怪人と交戦した。素卯家しろうけ秘伝の抜刀術を受け継ぐ彼の実力は、相当なものだった。脱兎のごとく跳躍する足は否応なく間合いに迫り、きらめく月光のごとき一閃を、鷺山ろざんは繰り出した。実力派の怪人でさえも、その実力には警戒せざるを得なかった。かくして彼は千仁町に、ささやかな平和をもたらしたとされる。戦後から十数年経ったあとも、怪人は鷺山に一目置いていた。

 だが鷺山ろざんも、やはり人間である。三十路を前に、彼は結婚を意識しだした。もとより義侠心ぎきょうしんの強い男なので、相手選びには苦労しなかった。

 鷺山が治める代田組しろたぐみとは、白奪会はくだつかいという母体に所属していた。長い歴史を持つ白奪会はくだつかいの影響下にある団体は、数多くあった。雪魄組せつはくぐみも、そのうちのひとつだった。

 当時の雪魄組せつはくぐみは、窮地きゅうちに立たされていた。敵対する四目組よつめぐみが雪魄組の組員と共謀し、組を乗っ取ろうとしていたのだ。さらに四目組よつめぐみは警察を買収し、摘発という名の集中砲火を浴びせた。雪魄組の組長である許山花緒もとやまはなおは、裏切者の炙り出しを試みた。だがその正体を暴くことは、とうとう出来なかった。

 日に日に悪化する内政に、雪魄組の幹部も離反していくばかり。気づけば花緒はなおの周りには、愛娘である濯姫そそぎと、立て直しに奔走する息子の六出むつでしか残されていなかった。

 無情にも上納金の支払い期日も、刻々と迫りつつあった。如何なる事情があれど、納めるものがなければ、腹を切ってでも用意しろ。それが白奪会はくだつかいに伝わる鉄の掟である。泣く泣く花緒はなおは、雪魄組せつはくぐみ代田組しろたぐみの統合を鷺山ろざんに頼みこんだ。

統合すればもちろん、雪魄組という名は捨てることとなる。

また花緒の娘である濯姫そそぎを、素卯家に嫁がせることも条件に入っていた。

組を潰した以上、花緒はなおはケジメをつける必要があった。跡取りとなるはずだった六出むつでも、花緒の決定を冷静に受け止めていた。頭を下げる彼らの窮状きゅうじょうを、鷺山ろざんは快く引き受けた。

 もとより鷺山には、雪魄組せつはくぐみに対する恩がある。件の怪人狩りで、唯一彼を支援したのが花緒を含む雪魄組の面々であった。多くの幹部が離れていったとはいえ、花緒に対する恩が軽くなることはない。

 こうして素卯鷺山しろうろざんは、許山濯姫もとやまそそぎと邂逅した。花緒の秘蔵っ子とだけあって、彼女は美しかった。白抜けした肌に、憂いを帯びた目を囲むのは濡羽色の睫毛まつげ。唇はふっくらと肉付きがよく、頬は紅がなくとも赤く染まっている。鈴鳴りに似た声は、可憐というべきを含んでいた。なにより性格は、純朴そのもの。血を血で洗う世界を生きる任侠にとって、野の花のような存在。それが、許山濯姫もとやまそそぎという女であった。

 濯姫もまた、鷺山ろざんを気に入っていた。父が語る鷺山は武勇を体現する、おとこのなかのおとこであった。任侠の娘として、彼女は鷺山に惚れこんでいた。なればこそ父や構成員を救うため、鷺山の漢気に相応しい子供を孕むべし。濯姫は、強く意気込んでいた。

何の障りもなく縁談は進み、二人は結ばれた。

 両家の挙式は、神前式にて行われた。鷺山馴染みの神社を訪れたのは、任侠ばかりではない。千仁町せんにんちょうの自治会や商店街の人々、はては子供までもが集っていた。

 濯姫は、感嘆していた。任侠とカタギの垣根もなく、同じ人間として二人の門出を祝す。よほどの人望が無ければ、叶わぬ光景である。やはり素卯鷺山の人柄が成せる技であり、花緒も雪魄組を託したに違いない。

 そんな鷺山を今後支えていくのは、濯姫である。身の引き締まる一方、彼女の胸中には一滴の墨が落ちた。自覚なき凶兆きょうちょうは、静々と代田組しろたぐみを蝕むのだった。

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