次郎長桜、仇に咲く
ねむい眠子
序章:我執の姥と死の商人
①かくて因果は、語られる
戦火にて焼けた東京の地を、一人の
しかし老婆を助ける者は、いない。つい二週間前に起きた大空襲によって、この地区は閉鎖されていた。地面や廃墟に残留する魔力が、人間に有害と見なされたからだ。事実、老婆が地を踏みしめるたびに鬼火が湧き出している。
それよりも彼女の関心は、失われてしまった右腕に向けられていた。赤黒く血が固まった右肩は、忘れえぬ
それは、バラックだった。老婆を導くように、扉は薄く開いている。
「アンタが、店主かい?」
老婆の声に、
「見ない顔だな。誰から聞いた?」
老婆は意地悪く、
「さぁね、名前を聞く前に殺しちまったよ。三日三晩歩き通しで、アンタを探してたんだ」
そして老婆は、左手の荷物を投げつけた。
「死の商人、ワークショップ。
「……ヤー坊の
「お主、名はなんという?」
「エゴチェンバーさ。普段は人間を洗脳し、共食いさせて遊んでる」
自らの残虐性を誇示しながら、エゴチェンバーが続ける。
「早速だが、アンタに頼みたいことがある」エゴチェンバーは、右肩を張りだした。
「
たぎる
「魔法少女ではなく、人間に、か」
鼻白んだ様子のワークショップに、エゴチェンバーはうなずく。
「いつもみたいに遊んでいたらよぉ、刀を持った男が乱入してな。魔法を使ったのに、ちっとも効きやしなかった」
その表情には、屈辱と
「お主、人間以外と対峙したことは?」
「ねぇよ。アタシは、アタシに尽くしてくれる相手を殺すのが大好きなんだ」
背を屈め、エゴチェンバーが笑う。
「こうしているとよぉ、バカな人間が心配して寄ってくんだわ。それで、適当に言いくるめてよ。相手の家に入って、家族同士で殺し合いさせんだぁよ」
クックッと笑いながら、エゴチェンバーは背を戻す。
「今の時代、みぃんな腹をすかせてる。ちょいと頭の中を弄ってやれば、共食いする。そんで最期の一人になったら、正気に戻してやんのさ。涙を流して自殺してくれて、楽でしょうがねぇよ」
「そしてお主は、余り物を食べるというわけか」
ワークショップの答えに、老婆は満足そうにうなずく。が、彼は呆れて返す。
「お主は、何にもわかっとらんのう」
「ぁあ?」
「怪人として五流。いや、それ以下だと言っとるんじゃ」
青筋を立てる相手も介さず、ワークショップはせせら笑う。
「お主は自分の本質にも向き合わず、いたずらに魔法を奮っておるだけじゃ。そこらの微生物のほうが、よほど賢いわ」
「なっ……!」赤面するエゴチェンバーに、ワークショップは逡巡する。
「ああ、お主の脳では理解できぬか。自信を持って、
エゴチェンバーの堪忍袋は、ブチっと音を立てて緒が切れた。青黒い魔力を込めた左手を、彼女はワークショップの前に突き出した。
――しかし
「まあ、座りなされよ」
どこからともなく、人骨製の椅子がやって来る。椅子の脚は、
「バカなお主にも分かったと思うが、魔法は万能ではない。魔法を行使するには、必ず
ワークショップは、組んでいた指を解いた。
「魔法を使うには魔力が必要である。これくらいは分かっておるな?」
うなずくエゴチェンバーへ、彼は片目を伏す。
「我々の魔法を形作る魔力とは、何に従うものなのか。お主には見当がつくか?」
愚直に振られた首を見、ワークショップが続ける。
「それは、己自身よ。我々の意志が認識を試みるとき、魔力は現れる」
「じゃあ常に、魔力を認識し続ける必要があるってわけか?」
ワークショップは、呆れを含んだ視線を投げかけた。
「認識のトリガーを作るのじゃ。己が魔法を奮う
「ほう……」
利口ぶっているが、エゴチェンバーは咀嚼できていなかった。
見透かしたように、ワークショップは続ける。
「
口元に手を運び、エゴチェンバーは考える。ならば洗脳魔法を行使する条件とは、いったい何なのだろうか。身の丈に合わない
「――そうかぁ」
皺だらけの口角が弧を描き、悪どい
「アタシは、招かれざる客なんだ」
「ほう?」
合いの手を入れたワークショップに、エゴチェンバーは残忍に微笑む。
「アタシを招き入れた者と、それに近しい相手を洗脳できるんだぁね。断りもなく自ら敷居を
その
「ありがとよ。よぉやっと、身の振り方がわかったぜぇ」
そりゃよかった、とワークショップは生暖かく見守る。視線にはいささかの憐憫も含まれていたが、復讐に燃えるエゴチェンバーは気づかない。
「
満足げな言葉を残し、エゴチェンバーは去っていった。ワークショップはその背を見送り、先ほど受け取った生首を取り出した。生首を対価とするのは、ほかでもない。脳を
「面白そうじゃないか。ただの人間が、怪人の腕を切り落とすなんて」
ワークショップの背後より、闇色のマントを纏った怪人が現れた。
「……いつから聞いておった、
もっとも、彼が愉快そうに振る舞うのは今に限ったことではない。
「かねがね
死門の言葉に、ワークショップはフンと鼻を鳴らす。
「あんたが退屈しているところなど、見たことないがな」
「それはお互い様でしょう、
古き名を呼ばれ、ワークショップは
「エゴチェンバーは、仇を取れるのかな」
死門が無邪気に問うと、ワークショップは首をふる。
「魔法の本質とは、リスクを背負う行いそのものじゃ。だから我々怪人は、命を賭して魔法少女と争う」
「命を賭ければ、人間でも私たちの首を獲れる。きちんと教えてあげれば、よかったのに」
しかしワークショップは、目を瞑って否定する。
「幾度となく怪人の体を解剖し、改造したワシは知っているんじゃ」
「へぇ、何を?」
死門は、あざとく首をかしげてみせた。
だが可愛さよりも、不気味さのほうがどうしても勝る仕草だった。
「怪人の治癒力は、精神的優位性によって保たれておる。一度でも相手が上だと認識してしまえば、その傷が癒えることはない」
真意を理解した死門が、
ワークショップは平然としながら、生首のこめかみに口付けた。まもなく店内には、脳味噌を啜る音が響き始めた。
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