次郎長桜、仇に咲く

ねむい眠子

序章:我執の姥と死の商人

①かくて因果は、語られる

 戦火にて焼けた東京の地を、一人の老婆ろうば彷徨さまよっていた。曲折きょくせつした腰に、おぼつかない足取りの老婆は、擦り切れた布を着ていた。日本人の美徳をいざなうような、みすぼらしい身なりだ。

 しかし老婆を助ける者は、いない。つい二週間前に起きた大空襲によって、この地区は閉鎖されていた。地面や廃墟に残留する魔力が、人間に有害と見なされたからだ。事実、老婆が地を踏みしめるたびに鬼火が湧き出している。

 それよりも彼女の関心は、失われてしまった右腕に向けられていた。赤黒く血が固まった右肩は、忘れえぬ怨恨えんこんを訴え続けている。止まぬ疼痛とうつうに苦しみながら、彼女は歩きつづけた。そうして、幾日いくにち経ったのだろうか。老婆の視界に、ポツンとした影が現れた。かすれた声を期待に震わせ、老婆の背が伸びる。灰をまぶした古木のような髪を振り乱し、老婆は駆けた。噴きあがる鬼火でさえも、その足を止められない。気持ちがはやるにつれ、影は具体性を持った建物に変わっていく。

 それは、バラックだった。老婆を導くように、扉は薄く開いている。僥倖ぎょうこうとばかりに老婆は体当たりし、中へ押し入った。そして思わず、感嘆が漏れた。外観と違い、中は広い。見回す限り、机や棚がひしめいていた。家具に収められているのは、古びた書物やねじれた手術器具、薬液漬けの奇形臓器。尋常ではないコレクションに圧倒されながらも、老婆は進む。ほどなくして老婆は、目的の人物を見つけた。

「アンタが、店主かい?」

老婆の声に、老爺ろうやは顔をあげた。彼の手には、スライム状の肉が握られている。老爺は、拡大鏡を兼ねたモノクルを外しながら問う。

「見ない顔だな。誰から聞いた?」

老婆は意地悪く、浅狭せんきょうな表情で勝ち誇った。

「さぁね、名前を聞く前に殺しちまったよ。三日三晩歩き通しで、アンタを探してたんだ」

そして老婆は、左手の荷物を投げつけた。

「死の商人、ワークショップ。同胞はらからに情報や身体改造を提供する、奇妙な怪人アパリション。その見返りは、人間の生首。それくらいしか、アタシは知らないんでね」

ハエウジまみれの生首に、ワークショップは眉を寄せた。彼が用意した近道を、老婆はらからは利用しなかったらしい。彼は生首の眼孔がんこうを掴み、振ってみせた。

「……ヤー坊のみやげよりはマシか」人毛製のカゴに生首を放り、彼は老婆に向きあう。

「お主、名はなんという?」

「エゴチェンバーさ。普段は人間を洗脳し、共食いさせて遊んでる」

自らの残虐性を誇示しながら、エゴチェンバーが続ける。

「早速だが、アンタに頼みたいことがある」エゴチェンバーは、右肩を張りだした。

怪人アタシから右腕を奪った人間に、復讐がしたい」

たぎる憤怒ふんぬのままに、彼女は言葉を出した。

「魔法少女ではなく、人間に、か」

鼻白んだ様子のワークショップに、エゴチェンバーはうなずく。

「いつもみたいに遊んでいたらよぉ、刀を持った男が乱入してな。魔法を使ったのに、ちっとも効きやしなかった」

その表情には、屈辱と苛立いらだちがあらわとなっている。

「お主、人間以外と対峙したことは?」

「ねぇよ。アタシは、アタシに尽くしてくれる相手を殺すのが大好きなんだ」

 背を屈め、エゴチェンバーが笑う。

「こうしているとよぉ、バカな人間が心配して寄ってくんだわ。それで、適当に言いくるめてよ。相手の家に入って、家族同士で殺し合いさせんだぁよ」

クックッと笑いながら、エゴチェンバーは背を戻す。

「今の時代、みぃんな腹をすかせてる。ちょいと頭の中を弄ってやれば、共食いする。そんで最期の一人になったら、正気に戻してやんのさ。涙を流して自殺してくれて、楽でしょうがねぇよ」

「そしてお主は、余り物を食べるというわけか」

ワークショップの答えに、老婆は満足そうにうなずく。が、彼は呆れて返す。

「お主は、何にもわかっとらんのう」

「ぁあ?」

「怪人として五流。いや、それ以下だと言っとるんじゃ」

青筋を立てる相手も介さず、ワークショップはせせら笑う。

「お主は自分の本質にも向き合わず、いたずらに魔法を奮っておるだけじゃ。そこらの微生物のほうが、よほど賢いわ」

「なっ……!」赤面するエゴチェンバーに、ワークショップは逡巡する。

「ああ、お主の脳では理解できぬか。自信を持って、阿呆アホウだと保証してやろう」

 エゴチェンバーの堪忍袋は、ブチっと音を立てて緒が切れた。青黒い魔力を込めた左手を、彼女はワークショップの前に突き出した。

――しかし十八番おはこの洗脳魔法は、不発に終わった。

「まあ、座りなされよ」

どこからともなく、人骨製の椅子がやって来る。椅子の脚は、二双にそうの手首で出来ていた。コツコツコツ。指の骨が、絨毯を叩く。やむなくエゴチェンバーは、指示に従った。

「バカなお主にも分かったと思うが、魔法は万能ではない。魔法を行使するには、必ず条件ルールに従う必要がある」

ワークショップは、組んでいた指を解いた。

「魔法を使うには魔力が必要である。これくらいは分かっておるな?」

 うなずくエゴチェンバーへ、彼は片目を伏す。

「我々の魔法を形作る魔力とは、何に従うものなのか。お主には見当がつくか?」

 愚直に振られた首を見、ワークショップが続ける。

「それは、己自身よ。我々の意志が認識を試みるとき、魔力は現れる」

「じゃあ常に、魔力を認識し続ける必要があるってわけか?」

ワークショップは、呆れを含んだ視線を投げかけた。

「認識のトリガーを作るのじゃ。己が魔法を奮う条件ルールを定め、それを果たす」

「ほう……」

利口ぶっているが、エゴチェンバーは咀嚼できていなかった。

見透かしたように、ワークショップは続ける。

条件ルールやリスクが大きく複雑になるほど、比例して我々は強力な魔法を得られる。制約を果たせば、『ここまでしたのだから、強くなれる』という思い込みを生む」

 口元に手を運び、エゴチェンバーは考える。ならば洗脳魔法を行使する条件とは、いったい何なのだろうか。身の丈に合わない矜持プライドばかりが詰まった頭を、フル回転させて思考する。ワークショップも口を閉ざし、あえてその答えを待ち続けた。

「――そうかぁ」

皺だらけの口角が弧を描き、悪どい哄笑こうしょうを添えた。

「アタシは、招かれざる客なんだ」

「ほう?」

合いの手を入れたワークショップに、エゴチェンバーは残忍に微笑む。

「アタシを招き入れた者と、それに近しい相手を洗脳できるんだぁね。断りもなく自ら敷居をまたいでしまったら、魔法を使えねぇんだ」

その道理ルールであれば、ワークショップを洗脳できなかった理由も説明がつく。そして、エゴチェンバーの右腕を奪った人間のことも。

「ありがとよ。よぉやっと、身の振り方がわかったぜぇ」

そりゃよかった、とワークショップは生暖かく見守る。視線にはいささかの憐憫も含まれていたが、復讐に燃えるエゴチェンバーは気づかない。

やっこさんには、すばらしい招待状を用意しねぇとなぁ」

満足げな言葉を残し、エゴチェンバーは去っていった。ワークショップはその背を見送り、先ほど受け取った生首を取り出した。生首を対価とするのは、ほかでもない。脳をすすり、情報を吸い取るためである。腐敗したこめかみに爪を立て、指を押し込んだ時だった。

「面白そうじゃないか。ただの人間が、怪人の腕を切り落とすなんて」

ワークショップの背後より、闇色のマントを纏った怪人が現れた。

「……いつから聞いておった、死門しもん

無為むいとわかっていながらも、ワークショップは問う。死門と呼ばれた怪人は、まんざらでもないように笑った。

 もっとも、彼が愉快そうに振る舞うのは今に限ったことではない。

「かねがね産褥しとねの母君から聞いていたが、生き証人がくるとは。世界戦争の混乱も、捨てたもんじゃないね」

死門の言葉に、ワークショップはフンと鼻を鳴らす。

「あんたが退屈しているところなど、見たことないがな」

「それはお互い様でしょう、万年屋まんねんや

古き名を呼ばれ、ワークショップは嘆息たんそくする。肩を揺らしながら、死門は机を越えていく。死霊のような足取りで、彼は人骨製の椅子に座った。

「エゴチェンバーは、仇を取れるのかな」

死門が無邪気に問うと、ワークショップは首をふる。

「魔法の本質とは、リスクを背負う行いそのものじゃ。だから我々怪人は、命を賭して魔法少女と争う」

「命を賭ければ、人間でも私たちの首を獲れる。きちんと教えてあげれば、よかったのに」

しかしワークショップは、目を瞑って否定する。

「幾度となく怪人の体を解剖し、改造したワシは知っているんじゃ」

「へぇ、何を?」

死門は、あざとく首をかしげてみせた。

だが可愛さよりも、不気味さのほうがどうしても勝る仕草だった。

「怪人の治癒力は、精神的優位性によって保たれておる。一度でも相手が上だと認識してしまえば、その傷が癒えることはない」

真意を理解した死門が、こらえきれず高笑いする。悪い冗談を吹き飛ばすような、悪辣あくらつさを含んだ笑いだった。

 ワークショップは平然としながら、生首のこめかみに口付けた。まもなく店内には、脳味噌を啜る音が響き始めた。

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