②泥の舟を練る

「――すまなかった」

寛治かんじの口から、自然と言葉がこぼれ落ちた。理解できないという顔で、イズナが振り向いた。そのかたわらにいる六出は、驚きを隠さなかった。

「私は、間違っていたと思う。花緒はなおさんのことも、鷺山ろざんさんのことも」

断片的な焦燥感が、寛治の声を後押しする。

「今からでも、因羽いなばくんの心を救えるだろうか」

寛治の目には、厚かましいゆるしを乞う色がにじんでいた。六出むつではどこか遠くを見つめながら、軽く肯首した。

「今の因羽に必要なのは、自由だと思います」

「それと、精神的な拠り所も」

六出と寛治の要求に対し、怪人イズナ勿体もったいぶった拍手を送った。

「どちらも叶えられるスキルを持った方をご紹介しましょう」

言い終わるが早いか、イズナのラペルがうごめく。不気味な蠕動ぜんどうは、彼のまとった上着に波及する。

 本能的な緊張を持つ寛治たちの前で、布は青黒い肌へ変化する。そしてスーツがはだけると、天に向かって新たな腕が現れでた。これこそが、怪人バッドボーイズパートナーの本性であった。

「お立会いお立ち会い。物の流れは欲の流れ、欲の流れは物の流れ。資本と共に産むるは人のさがか、魔のさがか。とくと御笑覧在ごしょうらんあれ!」

イズナの口上が、四つ腕を虚空に引き上げる。突き出た手の先で、彼は何かを掴んだ。

「さあ、おでませ」

引きずり落とすように、イズナが平伏する。

 気づけば彼の隣には、何者かが立っていた。それは、浅黒い肌の男だった。だがまばたきした寛治は、女のようにも見えた。しかし六出が目をこらすと、幼い少年にも思えた。かと思えば寛治には、中性的な老人にも錯誤さくごした。

 畢竟ひっきょう、彼は異様な人物だった。無力な人間たちは、警戒せざるを得なかった。無神経にもイズナは、嬉々として紹介を始めた。

「見てのとおり、魔法によってかおを変える怪人です。もっとも本来の貌は、ご自分でも忘れてしまったようですが」

饒舌じょうぜつなイズナが、彼の名を呼ぼうとしたときだった。無貌むぼうの怪人は、彼の唇に指を添えた。

「ここでは、面手おもて医師と名乗らせてくれ」

イズナは、慇懃いんぎんな笑みを浮かべた。そして青ざめた灰色の手で、面手おもて医師の指を退けた。

「ユニークな怪人だってことは、よく分かった」

評しながらも寛治は、具体的な想像がついていなかった。

 面手医師はなぜか、寛治に近寄った。

「院内に、不要な人材はありませんか?」

居心地悪く、寛治はうなずいた。六出のもとから金を持ち逃げしようとした男が、一人いる。

「どうぞ彼を、ここへお呼びなさい」

中庸ちゅうよう的な声は、すべてを見透かしている響きを持っている。

 ゾッとしながらも、寛治はを用意した。

「昨日ぶりだね、マサオくん」

六出の手がヒラヒラと、鼻先を掠めた。くつわをかまされたマサオは、反抗的な目つきでにらむ。が、背後に立つ面手おもて医師の異様さに気づいたのだろう。マサオの目に、わずかな怯えが走った。

「私の腕は、たしかなものです」

面手医師が、ポツとつぶやく。

「私の手は、貴方のためにあるのです」

面手医師の声には、遠望えんぼうの色に染まっている。

「あなたの望むままに、変えましょう」

面手医師の視線は、六出と寛治をするどく射抜く。動じる寛治に、六出がそっと手で静止する。

「僕が望めば、彼の顔を変えられるのか?」

面手医師が、静かに肯首する。

 意を決して六出は、懐から一枚の写真を取りだした。草津温泉の一角で、浴衣姿の青年が二人写っている。一人は、若いころの六出である。その隣にいる男の腕には、幼い子どもがしがみついていた。六出の指が、たくましい男を差す。

「この人は、椿さん。チビだった因羽は、テキ屋のにぃと呼んでいたけどね」

しみじみと懐かしむように、六出は続ける。

「僕と因羽を全国どこへでも連れて行ってくれた。あの子にとっては唯一の、家族写真なんだ」

面手医師は、感情のないかおで写真を見つめた。輝かしいばかりの笑顔を前に、彼は何を思ったのだろうか。残念ながら面手医師の感情を、誰も推量できなかった。

「本物の椿さんは、肝硬変で亡くなってるんだ」

おくすることなく、六出が続ける。

「それでも僕は、かわいい甥にもう一度会わせてあげたいんだ。彼がいれば、きっと因羽は……」

その先を遮るように、面手医師が手をあげた。ただ一言、彼は言う。

「あなたのかおは、彼が決めました」

 面手医師の手が、無遠慮にマサオの貌をねた。マサオは、声ならぬ悲鳴をあげた。髪の毛ともどもすべてを巻きこみ、貌が泥へと変わっていく。無邪気な神の悪戯いたずらが、新たな人間を形作る。おぞましくも神秘的な光景に、寛治は見惚みとれていた。その隣では無表情の六出が、神聖な泥濘でいねいを見守った。注連縄が切れるように、轡が、ポトリと落ちた。

「――――ァアアアア……」

震える声は野太く、野生的だった。

 気づけばマサオの図体は、精悍せいかんなものへ変わっていた。

「これは――」

絶句する寛治が、ようやく言葉を思い浮かべる。

 かおを変えられたマサオは、椿という男の生き写しになっていた。いや、本人といっても差し支えがないだろう。

如何いかがでしょうか?」

面手医師からの淡白な問いかけに、六出は軽く首をひねった。

「……写真の椿さんは、二十年前の姿だからな」

ごもっともな指摘である。

 面手医師も納得したのか、再び両手が伸びた。マサルだった男から、醜悪な悲鳴が上がる。

 はたして、これでいいのだろうか。寛治の胸の内に、疑問符と花緒の姿が浮かぶ。内なる花緒は、何も答えずに微笑むばかりだった。

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