⑥捨身飼虎
忙しない瀧が休暇を得たのは、四十九日も間近に迫ったころだった。彼が向かうは、
「あら、瀧さん。墓参り?」会釈しながら、瀧は肯定する。四十九日前なので、鷺山の遺骨は本家の仏間に安置されている。瀧には、別の目的があった。しかし人畜無害な夫人には、言えるはずもない。適当な用事をでっちあげ、瀧は先を急いだ。
手入れの行き届いた石畳を行き、
無意識に、瀧の口角がゆるんだ。張り詰めていた空気も、みずみずしい命に中和されていくようだった。自分の帰りを待つ者がいる。なんともはや、瀧にとって奇妙な感覚だった。されど、悪い気はしなかった。
心穏やかな瀧の
小刀をくわえた瀧は、刃先に右掌を添える。そして一思いに刃を沈ませ、玉砂利に血を滴らせた。眉を寄せつつ、瀧は血を流し続けた。やがて瀧の血小板が、甘いかさぶたを生み出した。
「遅くなっちまって、すまねぇ」そして、心のなかで付け加える。
――これでお前を弔った。そういうことにしておいてくれ、
五体すべてを失った彼に、弔うすべは残されていなかった。だが瀧の中を巡る血に、那優太は宿っている。やらない理由など、見つかるはずがなかった。
「…………」さまざまな思いが浮かんでは、胸の奥に消えていく。
那優太のみならず、母親たちや
「おや、瀧さん」背後より、暖かな声がかけられた。瀧が振り向くと、
「また無茶をして……」感情を抑えた声で、照啓は瀧に歩み寄る。
照啓は一介の住職であり、あくまでも裏社会の人間ではない。彼はひとえに平等で、思いやりを持った人間だった。
「帰る前に、お茶でもいかがですか? 少し、お話したいこともあるので」そう言われてしまうと、瀧も断る理由がない。ぎこちなく受け入れる瀧に、照啓は柔らかくうなずいた。
照啓は、瀧を
「仕事は、慣れましたか?」柔らかくも淡々とした声に、瀧は本音を口にする。
「さぁ、どうでしょうね。信頼たり得る者になれるかどうかは、周りが決めるんで」
「
「ガキのころから、因果な仕事してるんでね。サボればどうなるかくらい、わかってるつもりです」
「
「『虎を前に背を向けるな、捨身で挑め』。鷺山さんは、そう言っていました」瀧の言葉を聞くと、照啓は慈悲深い表情を浮かべた。
「本当は、真反対の意味でね。飢えた虎の
「じゃあ、鷺山さんが話したのは……」
「私から聞いた話を、自己流に解釈したんでしょうね」瀧は思わず、頬をかいた。鉄瓶の注ぎ口から吹く湯気が、唯一瀧の味方のように思えた。
「でも私は、鷺山さんの解釈も気に入ってるんです」布巾をたぐり寄せ、照啓は続ける。
「『身一つで虎に挑みかかるたぁ、お釈迦様も粋じゃねぇですかい』」その口真似は、あまりにも真に迫るものがあった。ポカンとする瀧に、照啓は照れくさそうに笑った。
「たとえ相手を救うためだとしても、手を抜かないんですよね。鷺山さんは」
ああ、と瀧の腑が落ちる。子ども相手でも加減を知らない人だった、と。
「お釈迦様のワタを食って生き延びた虎は、その後どうなったんですかね」瀧から出た疑問は、ごく自然な響きを保っていた。ほんの少し照啓が考えるも、明確な答えはない。気まずくなった瀧が、かしこまろうとしたときだった。
「今すぐには答えられないけど、続きを考える時間はきっと与えられている。今の私が出せる答えは、そんなところでしょうか」
粋な心配りとともに、照啓が
「
手の中の温もりと、背負った命の暖かさ。その両方を、瀧は愛そうとしていた。
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