⑤肚の始末

 それからの瀧は、目まぐるしい日々を送った。慣れない事務処理に応じ、動揺する組員を束ねるために講話し、組の内情について知識を深めていった。

 特に混迷を極めたのが、雪姫そそぎビルヂングの後処理である。ビルヂングに所属する風俗関係者のほとんどが、因羽いなばの同級生である。つまり因羽が不当に背負わせた借金を、いつ返せるかも分からないまま人生を棒に振った者たちとも言い換えられた。

 因羽の業を秘密裏にするのなら、彼らを殺してしまうのが一番手っ取り早かった。しかし瀧は、荒っぽい手口を避けた。

――某日、関係者一同は代田組の事務所へ招かれた。不安な顔をする被害者らを前に、瀧は見事な土下座を披露した。並々ならぬ瀧の気迫に、彼らはしばし固まっていた。

素卯しろうの奴は、どうしたんですか?」おそるおそるといった様子で、一人の男が切り出した。彼の容貌は、異常なまでの美をまとっていた。

「因羽さんは、もう表に出られるような有様じゃありやせん」

頭を地に伏せたまま、瀧は返す。どよめく被害者らの脳裏には、思い思いの惨状が描かれていた。ヤクザにはヤクザなりの、義理の通し方がある。裏社会に携わった人間であれば、想像に容易い話だった。

「私たちは、どうなるんですか……?」整いすぎた顔立ちの女が、不安を滲ませる。瀧の頭がジリジリと、誠意の糸で持ちあがった。

「借金の件は、どうぞご放念ください。無い因縁をつけられて、でっち上げられたものですから」

「……ふざけんなよ」奥に立っていた男が、怒気のまま瀧に詰め寄る。

「こっちは人生棒に振って働かされたんだぞ! 好きでもない女口説いて、抱いて、風呂に沈めて、掛け金の心配して!」周囲にいる人々は、気まずくなりながらも止めに入らなかった。なぜなら彼の弁は、誰しも心当たりのある不毛さであった。

おっしゃ る通りで、返す言葉も御座いやせん」平身低頭を貫きながらも、瀧の双眸そうぼうは彼らを離さなかった。微動だにしない視線に、男の罵倒も次第になりを潜めてしまった。シンと静まった中で、ようやく瀧は口を開いた。

「皆様には、慰謝料を支払わせていただきます。そんなものでは、時間が返せぬことも重々承知しております」瀧が申し出た慰謝料の額は、一般的な年収を優に超えていた。その資金源は因羽が荒稼ぎした金と、鷺山ろざん那優太なゆたの内臓を売った金である。

息を呑む彼らに、なおも瀧は続ける。

「長い間、この町に縛り付けられて嫌気が差している方もいるでしょう。そういった方には、引越しの費用も工面する予定です」予定とは言ったものの、瀧の心算は決定している。被害者全員の生活と日常を取り戻せるなら、彼は犠牲を厭わなかった。

瀧の凄味に、被害者たちも異論を口にすることはない。が、突然の出来事に心情が追いついていない者のほうが当然多かった。

 ゆえに瀧は、謝罪の最後にとある人物を呼び出した。修羅場と化した室内に入ってきたのは、輪島白兼わじましろがねと息子の佐銀さぎんである。神妙な面持ちで、二人は一台の台車を運び入れた。その上には、巨大な段ボール箱が載っている。

「これ以上、渡すものがあるっていうか?」せせら笑ったのは、瀧に罵倒を浴びせた男である。禍根の擬人化とも言える男へ、瀧は肯首こうしゅした。

「輪島さん、例のものを」うなずく二人の職人が、巨大な箱を開いた。箱の中にはびっちりと、新聞紙によって棒状にくるまれたものが入っていた。無造作むぞうさに、瀧は一つ手に取った。新聞紙を剥いた先には、銀色にギラつく光がでた。

「人数分の短刀ドスを、用意させていただきやした」絶句する被害者らを前に、瀧は自らの頬にやいばすべらせる。真新しい刃は、若かりし組長の肌を傷つけた。赤い血がポタポタと垂れたところで、何人かの女が悲鳴をあげた。

「強制はしませんが、どうしても納得できない方がいるんだったらどうぞ受け取ってくだせぇ」

拝礼する瀧は、最後にこう締めくくった。

はらわたが煮え繰りかえってどうしようもない時は、どうぞ躊躇せず殺しに来てくだせぇ。甘んじて受け入れることが、俺の責務ですから」

それこそが唯一、次代の組長として出来る償いであった。

 幸か不幸か、実際に渡った短刀ドスの本数は、十を越えなかった。ほとんどの被害者は引っ越しを望み、代田組との縁を切る者が多かった。例外的に、何人かの男は雪姫そそぎビルヂングでの仕事を続けていた。だがビルヂングのテナントは、ほとんどが消失した。しばらくして、空いた店舗には場末のスナックがいくつか入居した。ささやかなショバ代は、代田組の貴重な収入源となった。

 瀧桜閣という男は、かくも我慢強かった。不満や不安を口にすることなく、彼は仁義に身を沈めていった。青葉を始めとする赫哉や白兼といった幹部たちも、瀧の努力を認めつつあった。中島組との折衝もふくめ、状況は険しい。が、瀧の心は比較的穏やかだった。

 意外にも支えとなったのは、因羽が遺した娘である。瀧がほまれと名付けた赤子は、健やかに育ちつつあった。あどけない彼女の笑顔には、呪われた出自をはね返すような強さが秘められていた。譽の持つ魅力に、瀧をふくめた全員が夢中になった。

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