④待ち侘びた再会

 一九五八年、四月。素卯しろう邸の居室にて、鷺山ろざんは落ち着きなくため息をついた。

「……今日だっけねぇ、鷺山さんよ」

床に就いた花緒はなおが、呂律も怪しくそう言った。抗争中に毒を盛られて以来、彼はすっかりやせ衰えてしまった。眠りで痛みをごまかしている花緒が、今日だけは饒舌じょうぜつだった。

「むつと、いなばが帰ってくんやろ」

側に控えていた鷺山は、深くうなずいた。濯姫の喪が明けるよりも早く、鷺山は六出むつで因羽いなばを東京都外に逃がした。

 恥を忍んで男やもめになったわけを話したところ、知人はずいぶんと同情をしてくれた。彼の稼業は、大道商人――俗にテキ屋と呼ばれる人間だった。日本全国津々浦々を巡れば、四目組よつめぐみも跡を追いにくい。くわえて鷺山は、己が目で因羽たちの存命を、何度か確認していた。もちろん大っぴらには会うことはできず、すれ違うような形でしか接触できなかった。だが遠目に見ても、因羽いなばはすくすくと育っているらしかった。因羽に仕える六出も、表情が豊かに出るようになった。忘れ形見となった因羽を六出に託すのは、さすがの鷺山も気をもむものがあった。

 だが濯姫そそぎの死にもっとも近しいのは、六出である。みすみす自らの足下で、肉親を死なせてししまったのだ。想像を巡らせど、余りあるものがあった。そう考えると、鷺山は己がまだ恵まれていた。

 濯姫は美しく、苛烈なまでに精神を追い詰められようと、子を殺さなかった。任侠の妻として、彼女は立派に勤めを果たした。それに報いぬ旦那など、任侠おとことして恥ずべき存在だ。だから鷺山は、遺してくれた子供を、六出に託した。過ちを犯した人間は、赦しがなければ真っ当な道を歩む気概きがいすら無くなってしまう。罰は、鷺山がとうに与えた。六出の頬を張った一発に、濯姫の忿怒呻吟ふんぬしんぎんを込めた。そして、鷺山は赦した。赦した結果、六出は笑うようになった。因羽の成長を、心から喜べるようになった。

 心の底から幸せになる。それこそが、隻腕の怪人に対する意趣返しなのだ。

鷺山は穏やかな面持ちで、因羽の到着を待つ。

 だが約束の時間になっても、因羽の乗った車は来ない。

「道が混んでるのかねぇ」

温和な花緒が珍しく、焦れたように言う。縁側で茶をしばいていた鷺山も、流石に四杯目を飲む気になれなかった。何かがおかしい。鷺山と花緒の予感は、的中する。

 さらに三十分が経った。ようやく素卯しろう邸に、真っ黒な車がやって来た。が、申し訳なさそうなツラを下げた六出が降りてくる。いぶかしむ鷺山と部下に、六出は地に頭をこすりつけた。

「何の真似でぃ、六出の兄さん」

鷺山の部下である後賭場ヰ千座ごとばいちざは、戸惑ったように言った。その隣では、別の幹部が青筋を立てている。

「アッシの聞き間違いでなけりゃ、因羽の坊ちゃんは……。そう聞こえたんだが?」

「面目御座いません…………」

消え入る声に、とうとう男たちの堪忍袋が破裂する。

「テメェ!濯姫さんにいで失態晒やらかしやがったな‼」

「差し出がましいですが、鷺山さん。六出のボンに、仁義切らせましょうや」

「ノコでスパーッと切ってやろうか? ァア?」

六出に詰め寄り、怒号を浴びせ、中には頭を踏みつける者もいた。

 いっぽう鷺山は、いだ湖面のような表情を浮かべていた。

不甲斐ふがいない……」

ぽつと呟いた六出に、ほうぼうから手が伸びた時だった。

「やめい、やめい!」

鷺山の一声に、男たちの挙動が止まる。

 そして誰に言われたわけでもなく、そろそろと姿勢を正した。鷺山は、六出に歩みより、かしずいた。

「六出よ。やんちゃが出来るほど、セガレは息災ということだな」

慈悲に満ちた言葉に、六出の歯がきしむ。

「良いことだ。子供の仕事は、無垢でよろしい」

うなずく鷺山は、どこか自分に言い聞かせているようだった。まもなく鷺山の手は六出の首を掴み、立ち上がらせた。

「連れ戻せ。怪我ひとつさせるなよ」

地を這う言葉に、同席した男たちは蜘蛛の子のように散じた。

 そしてさらに三十分後。ヰ千座いちざの使い走りである少女が、鷺山のもとにやってきた。彼女の言によれば、因羽らしき子どもが目撃されたらしい。場所は千仁町のはずれにある、児童館つきの公園であった。

「しょせんは子どもだな。遊びたい盛りというわけか」

朗らかに聞いていた鷺山だが、次の瞬間には顔色が変わった。

「…………その児童館で、火事だと?」

脳の一部が冷えつつも、しどろもどろにつむがれる報告を鷺山は聞く。

 ヰ千座は町の人々とともに、因羽を探していたという。六出から逃れたとはいえ、子どもの足と体力である。遠くまで行く事はないと踏んだ。

 彼の見立ては、なかば当たった。見慣れない背中の子どもが、たどたどしく歩いていた。気づかれぬよう後を追った先が、件の児童館だった。遠巻きに様子を伺うと、館内からは子供たちの無邪気な歓声が響いている。他の子どもに混じって、因羽も遊んでいる可能性がある。

 報告のためにヰ千座が、素卯邸に向かい始めたときだった。どうも煙のくすぶった臭いがする。風上の方角を確認した彼は、凍りついた。児童館のある方角だった。

 ヰ千座は慌てながら、児童館に戻った。その道中で彼は、パシリの少女と邂逅かいこうしたらしい。動揺を隠せない鷺山に怯えながら、少女は青い顔でそう締めくくった。

「嬢ちゃん、悪いな。これは駄賃にしてくれ」十枚ばかりのピン札を取り出し、鷺山は少女の胸に押し付ける。鷺山はバイクに跨り、自慢の抜刀術にも並ぶ速さで飛ばした。あとには、呆然ぼうぜんとする少女だけが残された。

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