⑤時の魔法少女

 千仁公園せんにんこうえんにある児童館は、木造の二階建である。鷺山はそう記憶していたが、現場に着くと自信が揺らいだ。火は燃え盛り、巨大なねぶた人形のように、大衆の視線を惹きつけている。大火の端では、近隣住民による懸命な消火活動が行われている。しかしその効果は、素人目に見ても明らかだ。

「因羽ぁああーー‼‼」

火へと飛び込まんとする鷺山を、ギョッとした人々が止める。

「ダメだ鷺山さん、アンタまで死んじゃ!」

「だからってセガレが焼け死ぬところを黙って見てろって言うんか‼」

火色を映す鷺山の目には、血のような涙が浮いている。群衆はハッとするも、鷺山を行かすまいと引き止めた。

「おぉぉーい‼ 因羽ー‼」

屹然きつぜんとした任侠が、一人の親として叫んでいる。心情を理解した人々は、水の入ったバケツを次々と火に掛けていく。されど火は、雫を飲み干していく。

 絶望。そうとしか形容できない光景である。それでも鷺山は、諦めきれない。だというのに屈強な体からは、力が抜けていく。弱り果てた様を見て、ようやく人々は鷺山を解放した。

親父おやっさん……」

息もからがらといった様子で声を掛けてきたのは、ヰ千座いちざだ。

「なんなんだ、この火は……!」

「おそらく、爆弾です」

そっと耳打ちされた言葉に、鷺山の瞳孔が開く。

「現場に着いてまもなく、二度三度と火の手が……」

そんなものが、児童館に仕掛けられていた。怖気立おぞけだつ鷺山は、唯一の心当たりを口にする。

四目組よつめぐみの残党か?」

抗争の発端となった、小学校の爆破事件を連想したのだ。しかしヰ千座の様子は、腑に落ちない。

「んなもん、おやっさんが徹底的にじゃないですか」

亡妻そそぎのお礼参りとばかりに暴れ狂う鷺山の姿は、ヰ千座の記憶にも新しい。彼の指摘に、鷺山も思うところがあったのだろう。二人が黙したその時だった。


「時よ止まれ、うるわしき足跡そくせきを残して」


群衆の頭一つ越えた空から、颯爽さっそうとした声が響いた。

 弾かれたように、鷺山のおもてが上がる抜刀を極めた彼は、須臾しゅゆをも見抜く目を持つ。

 燃ゆる炎光を浴びる人影は、黒髪の少女だった。過去形なのは、彼女の見目みめがたちまちに変わりゆくからだ。

 少女の肌に、秋夜しゅうやの如く帳が降りていく。次いで長い黒髪が、夜空にきらめく銀星ぎんせいの色となり、自然と結いむすばれた。尖ったお団子頭は最後に、どこからかいたリボンでしっかと固定される。

 ザ、と音を立てて少女――いな、魔法少女が降り立った。首元まで覆うピンク色の媒 装コスチュームは、同じく魔法によってでたものである。

 魔法少女の視線が、鷺山とかち合った。物言いたげな鷺山を無視し、彼女がきびすを返そうとした時。

「魔法少女のあねさん‼」

外聞もなく鷺山が、彼女を呼び止めた。やや困り眉の彼女は、陽炎かげろうのように立ち止まった。

 いっぽうの鷺山は、深く深く辞儀をしていた。

「恥を忍んでかしこみ申します。どうか火中に、この俺を連れて行ってはくれませんか。血も涙もない、日陰に住まう任侠の端くれですが、情まで捨てたわけじゃあない――。せめて、セガレの骨を拾いたい。ただの、ひとりの父親でございます。どうか……」

しばしの沈黙があった。魔法少女の背後では、パチパチと火の粉が飛んでいる。バケツを持った人々も、思わず事を見守ってしまった。

「…………一般人を、危険に晒すことはできません」

ぽつと出た声は、大人びた見目よりも幼いものだった。

それでも鷺山は動じず、頭を下げ続けている。

現に魔法少女は、釘を打たれたように動くことができない。

 とはいえこの状況で膠着こうちゃくするのは、不味い。誰の目にも、明らかであった。

あねさん、俺からもお願いします」

いで頭を下げたのは、ヰ千座であった。並んだ二つの頭に、魔法少女がジリと下がった。

「自分、女房と子供を殺して喰ったことがあります」

とつと出たヰ千座の告白に、凍っていた群衆は動き出す。恐怖によるものではない。彼の過去を知る者が、余計な事を聞いてはならないと気遣ったのだ。

「鷺山さんに会わなきゃ、もっと人を殺してったと思います。そんな俺を、鷺山さんは叩き直してくれた」

珍しく熱弁を振るうヰ千座は、さらに頭を下げる。

「この人は、凄い人なんです」

対する魔法少女は、戦中に起きた怪人狩りの話を思い出していた。

 生身で怪人と渡り合った任侠、素卯鷺山の話は彼女たちの間でも噂になっている。残念なことに彼女は、諜報や救護といった支援型の魔法少女である。

 おそらく鷺山が捨て身で突っ込んできた場合。――彼女は、逃げるしかない。一般人相手に怪我をさせるわけにもいかないが、なにより彼女に傷が付いたら……。世間からの評価はあっという間に落ちることだろう。

「……いいでしょう、鷺山さん」

魔法少女は了承を口にし――、やや気圧された。

 なぜなら鷺山は、すでに彼女の隣に立っていた。頭を伏せたときからすでに、彼は膝から力を抜いていた。重心の位置を意図的にずらすことで、素早く移動する。古武術において基本的な動作だが、まさか交渉した時点でお膳立ぜんだてが終わっていたなど、魔法少女は知らない。

「ありがとうございます、姐御あねご

素知らぬ顔で、鷺山は火中へと歩みを進める。

「スローナイト・ヴギ、です。姐御はちょっと……。あと勝手に進まないでください。私から離れたら死にますよ」

懐に片手を突っ込みながら、彼女――スローナイト・ヴギはそう言った。彼女のが、始まった。

 

 スローナイト・ヴギとともに火中へと踏み込んだ鷺山は、すぐさま異変に気付く。

「熱くねぇな……」鷺山の違和感は、実に正しかった。

 魔法少女スローナイト・ヴギ。――名乗りに相応しく、彼女の魔法は時間を遅延させることが出来る。その効果は、彼女を中心に半径二メートルにも及ぶ。

 ゆえに爆ぜる火の粉や猛然もうぜんと揺らぐ熱線ねっせん、崩落する柱は、宙に浮いていた。呆気に取られながらも、鷺山は詮索せんさくをしない。彼女たちが行使する魔法は、個人の資質に大きく依存する。その詳細が漏洩すれば、敵対する怪人にとっても有利な作戦が考えられる。野暮な真似をするほど、鷺山は無粋なおとこではない。

 スローナイト・ヴギも、彼の気遣いに思うところがあったのだろう。ふいに彼女は立ち止まり、あたりを見渡した。

「……息子さんなら、きっと無事ですよ」と言った。

「はぁ、」

なぐさめと受け取った鷺山に、彼女はつづける。

「そもそも私が来たのは、ほかの魔法少女と合流する為なんです。虫の知らせ、といえば分かりやすいでしょうか」

字義じぎを思案する鷺山を気遣いながら、ヴギの歩みが方向を変える。

 カツ、カツ。ピンヒールが軽快な音とともに、焼けた床を踏みしだく。鷺山は悠然ゆうぜんとした足取りで、後を追う。

「魔法少女が張る結界魔法は、見たことありますか?」

スローナイト・ヴギの質問に、鷺山は首を振る。振り向きしな、ヴギは言う。

「魔法少女であれば誰でも使える、基礎的な魔法です」

鷺山は彼女の背後で燃ゆる炎の向こうに、きらめきを見た。

「本来は怪人との戦闘から、民間人や建物を守るために使われるのですが」

ピンヒールは、割れたガラスを踏みしめる。崩れた壁の向こうで、透明な皮膜が現れた。

 その中には、身を寄せ合う子供たちと――。

「おっそい‼」

不健康な白肌をした幼女が、すがるように叫んだ。幼女の髪は色抜けしたような銀色だ。その頭上には、巨大な赤リボンが揺れている。

「すみません、アリス。これでも急いだほうなのですが」

「ふーんだ。謝ってもゆるさないんだからねっ!」

アリスと呼ばれた幼女は、あどけなく頬をふくらませる。スローナイト・ヴギは、困惑を隠さなかった。

「全員、無事なのか?」

鷺山の発言で、ようやくアリスはその存在に気付く。彼女の表情には、疑問符が露骨に浮かんでいた。意外にも彼女の疑問は、すぐに解決した。

「ろざんのおじちゃん!」

子どもたちは、ホッとした様子で歓声をあげた。

「あー……」

アリスは、静かにスローナイト・ヴギとアイコンタクトを交わす。頭に思い浮かべていたのは、有名な噂話――怪人狩りの鷺山である。

「前言撤回。助けに来てくれてありがと」

頬をかくアリスに、スローナイト・ヴギは無言で右手を伸ばす。仲直りの証、などという真似ではない。アリスの張った結界に、時遅らせの魔法を重ねようとしているのだ。

 ふと鷺山は、スローナイト・ヴギの左手が気になった。それとなく視線で探ると、彼女の手には黒い時計――少女を魔法少女たらしめる、魔徴レガリアと呼ばれる武器が握られていた。

 真宵色の秒針は、ひとつも動く気配がない。ただ静かに時計は魔法を放ち、結界を薄く色付かせていく。燃ゆる炎の赤が結界に落ち、バウンドするように光源が遠ざかる。

 炎を退けた結界は藍深あいふかく、次いで紫紺しこんを匂わせ、次第に黒檀こくたんの色へと変わりゆく。隣り合う二つの泡が、静かに同化していく。鷺山の解釈を肯定するかのように、両者を隔てる境は見えなくなった。

「行きましょう」

かざした手を下ろし、スローナイト・ヴギは言う。

「まぁ、待ってくれや」

引き止めた鷺山は、子どもたちに近付いた。

「今ならおじちゃんが肩車してやるぜ」

鷺山の一言に、子供たちがワッと群がった。

如才じょさいなく鷺山は、三人の子を背負い、二人の子を抱きかかえた。残り四人の子供たちは、やや羨ましそうに鷺山を眺めていた。

「……手をつなぎましょ!」

黙していたアリスが、不意に両手を広げる。アリスの手を真っ先に取ったのは、小学四年生の女の子であった。ほかの子供たちもそれにならい、互いの手を取り合った。

「おねーちゃんは?」

唯一余ったスローナイト・ヴギの手を、端にいた男児が指さした。鷺山も含んだ視線が、ヴギに集中する。

「――――」

無口で不器用な彼女は、黙って幼い手を受け取った。

 そして誰が先導するともなく、彼らは炎の中を歩き続けた。鷺山の脳裏には、戦中の混乱が過っていた。若かりし鷺山もまた、老若男女を背負い、火の中を彷徨さまよっていた。

 今の鷺山も、同じくくらい気持ちで歩き続けている。この背にも、腕の中にも、列を成して歩く子の中にも、因羽はいなかった。それでも鷺山は、今ある命のために不安を顔に出してはいけない。仁義と人情が、一介の私情を押し殺す。任侠とは、そういう生き方しか知らないのだ。

 炎の中を歩き始めて、幾ばく経っただろうか。鷺山たちの踏みしめる地が、焦げた瓦礫から濡れそぼった廃墟へと切り替わる。銀の服を着た人間が、ゆらりゆらりと鷺山たちに近づいてきた。

 スローナイト・ヴギが振り返り、火事場を見つめた。いまだ後方では、攻撃的な橙色が息づいている。されど炎が貪欲といえど、湿った地に手を伸ばすことはできない。

 再びスローナイト・ヴギは、武器である黒の時計を取り出す。彼女の意のままに時計の蓋は開く。その中で時を止めていた秒針は、氷が溶けゆくように、始動する。

銀の人間が、徐々に姿を表していく。彼らは、消防士であった。

「……さん、鷺山さん!」

遅滞していた彼らの声が、動作が、正常さを取り戻していく。

「ご無事でなにより……」

「子供たちは⁉」

若い消防士は口々に、状況確認を求める。

「安泰よ。魔法少女のおかげでな」

鷺山の言葉にたがいなく、子供たちは大した怪我を負わずに済んだ。もし彼女たちがいなかったら……、と消防士たちは震える。

「あとは我々にお任せください。鷺山さんたちは、どうぞ先へ」

「痛み入る。君たちも気をつけてな!」

鷺山と言葉を交わした消防士たちは、一人を除いて火中へと消えていく。残った一人が鷺山たちを先導し、被災者は残らず救出完了となった。

 気づけば空はとっぷりと日が暮れおり、野次馬の持ち込んだ懐中電灯ばかりが辺りを照らしている。その中には、鷺山の帰りを待つヰ千座を含めた任侠たちもいた。

「おやっさん‼」

「よくぞご無事で‼」

「野郎ども、早く子供たちを!」

駆けつけたおとこたちが、子供たちを抱えていく。彼らは礼を言う間もなく、それぞれの親元へと運ばれていった。

「鷺山さん……」

はらをくくった声で、ヰ千座いちざはそっと鷺山に耳打ちする。囁かれたその内容に、鷺山の瞳孔がカッと開く。怒りでわななく手は、人目によってかろうじて抑えられている。子供たちの無事を祝う群衆は、鷺山の異常に気付かない。

 その殺気に唯一気付いたのは、変身を解いた魔法少女二人のみ。

「なんか、ヤバくない?」

肌色を取り戻した幼女アリスは、スローナイト・ヴギだった少女――遊久良ゆくらミサキの手を頼る。魔法少女は、歳を取らない。その影響は肉体のみならず、精神にも影響する。いつまでも幼い二人は、鷺山の異変に恐怖を覚えていた。

「行きましょう。やるべきことは、まだあります」小さな手を握り返し、ミサキは鷺山に背を向ける。

 魔法少女に課せられた使命とは、怪人との戦いである。火災の規模を考えれば、怪人による放火かもしれない。情報の精査が必要である、とミサキは考えていた。

 少女と幼女は、墨色に濡れた地に向かって歩き出した。鷺山とヰ千座も、火災現場を後にする。魔法少女と、任侠。一期一会の断絶を、両者は背負っていた。

 

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