⑤時の魔法少女
「因羽ぁああーー‼‼」
火へと飛び込まんとする鷺山を、ギョッとした人々が止める。
「ダメだ鷺山さん、アンタまで死んじゃ!」
「だからって
火色を映す鷺山の目には、血のような涙が浮いている。群衆はハッとするも、鷺山を行かすまいと引き止めた。
「おぉぉーい‼ 因羽ー‼」
絶望。そうとしか形容できない光景である。それでも鷺山は、諦めきれない。だというのに屈強な体からは、力が抜けていく。弱り果てた様を見て、ようやく人々は鷺山を解放した。
「
息もからがらといった様子で声を掛けてきたのは、
「なんなんだ、この火は……!」
「おそらく、爆弾です」
そっと耳打ちされた言葉に、鷺山の瞳孔が開く。
「現場に着いてまもなく、二度三度と火の手が……」
そんなものが、児童館に仕掛けられていた。
「
抗争の発端となった、小学校の爆破事件を連想したのだ。しかしヰ千座の様子は、腑に落ちない。
「んなもん、おやっさんが徹底的にヤッたじゃないですか」
「時よ止まれ、
群衆の頭一つ越えた空から、
弾かれたように、鷺山の
燃ゆる炎光を浴びる人影は、黒髪の少女だった。過去形なのは、彼女の
少女の肌に、
ザ、と音を立てて少女――
魔法少女の視線が、鷺山とかち合った。物言いたげな鷺山を無視し、彼女が
「魔法少女の
外聞もなく鷺山が、彼女を呼び止めた。やや困り眉の彼女は、
いっぽうの鷺山は、深く深く辞儀をしていた。
「恥を忍んで
しばしの沈黙があった。魔法少女の背後では、パチパチと火の粉が飛んでいる。バケツを持った人々も、思わず事を見守ってしまった。
「…………一般人を、危険に晒すことはできません」
ぽつと出た声は、大人びた見目よりも幼いものだった。
それでも鷺山は動じず、頭を下げ続けている。
現に魔法少女は、釘を打たれたように動くことができない。
とはいえこの状況で
「
「自分、女房と子供を殺して喰ったことがあります」
とつと出たヰ千座の告白に、凍っていた群衆は動き出す。恐怖によるものではない。彼の過去を知る者が、余計な事を聞いてはならないと気遣ったのだ。
「鷺山さんに会わなきゃ、もっと人を殺して
珍しく熱弁を振るうヰ千座は、さらに頭を下げる。
「この人は、凄い人なんです」
対する魔法少女は、戦中に起きた怪人狩りの話を思い出していた。
生身で怪人と渡り合った任侠、素卯鷺山の話は彼女たちの間でも噂になっている。残念なことに彼女は、諜報や救護といった支援型の魔法少女である。
おそらく鷺山が捨て身で突っ込んできた場合。――彼女は、逃げるしかない。一般人相手に怪我をさせるわけにもいかないが、なにより彼女に傷が付いたら……。世間からの評価はあっという間に落ちることだろう。
「……いいでしょう、鷺山さん」
魔法少女は了承を口にし――、やや気圧された。
なぜなら鷺山は、すでに彼女の隣に立っていた。頭を伏せたときからすでに、彼は膝から力を抜いていた。重心の位置を意図的にずらすことで、素早く移動する。古武術において基本的な動作だが、まさか交渉した時点でお
「ありがとうございます、
素知らぬ顔で、鷺山は火中へと歩みを進める。
「スローナイト・ヴギ、です。姐御はちょっと……。あと勝手に進まないでください。私から離れたら死にますよ」
懐に片手を突っ込みながら、彼女――スローナイト・ヴギはそう言った。彼女の時間が、始まった。
スローナイト・ヴギとともに火中へと踏み込んだ鷺山は、すぐさま異変に気付く。
「熱くねぇな……」鷺山の違和感は、実に正しかった。
魔法少女スローナイト・ヴギ。――名乗りに相応しく、彼女の魔法は時間を遅延させることが出来る。その効果は、彼女を中心に半径二メートルにも及ぶ。
ゆえに爆ぜる火の粉や
スローナイト・ヴギも、彼の気遣いに思うところがあったのだろう。ふいに彼女は立ち止まり、あたりを見渡した。
「……息子さんなら、きっと無事ですよ」と言った。
「はぁ、」
「そもそも私が来たのは、ほかの魔法少女と合流する為なんです。虫の知らせ、といえば分かりやすいでしょうか」
カツ、カツ。ピンヒールが軽快な音とともに、焼けた床を踏みしだく。鷺山は
「魔法少女が張る結界魔法は、見たことありますか?」
スローナイト・ヴギの質問に、鷺山は首を振る。振り向きしな、ヴギは言う。
「魔法少女であれば誰でも使える、基礎的な魔法です」
鷺山は彼女の背後で燃ゆる炎の向こうに、
「本来は怪人との戦闘から、民間人や建物を守るために使われるのですが」
ピンヒールは、割れたガラスを踏みしめる。崩れた壁の向こうで、透明な皮膜が現れた。
その中には、身を寄せ合う子供たちと――。
「おっそい‼」
不健康な白肌をした幼女が、すがるように叫んだ。幼女の髪は色抜けしたような銀色だ。その頭上には、巨大な赤リボンが揺れている。
「すみません、アリス。これでも急いだほうなのですが」
「ふーんだ。謝ってもゆるさないんだからねっ!」
アリスと呼ばれた幼女は、あどけなく頬をふくらませる。スローナイト・ヴギは、困惑を隠さなかった。
「全員、無事なのか?」
鷺山の発言で、ようやくアリスはその存在に気付く。彼女の表情には、疑問符が露骨に浮かんでいた。意外にも彼女の疑問は、すぐに解決した。
「ろざんのおじちゃん!」
子どもたちは、ホッとした様子で歓声をあげた。
「あー……」
アリスは、静かにスローナイト・ヴギとアイコンタクトを交わす。頭に思い浮かべていたのは、有名な噂話――怪人狩りの鷺山である。
「前言撤回。助けに来てくれてありがと」
頬をかくアリスに、スローナイト・ヴギは無言で右手を伸ばす。仲直りの証、などという真似ではない。アリスの張った結界に、時遅らせの魔法を重ねようとしているのだ。
ふと鷺山は、スローナイト・ヴギの左手が気になった。それとなく視線で探ると、彼女の手には黒い時計――少女を魔法少女たらしめる、
真宵色の秒針は、ひとつも動く気配がない。ただ静かに時計は魔法を放ち、結界を薄く色付かせていく。燃ゆる炎の赤が結界に落ち、バウンドするように光源が遠ざかる。
炎を
「行きましょう」
かざした手を下ろし、スローナイト・ヴギは言う。
「まぁ、待ってくれや」
引き止めた鷺山は、子どもたちに近付いた。
「今ならおじちゃんが肩車してやるぜ」
鷺山の一言に、子供たちがワッと群がった。
「……手をつなぎましょ!」
黙していたアリスが、不意に両手を広げる。アリスの手を真っ先に取ったのは、小学四年生の女の子であった。ほかの子供たちもそれにならい、互いの手を取り合った。
「おねーちゃんは?」
唯一余ったスローナイト・ヴギの手を、端にいた男児が指さした。鷺山も含んだ視線が、ヴギに集中する。
「――――」
無口で不器用な彼女は、黙って幼い手を受け取った。
そして誰が先導するともなく、彼らは炎の中を歩き続けた。鷺山の脳裏には、戦中の混乱が過っていた。若かりし鷺山もまた、老若男女を背負い、火の中を
今の鷺山も、同じく
炎の中を歩き始めて、幾ばく経っただろうか。鷺山たちの踏みしめる地が、焦げた瓦礫から濡れそぼった廃墟へと切り替わる。銀の服を着た人間が、ゆらりゆらりと鷺山たちに近づいてきた。
スローナイト・ヴギが振り返り、火事場を見つめた。いまだ後方では、攻撃的な橙色が息づいている。されど炎が貪欲といえど、湿った地に手を伸ばすことはできない。
再びスローナイト・ヴギは、武器である黒の時計を取り出す。彼女の意のままに時計の蓋は開く。その中で時を止めていた秒針は、氷が溶けゆくように、始動する。
銀の人間が、徐々に姿を表していく。彼らは、消防士であった。
「……さん、鷺山さん!」
遅滞していた彼らの声が、動作が、正常さを取り戻していく。
「ご無事でなにより……」
「子供たちは⁉」
若い消防士は口々に、状況確認を求める。
「安泰よ。魔法少女のおかげでな」
鷺山の言葉に
「あとは我々にお任せください。鷺山さんたちは、どうぞ先へ」
「痛み入る。君たちも気をつけてな!」
鷺山と言葉を交わした消防士たちは、一人を除いて火中へと消えていく。残った一人が鷺山たちを先導し、被災者は残らず救出完了となった。
気づけば空はとっぷりと日が暮れおり、野次馬の持ち込んだ懐中電灯ばかりが辺りを照らしている。その中には、鷺山の帰りを待つヰ千座を含めた任侠たちもいた。
「おやっさん‼」
「よくぞご無事で‼」
「野郎ども、早く子供たちを!」
駆けつけた
「鷺山さん……」
その殺気に唯一気付いたのは、変身を解いた魔法少女二人のみ。
「なんか、ヤバくない?」
肌色を取り戻した
「行きましょう。やるべきことは、まだあります」小さな手を握り返し、ミサキは鷺山に背を向ける。
魔法少女に課せられた使命とは、怪人との戦いである。火災の規模を考えれば、怪人による放火かもしれない。情報の精査が必要である、とミサキは考えていた。
少女と幼女は、墨色に濡れた地に向かって歩き出した。鷺山とヰ千座も、火災現場を後にする。魔法少女と、任侠。一期一会の断絶を、両者は背負っていた。
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