⑤白日の狂気
「――俺の
ぽつと、
「あれは、
「違う」
刺すような速さで、鷺山は言葉を紡ぐ。
「お前を
言うに従って、鷺山は
「――それでも俺は、鷺山さんに救われたんです。家族を
無垢な
目を伏せる鷺山は、那優太を見る。
「
乱闘でうやむやになった問いかけを、那優太は再演する。逃げ場のない鷺山は、力なく首を横振った。
「では、波藤産院の名に聞き覚えは?」
ああ、と鷺山は合点する。
「
怪我人を送れば万全の治療を提供し、不都合な死体を送れば上手く始末する。抗争で暴れ狂った鷺山も、世話になった回数は三桁を超える。だが産院の内情について、鷺山が把握していることは少ない。
「
「定期的な資金源として、因羽さんは女を孕ませていました」
ツン、と鷺山の耳に沈黙が詰まった。コーコーと流れる血だけが、静々と耳鳴りを呼ぶ。
「誰を孕ませていたって?」
「風俗に沈めた女を」
即答する那優太に、ちょっと待てと鷺山は
「借金のカタに沈めた女を……?」
「より正確にいえば、因羽さん自身の同級生です」
正気とは思えない話だが、彼の口は止まらない。
「同級生にチンピラをけしかけて、因羽さんが仲裁する。その際、トラブル解決の手数料として、莫大な借金を背負わせたんです」
あまりにも
「風俗に沈めた女は全員、
「孕んだらなおのこと避妊する必要もない、ってか」
ヰ千座の推察に、那優太は最悪な答えを重ねていく。
「妊婦が好きな客もいるんですよ。一種の人妻マニアっていうか……。かなり強気の値段でも、予約がめちゃくちゃ入るんです。俗にご祝儀って呼んでるんですけど」
鷺山の耳鳴りが、いっそう強くなる。
「臨月まで放置する時もあれば、早々に堕ろす場合もある。正直そのタイミングは分からないけど、どっちにせよ赤ん坊は死にます」
「殺すのか」
鷺山の喉から出たのは、か細い声だった。低く掠れた声音は、しわしわと那優太にすがりつく。
「そりゃあ、堕したら死体にはなるんですけど」
ぼかした答えに、ヰ千座は鋭く眼光を走らせる。刻み込まれた教育の成果が、たくみに那優太の舌を操った。
「生死を問わず、すべての赤ん坊は、怪人に売り払いました」
すなわち、臓器売買の答えでもある。
「あああ……」
と、鷺山が小さく声を漏らした。崩れ落ちるその体を、ヰ千座は支える。
「腐れ外道め……!」
今すぐにでも死んで、詫びなければならない。深い絶望と、後悔、衝動的な蛮勇が、鷺山を突き動かす。だがヰ千座は、それを許さない。
「離せ、ヰ千座!」
「駄目です!」
押し問答がしばらく続くも、鷺山は諦めていた。
話の腰を折られた那優太は、行き場のない真実を抱えたまま、立っている。最後まで聞かなくてはなるまい。――鷺山は、受け入れなくてはならなかった。ものの数分で老いたような体を律し、鷺山は覚悟を決めた。ようやく戻った眼光を見、那優太は再び口を開いた。
「因羽さんはご自身の同級生を、こちらの世界に引きずり込むことに執着していました。小学校から高校、男女構わず。ときには、その家族でさえも……」
わずかに言い淀んだのち、那優太は改めて話を切り出す。
「《《宮陽家》』でさえも、因羽さんが……」
「それは……!」どちらともなく、鷺山たちは声を漏らした。さしものヰ千座も、報告に動揺を隠せなかった。
焦土と化した戦後の千仁町において、復興の立役者は二人存在する。一人はご存知、
だが宮陽家は、もう存在していない。三年前より、
それからずいぶんと日が経って、警察は声明を出した。曰く、宮陽家には政治資金横領の疑いがある、と。いたたまれなくなった住民は、宮陽家の話題を口にしなくなった。
同じく鷺山も、がっかりしていた。が、喉に小骨が刺さったような違和も覚えた。全焼した児童館を再建する際に、夏黄は代田組に援助を申し出た。民草に好かれているとはいえ、鷺山は日陰者の王である。なおかつ放火の主犯は、因羽が絡んでいる。引け目を感じた鷺山は、夏黄の申し出を固辞した。鷺山の意志を尊重しつつも、夏黄はこう述べた。『町の英雄が一人というのも、寂しい話じゃありませんか』、と。鷺山の武勇を称賛しつつ、日陰を尊重する物言いだった。だからこそ鷺山は、宮陽家のスキャンダルを信じきれずにいた。だが、いいのだろうか。那優太の口から、その名が出ることは。明るみにさらけ出される真実に、あの宮陽が。
いよいよ那優太は、凶兆を口にする。
「宮陽家のご息女も、いまや裏風俗で日銭を稼いでいますよ」
苦悶の吐息が、鷺山から漏れる。宮陽夏黄の娘といえばただ一人、カナ子嬢を指す。彼女は、因羽と同じ中学に通っていた。
「因羽さんが面倒見てるホストにハマって、借金まみれになったんですよ。そっから家も巻き込んで、ある金ない金ぜーんぶ引っこ抜いて、最後は一家離散。おかげさまで、雪姫ビルヂングの竣工費もポンと出せたもんです」
悪徳図鑑を広げる口調だった。
鷺山が推測するに、宮陽家の人々は脅迫されていたのだろう。令嬢を返してほしくば、借金を肩代わりせよ、と。
「なぜに、一言も相談してくれなかったんだ……」
絞り出す一言に、鷺山は二種怒りを隠せない。ひとつは、外道を働いた因羽へ。もうひとつは、夏黄へ。
「因羽さん、整形してるんすよ」
那優太は、とつとして言う。はぐらかす口調は、
「怪人の医者に頼み込んで、整形したんですよ。平気でウソをついても、それが真実に見える顔つきに」
鷺山の勘が、冴え渡る。寒気を通り越した風が、廊下から吹き込んだ。冷え冷えとした空気に囲まれているのに、鷺山は汗をかいている。
記憶の中の因羽も、同じく汗をかいている。二年前の初夏だった。因羽が、那優太の身元を引き受けたのは。あの時の因羽は、微かなる義勇を
「あの人の言うことは、ぜーんぶ誠実そうに見えちゃうんすよ」
それは、ウソだった。偽りだった。
むろん因羽が、那優太を真に気に入っていたのは違いないだろう。だが幹部の元息子を悪道に引きずり込むのは、相当な度胸を必要とするはずだ。鷺山と因羽の間には、絶対的な上下関係がすりこまれている。まともに嘘をつけるはずもない。だからこそ、鷺山は信じていた。信じて、すがってしまったのだ。
『ウチの
「なるほどなぁ」
ヰ千座が、合点といった調子で呟く。
「宮陽のお嬢さんにも、同じ整形を受けさせた。だから客を取らせても、問題ないということか」
数式の証明について、教示するような口ぶりだ。ヰ千座を恨めしく思うも、鷺山の勘はまたしても腑に落ちてしまう。大ごとにもならずに処理できたのは、人智を超えた怪人の助力あればこそ可能になる。
「ホストも泡姫も全員、
「どうりで
後賭場親子の会話に、鷺山から呟きが漏れる。
「まるで蟻地獄だ……」
徹底的に人を追い詰める残酷遊戯を、
だというのに鷺山は、親子関係に執着してしまう。もし目の前で因羽が泣き喚き、命乞いをしたら、決定的なトドメを刺しはしないだろう。組の存続のため、愛する娘を鷺山に託した花緒の覚悟を。苛酷な環境に置かれてもなお怪人から、赤子を守った
結果、因羽は悪の道を極めてしまった。彼は、
「ヰ千座よ……」
名を呼ぶ鷺山は、義の絞りかすを口にする。
「この俺に、どうしてほしいというんだ」
真っ当な問いであった。だがヰ千座は、戸惑いを隠せなかった。
彼にとっての鷺山は、神仏と変わりがなかった。鷺山の体には、熱血にして冷徹な緑色の血が流れている。弱きを詰める悪を誅する、正義そのものだ。いかに親しい相手であろうと、鷺山は背信を許さない。無情な暴力性を義によって、秤を取る鷺山こそ理知の鑑なのだ。
その点、因羽は不都合な存在だった。暴力と人格が一体化したそれは、鷺山の英雄譚に泥を塗り、多くの人を不幸にする。とうてい許されないことだ。不幸のどん底にいたヰ千座は、憎悪する。
ゆえに彼は、信じていた。怪人の魔法から救ってくれたあの日のように、理知的な暴力が、蛮的な暴力を斃してくれる。無邪気に、無頓着に、ヰ千座は鷺山に期待していた。
「何も考えてなかったという顔だな」
鷺山の脳裏によぎるは、那優太の級友たちだ。彼の麻薬売買によって、中毒依存症になった者もいるはずだった。まして麻薬に味をしめたのは、中学生である。人生老い先は長いというのに、二度と元の道を歩むことはできなくなった人たちがいる。
怒り泣きながら、鷺山は馬乗りになった。
「
なされるがままのヰ千座は、妙に達観した心地になった。
――因羽と俺は、そう変わらないのだな。ヰ千座は腑に落ちて、血反吐とともに那優太を見る。
那優太は、鷺山を羽交い締めにしていた。親子としての情によるものではない。背負わされたくびきによって、従順にヰ千座を守っているだけだった。
「ケジメが、必要なんだ」
なだめられた鷺山は、静かに二人を見やった。
「テメェも、那優太も。俺も――」
その言葉は重々しく、
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