三章:修羅の花道

①任侠の桜

 一九八一年、四月九日。瀧桜閣たきおうかくは、千仁町せんにんちょうの花屋にいた。

女将おかみさんよ、なんとか仕入れられねえものかな」

スラリと伸びた体躯たいくを直角に、瀧の頭がうる。そのうなじには、ガーゼがあてがわれている。

「三月ならまだしも、この時期に桜の枝なんて……。どこの市場を当たろうと、無茶なお願いですよ」

女将は困ったように、ビニールリボンを束ねた。齢十九の青年は、ほこり がかった口調でなおもすがる。

鷺山ろざん親父おやっさんにはあんまりな最期じゃあ、ありませんか。桜を見ずにぬなんて」

チラと瀧が面をあげると、女将は神妙な面持ちで思案している。白魚のような指から、ゆっくりとリボンが作業台に置かれた。振り返りしな女将が呼ぶと、間延びした声が返る。色あせた暖簾のれんを揺らし、主人がやってきた。その手には小ぶりの茶碗と、使い込まれた箸が握られていた。

「――そういう話なら、ハナカイドウがいいんじゃないか?」

仔細しさいを聞いた主人が、ズッと茶碗をすする。どうも茶漬けを食べていたらしい。

「それは、遅咲きの桜ですかい?」

空腹を噛む瀧が問うと、主人は首を振る。

「別もんさ。だが桜もハナカイドウも、同じバラ科の植物なんだ」

専門的な回答に、瀧は気の利いた言葉を返せない。主人は、ニヤと笑った。

「待ってな、瀧坊」

婦人に茶碗を預け、主人は台帳の山から一冊のカタログを取る。

 慣れた手つきで、主人はページを送った。

「ご覧よ。これが、ハナカイドウさ」

色瞬いろまたた くページの隅を、造園で荒れた指が示す。ふっくらと花を広げる枝が、まさしく瀧のために描かれていた。

 可憐な花だ。思わず瀧は、目を細めた。

「アンタ、仕入れの宛てはあるの?」

心配そうな婦人に、主人はコクとうなずいた。

「盆栽仲間の籠亥かごいちゃんがよ、自分ちの庭に植えてんのさ。鷺山ろざんさんの麻雀仲間でもあるし、気前よく分けてくれんだろうよ」

幸運なことに、ハナカイドウの開花時期も近いらしい。今月中には必ず入荷するよう、主人は約束してくれた。

「お二人とも、ありがとうございます」

誠実な言葉とは裏腹に、瀧の口角はぎこちなく動いた。鉄砲玉として命を張る彼に、愛想笑いは難度の高い技だった。

「いい、いい」

照れ臭さを搔き消すように、主人は手をふった。

「鷺山さんは、この町の神様だからな」

奥座敷へ向かう主人は、しみじみと言ったその背をさえぎ って、女将が朗らかに言葉を継ぐ。

「ラッピングなら、任せてちょうだいね」

 その腕には、瀧も覚えがある。女将の用立てた濯姫そそぎへの仏花は、一ヶ月経っても構わず咲いている。おかげで瀧は、古い仏花を引き取る習慣がついた。

 殺伐とした生活において唯一、瀧が人間らしさを感じられる瞬間でもあった。だからこそ瀧は、入院する鷺山に花を贈るのだ。無機質な病室でも彩があれば、長患いも治るかもしれない。子供じみた願掛けのようでもある。しかし鷺山への恩を思えば、瀧も花屋も、何もせずにはいられなかった。

 花屋に一礼し、いよいよ瀧は病院に向かおうとする。が、斜向かいの蕎麦屋から、人が飛び出してきた。

「おおい! 素卯しろうさんのパシリじゃねぇか」

はすな口利きの亭主は、瀧の幼少を知る数少ない人間でもあった。

「おやっさんのところかい?」

肯定する瀧に、亭主はニヤと笑った。蕎麦粉まみれの手には、白い小袋が握られていた。

「ウチの新商品。蕎麦の揚げボウロよ。病院のメシなんか、不味マズくて食えんだろ?」

鷺山に渡してほしい、と彼は頼んでいるのだ。

「ああ、渡しておく」

肝心の鷺山は、絶食の最中だ。しかし人のいい笑みを前では、無粋な一言である。ぎこちなく微笑む瀧に、蕎麦屋の主人は笑みを絶やさなかった。

「退院したら、また飲みに誘うわ。素卯さんによろしくな」

歩き出しながらも、瀧は後ろ手を振った。

 まもなく今度は、和菓子屋が瀧を呼び止める。

「黄身餡と牛乳たっぷりの、滋養焼じようやきだよ。素卯さんに渡しといてな!」

たっぷり六つも渡しながら、和菓子屋はそう言付ことづけた。

 その次に瀧は、子どもに捕まった。

「なぁ、ヤクザのおっちゃんはまだ入院してんの?」

「鷺山のおじさんと呼べ、ガキンチョが」滋養焼きを一つ手渡しながら、瀧はたしなめた。

「鷺山のおじさん、もう遊べないん?」

溢れる黄身餡を眺めつつ、子供はメンコを握りしめていた。

 鷺山がいかなる病に伏しているのか。贔屓目ひいきめとされる瀧にも、詳細は分からない。だが一つ、鷺山の成した偉業から言えることがあった。

親父おやっさんが、病気程度に負けるわけねぇよ。怪人にだって勝てたんだぜ」

事実を口にした途端、瀧は腰に下げた軽量アルミの刀を意識し始めた。

 瀧にとっての鷺山は、居合の師である。だが鷺山に勝てたことは、一度もなかった。

鷺山の目が半月を描く間に、首が落ちている。任侠の怪談として流布されるほど、彼の抜刀は須臾しゅゆの出来事であった。

 鷺山に言わせれば、瀧はスジが良いらしい。初速や所作は申し分なく、磨けばなお光るものがある。そう評されても、瀧は納得していない。瀧の戦歴には、同格の相手がいない。射程距離によって蛮勇を補う、チンピラばかりを斬り伏せていた。

 技とは、死合いによって磨かれるものである。いつかの鷺山は、瀧にそう告げていた。そんなおとこが、やすやすと死ぬはずもなかった。

「――そうだよな。病気ていどに負けねーもんな!」

瀧の足元で考え込んでいた子どもは、安心したように呟いた。口調を真似る彼の頭を撫でながら、瀧は同意する。

 いっぽう瀧の胸裡きょうりには、一つの陰が差し込んでいる。鷺山が直々に指名した面会時刻まで、猶予は残されていなかった。

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