断章ノ弐:驕れる姥と狂言回し

①初心回帰

 人骨製の椅子に、一人の老婆が座っていた。老婆の名は、怪人エゴチェンバー。またの偽名を、残洞響子さんどうきょうこ鷺山ろざんの妻、濯姫そそぎを殺した張本人である。だが彼女の復讐心は、止まらない。

「――――というわけさぁ」

二時間ぶりに口を閉じ、エゴチェンバーは称賛を待つ。

 机を挟んだ向かいには、怪人ワークショップが座っている。製図を描いていた彼は、ゆっくり顔を上げた。

「用はそれだけかい」

ムッとしながら老婆は、生首の塊を投げつけた。容易たやすくワークショップは、受け止めた。

「今回の対価は、見合うはずさぁね」

我慢強く右肩を撫でながら、老婆は頭を下げた。

 しかしワークショップの顔色は変わらず、生首を机上に置く始末だ。

「……アタシの計画が、うまくいかないとでも?」

店主の首肯しゅこうに、エゴチェンバーの目が赤黒く染まる。たかぶ る魔力に、ますます憤怒ふんぬが栄える。ワークショップは咳払いし、一点を指し示す。『当店、怪人体デノ入店ヲ禁ズ』羊皮紙に書かれた言葉を、エゴチェンバーは理解している。だが見下されたという事実が、プライドのきぬをずたずたにしている。肩口に爪を食いこませ、老婆は耐えていた。そうして、幾ばくかの沈黙が続いた時だった。

懇談こんだんの折、失礼するよ」

ふわりと、机上に闇色が広がった。エゴチェンバーが慌てて見上げると、マントを着た怪人――死門が座っていた。

「通りすがりに覗いてみたら、悪だくみの真っ最中なんだね」

死門の無邪気な一言に、エゴチェンバーは詰めよった。

「アンタ、何者なんだ。――いや、いい。この石頭が、アタシに売るものなんかないって言うんだ」

振り向く死門に、ワークショップはかいつまんで説明する。そしてワークショップは、老婆の話が無駄で出来ていることを改めて理解した。

「なるほど。復讐を遂げるには、しばらく身を隠す必要がある、と」

店主の徒労にも気づかず、死門はふむふむとうなずく。いっぽうエゴチェンバーは、ワークショップを睨みつける。死門は、悪童じみた笑みをこぼした。

「そういう事情なら、私が力を貸そう」

徒手としゅをかざし、死門がなにかを掴む。軽快な音とともに振り下ろされたのは、死神の大鎌そのものだった。

「ちょっとした特技でね。空間の移動くらいなら、お手伝いできるよ」

彼女にとって、願ってもない幸運だ。虚栄きょえいに燃える老婆の瞳に、身を乗り出すワークショップが映る。

此奴こやつのために寝ずの番でもするつもりか?」

問われた死門は、店主に微笑む。

「君ご自慢の試作品を使えばいい。たしか……『目醒めざめし時計』、だったかな?」

わざとらしく上げられた人差し指に、ワークショップの眉間が歪む。エゴチェンバーは、興味津々に二人を見やった。

「……とある教団より、依頼された品よ」

観念したワークショップが、つぶやいた。

「あらかじめ『時計』に学習させることで、特定の怪人の意識消失と再出現を観測できる」

エゴチェンバーの背後、無数に広がる棚から引き出しの開く音がした。カタカタと運ばれてきたそれは、片手に収まるほどの小さな時計だった。

「ただの玩具じゃないか」

触れようとする老婆の手を、ワークショップがはたく。

「親機に触るな、れ者が。時計の内部には人間の視交叉上核しこうさじょうかくと魔法少女の内耳ないじを使い、文字盤には怪人の目をはめ込んでおる。さらに互いの個性が押し殺されぬよう、人間と魔法少女それぞれの、血縁者の骨を加工して箱を作ったのじゃ」

店主が『時計』を操作する。絹を裂くような悲鳴が駆動し、部屋一帯に置かれた商品も細かく震え出す。葬式での共泣きを思わせるような、不吉な光景だった。

 エゴチェンバーが思わず耳を塞ぐと、ツンとした沈黙が広がる。しんしんと降る雪の中を歩くような、寒々しいしじまだった。それから幾拍いくはくかして、耳鳴りが老婆を襲う。立ちくらむエゴチェンバーは、椅子から転げ落ちた。虚栄に満ちた自意識エゴが反転し、また反転する。表を返し、裏へまた覆る。吸われている、とエゴチェンバーは思った。わずかに放出されている魔力に、『目醒めざめし時計』が吸い付いている。目の形をした口蓋こうがいの綾から、エゴチェンバーは逃れられない。

 鼻で笑われ、エゴチェンバーは自意識エゴを取り戻す。脂汗を流しながらも、店主を睨みつける。復讐心の帰還に、死門がしらけた拍手を送った。エゴチェンバーは、居住まいを正した。それを認めてから、ワークショップが新たな品を取り出した。赤茶色をした、ベルト型のブレスレットだった。

「これが子機じゃ。お主の目醒めざめを親機が観測すれば、ただちに知らせてくれる」

言いながらワークショップは、死門の手にベルトを握らせた。

「なかなか付け心地がいいじゃないか」

死門が痩せ細った手首をひけらかすと、ワークショップはそっぽを向く。

「皆まで説明すまい。どうせ在庫にもちょっかいを掛けておるのだろう?」

死門はいささか残念そうに笑って、机から飛び降りた。

「思い残すことはないかね?」

死を帯びた口調に、エゴチェンバーの本能が警戒を抱く。死門は対照的に、朗らかな口ぶりで言う。

「怖がる必要はない。君の望みは、叶えられるのだから」

 死門の大鎌が弧を描くと、質量を孕んだ空間が見事に裂ける。妊婦の腹を暴くような錯覚に、エゴチェンバーは陥った。穴の向こうは暗く、くらく、くらい闇ばかりが覗く。

こともなげに先人を切るのは、やはり死門である。骨じみた手が、老婆を冥府へ誘う。

意を決し、エゴチェンバーは飛び込んだ。彼女の背後では、スルスルと裂け目が閉じていく。

「こっちだよ、こっち」

反響する死門の声で、エゴチェンバーは踏み出す。踵が、爪先が、脳天が、首が、腰が、肩が、左腕が、腹が、胸が、肋が。一枚の箔に成り下がる。器量が、我執がしゅうが、自尊じそんが、復讐が、憤怒が、偏狭へんきょうが、怨恨が、矜持きょうじが、自信が、愚昧ぐまいが。ねじれ、こじれ、紙縒こよりとなる。蒙昧もうまいとした臍帯さいたいとなり、エゴチェンバーは死門を見失いかける。が、かろうじて後を追えた。ずぐずぐと痛む右肩は、雪辱せつじょくを思い出すのには十分だった。いくら亜空あくう蹂躙じゅうりんされ、薄弱と化しても、エゴチェンバーの傷は癒えないのだ。声ならぬ声を上げ、エゴチェンバーは突き進む。

 闇はかすかに揺らぎ、死門の笑みと同化した。そして不意に、実体なき闇が質量を得た。食いしばる老婆の口から、魔力まじりの血が滴った。

「お気に召したかい?」

音もなく振られた鎌が、一時的に闇を退ける。光源なき光によって、室内が暴かれる。

 エゴチェンバーはけたたましい笑い声を上げた。カビのはびこる漆喰の壁に、腐った畳の柔らかな質感。蛇口と洗面台を結ぶ蜘蛛の巣は、ほこりばかりを捕らえている。その頭上では、羽根を失った換気口が開いている。

――そこは、濯姫そそぎが監禁されていた地下室だった。地下と上階を結ぶ扉は、コンクリートによって固められている。開かずの忌み部屋にして、復讐の始まりでもある。

「アンタ、気に入ったよ。全てが終わったら、言うことを聞いてやってもいい」

狂喜に任せ、エゴチェンバーは心酔を口にする。

 死門は、静かに笑ってみせるだけだった。

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