⑦止め刺し

 跡形もなく燃えた児童館は、鉄筋コンクリート製の堅牢な建物として再生を果たした。その工事の費用と人工にんく代田組しろたぐみの各方面から支出がされた。幸か不幸か魔法少女が火災現場に駆けつけたため、巷では怪人の仕業として噂されることとなる。こうして因羽いなばの罪は、たちまち揉み消されてしまった。

 以来、因羽はしおらしくなった。若い衆からの出迎えに恥じらう以外、拒絶することもない。

 地域の子どもたちからも、因羽は注目を集めていた。濯姫そそぎゆずりの繊細な顔立ちは、毒気のなさをにじませていた。女児に混ざって遊ぶ因羽は、妙に違和感がない。やんちゃ盛りの男児もそう思ったらしく、因羽がいじめられることはなかった。

彼の交友関係は、静かな波紋のように広がっていった。つまるところ因羽は、組長の子供という肩書きにそぐわなかった。

 くしくも時代は一九六〇年代――景気が天井を貫く一方、荒事も経済を回し続けていた。なかでもシノギとして進化したのは、一般人の揉め事を仲裁する職。いわゆる介入屋と呼ばれるものだった。立ち退きや債務整理から巧妙に逃げる相手を追い、最終的にはに導く。一種の交渉業である。

 とはいえ相手はただの一般人。あまりに凄むと警察や議員を巻き込むことになりかねない。適性の有無が、はっきり分かれるシノギだった。

 代田組において介入屋を統括しているのは、因羽の叔父こと許山六出もとやまむつでである。彼の父である花緒はなおは、孫の因羽との再会からまもなく往生してしまった。その椅子を継いだ彼にとって、介入屋は天職だった。

 やがて介入屋は、武器の密輸に次ぐ代田組の収入源となった。巨万の富を得ようとも、六出は質素な身なりを好んでいた。任侠の世界において、羽振りの良さと格の高さは比例する。ましてや六出の隣には、鷺山ろざんという侠気の手本がいる。組長の覇気に比べれば、なんと吝嗇りんしょくな佇まいだろう。ほかの組員らは、揶揄やゆしていた。

 そんな六出に懐いたのは、因羽だった。もとより赤子から三才に至るまでの間、親となって育ててくれたのは他ならぬ彼である。六出もまた相応に、因羽を可愛がっていた。長期休暇ともなれば美術館や海へと連れ添い、期日内には宿題が終わるよう根気強く付き合った。六出も地頭は比較的いいほうで、何より物言いが柔らかい。いわば因羽にとっての六出は、とても暖かい存在だった。

 因羽は、六出の交渉術――次世代の任侠としての在り方を踏襲しているように見えた。

 だが柔和に磨きがかかる度、鷺山は煩わしさにも似た焦燥に駆られていた。人を囲い込む才だけ長けていても、曲者揃いの代田組をまとめ上げるなんて不可能だ。

ましてやその上に立つ白奪会はくだつかいの面々も、強烈苛烈の暴力性を飼い慣らしている。芯の細い今の因羽では、とうてい渡り合えるわけもない。

 なればこそ鷺山は、因羽の肌に灯油を塗って火で炙り、生白い足でガラス片を踏ませ、氷点下の水に沈めて、朴刀ぼくとうで骨が砕けるまで打ち続け、食事に軽度の毒を盛り、脱臼させた肩を自力で戻すよう促し、三階の窓から突き落とし、互いの爪を剥いだ上で殴り合った。一時は中学を巻き込んで騒ぎにもなる大怪我を負わせたこともある。それでも鷺山は、因羽のが仕上がるまで、続けるつもりだった。なぜなら先の稽古は、鷺山が目をかける鉄砲玉――瀧桜閣たきおうかくに施したもののに過ぎない。彼がくぐり抜けた死線に比べれば、因羽のそれは可愛いものだった。

 はたして幾度、因羽は病院送りになっただろうか。正確な数は知れない。最初こそ周囲も数えていた。が、因羽が高校に通いだしてからは、すっかりやめてしまった。

 締めつけど、叩き込めど、教え示せど、成果が見出せないのは確かだった。鷺山は困惑し、因羽は焼き切れたように個性を失いつつあった。されど閉鎖的な縦社会において、誰が組長親子に口を出せるだろうか。周囲はただただ静かに、病んだ膠着を憂いた。

「……もう、一旦やめにしませんか」

冷気がひた走る道場で、そう進言したのは六出だった。色もなく彼は、傷だらけの親子を見やる。

 床の方々ほうぼうには泥濘ぬかるみが擦れたような赤が散っており、因羽は真剣を握ったまま倒れ伏している。腕は血の間欠泉といった様子で、脈動とともに因羽の体力を着実に削り続けている。おそろしいことに、対峙する鷺山の手には朴刀ぼくとうが収まっている。鬼神の如き抜刀術で、因羽はここまで追い詰められてしまったのだ。

 むろん今の六出は、鷺山の間合いに入っている。心底から己を奮い起こし、六出はもう一度口を開く。

「高校にはどう説明するんですか。これまでとはもう、事情が違うんですよ」

代田組の影響力は、千仁町せんにんちょうとその周辺に及ぶ。だが因羽の通学先は、川をはさんだ百井戸もいどの先にある。

 百井戸もいどは、敵対する中島組なかじまぐみのテリトリーだ。代田組の未来を象徴する因羽が手負いだと知られたら、何が起きるかわからない。五臓六腑余すことなく売りさばくことなど、連中にとっては赤子を絞めるよりも容易い所業だ。鷺山も、中島組の危険性を理解している。が、折檻の手を止める決定打に欠けていた。多くの無辜むこを救うべく、多くの悪を手にかけてきた英雄かれにとって、これは瑣末さまつな試練に過ぎない。因羽にくぐり抜けるほどの器がないのなら、次期組長としての天命が与えられなかっただけのこと。そこでようやく、不本意ながらも鷺山は諦めらめきれるのだ。因羽は、任侠にはなれない人間だった、と。

「鷺山さん――」

沈黙を決めこむ鷺山に、六出が痺れを切らして呼んだとき。廊下から小素早い足音がした。大人よりも頭二つ小さい影が、六出の横を駆け抜ける。

親父おやっさん」

変声期前の掠れた声が、鷺山を止める。

「……瀧か」

振り向く鷺山は、やや驚いたような顔をする。

「すんません。稽古に水差してることくらい、分かっちゃいるんですが……」

幼くも、纏う空気そのものは任侠のそれである。瀧少年は躊躇なく座し、頭を下げる。

「俺からもお願い致します。どうか、因羽さんをご勘弁ください」

 突っ立っていた六出は、ようやく事を理解する。素卯親子の仲を、鉄砲玉が憂いているのだ。ともすれば末端のチンピラにまで、この話は聞き及んでいるのかもしれない。絶対的英雄として名高い鷺山の威光が、崩壊する可能性だ。そこまで考えて、六出は鳥肌をおぞませていた。胸裡きょうりの芯から、発汗を指揮する神経を握り潰されるような興奮だった。

「だって、あんまりじゃないですか」

清廉せいれんな響きを伴って、瀧少年は親子を見やる。

「手ずから親父おやっさんが、セガレを……」

言い淀んだ先を、鷺山は察する。生まれついて孤児である瀧にとって、血縁とは憧れの概念だ。先天的に獲得し得た縁を、彼は喪失したままに年を重ねている。その境遇を鑑に自身を振り返れば、鷺山はなんと恵まれた環境にいよう。

「分かった。お前の言う通りだ」

朴刀を納める鷺山に、ギョッとしたのは六出と因羽だ。年端もいかぬ少年の言質に、あの鷺山は良しとしたのだ。驚くのも無理はない。

「ありがとうございます」

再び頭を下げる瀧少年に、鷺山は首をふる。

「若輩者にまで気を遣われるなど、情けない限りよ。なぁ、因羽」

勝手に締めくくり、鷺山はひたひたと立ち去った。押し殺した怒気と殺気が床伝いに、因羽の自尊心をギュゥと止め刺したのは、誰も知らぬことだった。

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