六章:譽の花は城に咲く

①不吉な香典

 午前八時半過ぎ。素卯しろう家本邸の奥座敷にて。

 大路赫哉おおじかぐやは、瀧に紋付袴を着付けていた。

「ま、ええやろ。多少は見違えたんやない?」背中をはたきき、赫哉は言う。軽薄な手が退くと、染め抜きされた桜紋が覗く。飾り気のないその花は、瀧に与えられた代紋だいもんであった。居心地悪く、瀧が袖をいだく。

「いつ、用意したんですか」初めてとは思えぬほど、丈や寸法が合っている。

鷺山ろざんさんが用意しとったんよ」能天気を上乗せし、赫哉は続ける。

「瀧さんがダメにした無垢織むくおりの袴も、あの人が頼んだもんよ」そうか、と瀧はつぶやいた。ブギーバースと出会わなければ、真白な袴も一生物となるはずだった。

 否。あんな終わり方、勝ちと言えるはずもない。鷺山への罪悪感で、瀧は満ち満ちていた。

「辛気臭い顔してる場合とあらへんで」ふん、と赫哉が鼻で笑う。

「見てみぃよ、鏡。どんだけシケたツラしてるか、わかった方がええ」そう言われてしまえば、瀧の視線も姿見すがたみに向く。病み上がりであることを差し引いても、瀧の顔はやつれにやつれていた。

「せっかくええもん着てるんやから、ええ格好せな」瀧の背を、赫哉かぐやが小突く。緊張とともに、瀧の口からフッと息が漏れた。

「そうだな、大路おおじさん」道化の明るさを吸うように、瀧は囁いた。しぼんでいた顔も、いささか膨らみを取り戻した。

 入れ違うように、廊下の奥から慌ただしい足音が響く。

「失礼する」やって来たのは、武器職人――輪島白兼わじましろがねだ。その顔色と口調には、険しさが滲んでいる。

一寸ちょいと面倒なことになった」瀧が先を促すと、白兼は目を赤くしている。

中島組なかじまぐみの双子が……」瀧の右まぶたが、ピクリと動く。

 中島組――代田組しろたぐみの宿敵にして、中学時代の那優太なゆたが薬物を仕入れた先だ。もっとも瀧の心当たりといえば、相手の幹部のタマったことである。鷺山の葬式に乗じ、大事おおごとを起こすつもりだろうか。ふと、瀧は気付く。白兼の拳は、強く握り締められていた。よほど腹にえかねているらしい。

 音もなく瀧は、座敷から飛び出した。上質なひのきのくれえんを、音もなく彼は駆ける。いかに素卯邸が立派であろうと、韋駄天いだてんには狭い家だった。まもなく瀧は、シャバと裏社会を結ぶ数寄屋門すきやもんに出た。門前には弔問客を迎えるために、受付席が存在する。その向こうに、伊太車クアトロポルテが横付けされていた。

 瀧は、受付の様子を伺った。受付を担う輪島佐銀わじまさぎんは、異様な封筒をにらんでいた。長方形の封筒は、垂直に自立している。閉まりきらない蓋の中には、新札色の紙がみっちりと詰まっているようだ。水引はないが、おそらく香典なのだろう。

「なんの騒ぎだ」いかにも無知なそぶりで、瀧は門をくぐった。パッと振り返る佐銀は、殺しのめいを待ち受けているように思えた。だが佐銀の視線を、瀧は拾い上げなかった。

 瀧の目前に入っているのは、二人の男。――白髪紫眼の心貴シキと、眼鏡をかけた黒髪のシキ。どちらも中島組の組長である。少しばかり目を細め、心貴は口を開く。

「テメェが瀧桜閣たきおうかく?」張り詰めた緊張をビリビリと震わせる、居丈高な地声だった。並みの人間であれば、挺身ていしんしたくなるような圧がある。

 うなずきながら、瀧は平静に返す。

生憎あいにくと、今名刺は切らしている。欲しけりゃそこの芳名帳を書いてくれりゃあ良い」

「要らねぇよ、そんな紙ッキレ」ハッと鼻で笑う心貴に、瀧の視線が香典袋に落ちる。

「『中島の双子は怪人をも泣かせる』。鷺山ろざんさんはそう言っていたんだがな」瀧は再び、心貴をめつけた。

「どういう風の吹き回しだ?」心貴は愉快そうに、ニタつかせるばかりだ。意外にも口を開いたのは、その隣にいる弟のシキだった。

「たしかに貴方がた代田と、我々中島は殺し合う仲。とはいえ弔意を示すくらいなら、何の問題もないはず。そうでしょう?」

「だからって朝一番にやって来るのは……」困惑する佐銀に、シキは友好そうに微笑む。

「素卯さんの人となりを考えればおのずとわかりませんか? いざ葬式が始まれば、カタギもやって来るでしょう」メンチを切りながら、心貴が後に続く。

「気前のいい俺様がくれてやってんだ。文句あるか?」一理ある。が、瀧はまだ納得できなかった。不自然な香典には、札束以外の何かが詰まっているはずだ。だが添えられた義理を無碍にすることは、明確な敵意を示してしまう。相手の顔を立てながら、瀧はこの場を収める必要があった。

「ああ、」だしぬけに声をあげたのは、心貴だった。

「水引をつけ忘れちまったなぁ」パチ、と軽快な金属音が響く。心貴の手中には、細身のナイフが握られていた。スティレットと呼ばれる、イタリア伝統の折り畳みナイフだ。

「待――」瀧の静止よりも早く、刃は心貴自身の親指を引く。シキの右手が香典袋を掴み、心貴へ差し出した。滲む鮮血は、真っ赤な水引を力強く描いていく。

「三ヶ月後には、倍にして返してもらおうか」不敵な宣戦布告とともに、今度はシキが香典が叩きつける。

 呆気にとられる佐銀に、「代田も腑抜け揃いになったようですね」とシキが囁いた。悪童二人が、停めていた車に乗り込もうとした時だった。

「厚さ四センチ、単純計算で四百万ってところか」せせら笑うような瀧に、思わず双子が振り向く。

代田ウチと違って上納もねぇのに、ずいぶんシケてんな。情でも掛けてくれたのか?」

「こンのクソガキ! ふざけんな、誰が貧乏だって⁉」

 心貴が噛みつくも、瀧は動じない。その両手は、優雅にも香典の端同士を掴んだ。瞳孔がカッと開くと同時に、瀧の腕に青筋が浮く。異様な雰囲気に、心貴の息が一瞬止まった。

「貴方……」シキの咎めも、瀧の耳には届いていなかった。

 紙幣がきしみ、捻れ、歪み始まる。声ならぬ瀧の苦悶とともに、香典が音をあげる。ほんのわずかに、袋が破けたのだ。

「――――ッはッッ‼」

 唯一の発声とともに、香典は横真っ二つに分かたれた。双子と佐銀は、唖然あぜんと眺めるばかり。平然とする瀧は、額に流れる汗を指で拭った。その勢いのままに、瀧の犬歯が拇指を噛む。指に浮く血の玉で、瀧は真っ新な香典の片割れに、水引を描いた。

「これでチャラだ」心貴とシキ。それぞれに袋を渡し、瀧は言い切った。

「――いい根性をしてますね」ようやく出たシキの一言に、心貴はケッと答える。だが二人の口元は、ほころんでいた。

「よぉーく分かったぜ、脳筋のトンチ野郎」

 憎しみと親しみをもって、心貴が荒っぽく車を開ける。シキもそれにならい、振り向き様につぶやく。

「思ったよりも長く遊べそうですね、兄さん」

 今度こそ、厄付きの双子は去っていった。だが瀧の双眸そうぼうは、車の影が見えなくなっても睨みを効かせていた。

「すまねぇです、瀧さん。俺が不甲斐ないばっかりに……」頭を下げる佐銀に、瀧はようやく呼吸を思い出す。親指の出血も、いつのまにか生乾きの瘡蓋と化していた。心配そうに見つめる佐銀に、瀧はかぶりを振る。なおも佐銀は、居心地悪くしている。

瀧がもう一言だけ、気を利かせようとしたときだった。

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