⑥窮鼠の房事

 ブギーバースは、愛嬌たっぷりに微笑む。

「見ての通り、キミとアタシじゃ実力の差がありすぎる」

嫌味だが、事実である。瀧は、沈黙で先を促した。

「ハンデを設けよう」

握手を求めるように、ブギーバースの右手が突き出た。しかし掌には、液状化した骨が湧いていた。

「薄皮一枚でもいい。アタシを傷つけることができたら、キミの勝ち」

不気味な液体は、言葉とともに形状が変化していく。真っ白な手甲に、くすんだ白い骨が形作られていく。

「制限時間は、キミの命が尽きるまで」

ブギーバースの手首には、頭蓋骨の籠手。色白い手先を覆うのは、異様に発達した上顎骨じょうがくこつの剣。

「悪趣味な……!」

うめくような瀧の一言に、ブギーバースは微笑む。

「さぁ、どこからでもかかっておいでよ」

 そうして彼女カレは、瀧に背を見せる。近すぎる間合いを、悠々と歩いて仕切り直しているのだ。いけすかないと思うかたわら、瀧は覚悟を決める。――もはやこの命、ないものとして振る舞ったほうがいい。

 ブギーバースの左足が、十歩目を得ようとした。瀧の殺気は、音もなく首へ迫った。彼女カレの腰が捻れ、十歩目は間合いから外れる。数ミリのズレを瞬時に修正し、無銘が追従する。が、大きく退がるブギーバース。

 振り下ろした先から、昇るような瀧の一太刀。返した手首めがけ、ブギーバースが掌底打ちを放つ。あえなく瀧は後退。迫撃をおそれ、血振るいの応用で左から右にぐ。

 生じた隙を逃さず、ブギーバースが刺突する。しゃがむ瀧の左肩に、血の花が咲いた。

「あっぶな〜」

ブギーバースは跳躍しながら、つぶやく。

 瀧の両手それぞれに、刀が握られていた。あえて懐に飛びこませ、右腰に提げた虎徹を片手で抜いたのだ。

「ただの戦闘狂いでもなさそうだな」

珍しく瀧は、一言漏らした。空気のごとく忍ばせた一閃を、この怪人は避けてみせた。

 欲深い相手だが、きちんと理性は整っているらしい。瀧の評を聞き、ブギーバースは破顔する。

人間キミ怪人アタシを語るとは、ね」

狂気とも、挑発とも、矜持きんじともつかない表情だ。

「いいよぉ」

ブギーバースは、投げキッスをする。

「もっとキミを楽しませてあげる‼‼」

音をも置き去る速度で、ブギーバースが飛び出した。すかさず瀧は、二刀流で応戦する。突き、薙ぎ、払って、斬りかかる。寸分の隙が、命取りとなる攻防だった。それまでの暗殺技術を結集し、瀧は出し惜しむことなく迎撃する。

 されど所詮は、人間と怪人の戦い。膂力りょりょくの差は、あまりにも大きかった。

 瀧の頬に、一筋の赤い線が走る。死角より放たれた下段払いが、瀧の内臓を潰す。

攻めに転じるも虚しく、瀧のうなじに後ろ蹴りが入る。息が詰まった瀧に、容赦なくブギーバースが攻める。瀧は無銘を奮い、執拗な攻めから逃れようとする。

 またた くような剣戟けんげきは、崩壊しつつあった。虎徹を振るう左腕は、病的な熱を持ち始めた。初めに傷を負った肩からは、出血がますます増えていく。撥水はっすいに富んだ無垢織でさえも、あまりにも多い出血に対応しきれず、重みが増した。

 意外にも瀧の意識は、冷静そのものであった。破裂した内臓や肺に刺さりかけている肋骨の痛み、出血性ショックによって滲み出る脂汗。それらが砥石となり、瀧がドスそのものと化すような錯覚を得た。まだ殺れる。まだ闘える。まだ死す時ではない。虎視眈々と、瀧は機会をうかがっていた。

 そしてブギーバースが、飽いた表情を浮かべた刹那。死神じみた手甲剣てこうけんが、瀧の左腹に迫る。

――今!その剣先を絡め取ったのは、長曾根興里虎徹。わずかに逸れた軌道が、瀧の寿命を延ばす。ブギーバースの無防備な首に、無銘の長い鋒が迫った。

「ふふっ」

不気味に微笑むブギーバースは、右腕を返す。虎徹から逃れる剣は、なおも瀧の腹を目指す。無銘の鋒が首に触れかけるが、人外の柔軟さで首は遁走とんそう

 瀧は、諦めない。目前に迫る死を前に、虎徹が髑髏の籠手に喰らいつく。籠手ごと手首を斬り落とす。極限の集中力を得た瀧ならば、可能な芸当だった。

 ス――ッと、髑髏の額に筋が走った時。髑髏のうつろな眼窩に、幽鬼色の燐光りんこうが灯った。

「――ッ‼」

その眼光は、明らかに瀧を見ていた。困惑、畏怖、混乱、憤怒。

 今までに瀧が斬り伏せた相手を代弁するかのように、髑髏が見つめている。瀧は、躊躇してしまった。

「ガッぁア――!」

深々と、死神の剣が刺さった。

「キミの命運も、これまでだね」

ブギーバースは満足げに、されど寂寞せきばくを隠しきれぬ表情をする。勝利を掴む手甲剣はぐずぐずと溶け、白肌の手に収 斂しゅうれんしていく。

 瀧は、彼女カレの肩にもたれかかっていた。文字通り血反吐をはき、サーッと冷えていく体を知覚していた。その腹から人外の手が抜かれ、瀧は地に突っ伏した。

「何か、言い遺すことは?」

ブギーバースは問うた。が、驚きを隠せなかった。

 なんと瀧は、立ちあがろうとしていた。こうべを垂れたまま、四つん這いとなり、苦悶と蛮勇の咆哮ほうこうをあげている。その両手には、いまだ二振りの刀が握られている。

 ブギーバースは、思わず苦笑してしまった。これほどまでに諦めの悪い人間を見たのは、久方ぶりのことだった。

「ずいぶんとたのしませてくれるんだね」

返り血に濡れた諸手を広げ、ブギーバースはのたま う。

「ここまでおいで? あと数秒の命を使って」

 瀧は沈黙をもって、諸肌もろはだを脱いだ。ぐっしょりと血に濡れた着物は、もはや支障以外のなにものでもない。

 枯れた猿叫を上げ、瀧は踏み込んだ。刀を振り回しながら、遠心力で進む。自壊寸前の、突喊とっかんだった。その刃は、あまりにも弱々しい。

 ブギーバースは、慈悲の一つでもくれてやりたい気持ちになった。ただ黙って瀧の間合いを、彼女カレは受け入れた。そして、瀧とブギーバースの影が一つと化す。瀧の鬼気を、ブギーバースは抱擁ほうようした。

「あんよがじょーず」

挑発的な称 揚しょうようとともに、瀧の両手首が折れた。虎徹、無銘の二振りが、血海に沈んだ。

「大丈夫、何も怖いことはないよ」

ブギーバースが、瀧の唇を吸おうとしたそのとき。

 ビッ――……。ブギーバースの頬に、血が走った。

「…………――」

瀧は、ブギーバースを睨みつけていた。その口からは、粗悪なアルミを寄せたような刃。輪島佐銀が作刀の、小柄こづかくわえ えられていた。

「……あっはっは。一本喰われたねぇ」

ブギーバースは残念そうに、しかし悦びを滲ませて言った。

「楽しい情事ひとときをありがとう」

彼女カレの手が、瀧の横腹をえぐる。絶叫をあげる瀧の体内に、ブギーバースの魔力が注がれる。その魔力は、ボロボロになった瀧の傷を強制的に縫い止め、癒すものだった。

「絶対、忘れないよ」

再び地に倒れる瀧に、ブギーバースは手を振る。彼女カレの手には、あの小柄が握られていた。ブギーバースは、己が頬の傷に小柄を添えた。

「これで我慢してあげる」

傷が深まるのもいとわず、彼女カレは小柄を呑み込んでいく。その表情は悍ましくも官能的で、神秘をも孕んだ混沌の領域だった。まるで傷そのものが女性器と化し、小柄と捕食セックスしているような有様だ。

「バケモノめ……」

純粋な畏怖いふの言葉を残し、瀧は気を失った。

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